「面白がる」ことの狂気
お疲れ様です。
午後にはえらいこと気温が上がり、授業していると教室内が暑いくらいになりまして、思わず窓を開けて外気を入れて温度調節したくらいなのです。いやいや、放っておけば25℃くらいなるのです。なんせ教室が「西面」ですので午後の西日が直射して暑いのです。
それはそうと、正月三が日明けから塾の授業も本格化しておりまして、何やかやけっこう時間がとられましてあまりノンビリとPCの前に座れていないのです。
で、今朝は朝食時、テレビの中から能登地震での被害の特集をやっておりまして、思わず見入ってしまったのです。
7階建てのビルが倒壊して、それで自宅が押しつぶされて奥さんと娘さんを亡くした被害者の方が映っておりまして、こう呟いていたのです、「怒りの矛先の向けどころが、分かんねぇんだよな・・・」と。
確かに。
ビルさえ倒壊しなければ、奥さんも娘さんも死ぬことはなかったのです・・・。
ですが、そのビルの倒壊したことの非を、ビルのオーナーに向けるとしても・・・。
もう一つ、印象深いビデオ(一般の方のスマホでの映像)があったのです。
それが、海沿いの山の麓に建っている住宅から逃げている人ですが、「危ない!危ない!」といって自宅から道路にまろび出てきたのです。
そしてその方々の左手に、なんと「ガケ崩れ」が起こり始めまして、山がズルズルと崩れ落ち始めたのです。
確かに海沿いの道路上に土砂がズルズルと崩れ落ちて、民家を押し流して海へと流れて行くのです。
カメラを手にした人でしょうか、それを見て思わずこう呟いたのです、
「うそだろ…」
と。
私はその言葉を聞いて(不謹慎ですが)思わず笑ってしまったのです。
「うそだろ」って、私には「面白く」聞こえたのです。
いやいやいや、もちろんその人は他人を面白がらせようとしてその言葉をチョイスした訳ではないのです。
ほんまに、「そんなことあんのか?!ウソだろ!!」と思ったからこそ呟いたのです。
ですが、その言葉を聞いた私には、その言葉のチョイスが、何故かとても面白く聞こえたのです。
それが、「マジか?!」だったなら、どうだったのでしょうか・・・、よく分からないのです。
それが、「マジか?!」や「なんだこれ??!!」、だったならどうだったのでしょうか・・・。
おそらくそういう言葉だったら、私には面白く聞こえることはなかったのでしょう。
「うそだろ…」
「いや、うそじゃないですやん(笑)!!」
と返したくなるようなフレーズだったのです、この「うそだろ」が。
で、不謹慎を承知で言うのですが、私は思ったのです。
どんな悲劇、どんな悲しみ、どんな悲嘆、どんな絶望的状況でも、人は「それを笑うことができる」のだと。
「笑える(笑)♪」という風に。
そういえば、1週間ほど前、岡田斗司夫チャンネルで岡田氏がこういう話をしていたのです。
「面白がること、これが大事」的な話を。
もうどういうストーリーの中からこの話が出て来たのか定かに覚えていないのですが、とにかく、人はどういうことをでも、「面白がる」ことが出来るのであり、それがすごく重要なことなのであるという感じだったでしょうか。
私はこれに痛く感心、共感したものだったのです。
そういえば以前、ここで私は若い時(高校生頃)に、自分の人生観、価値観の中で、「面白いということが極めて重要な事がらであった」という話をしたのです。私は「面白い男を尊敬し憧れていた」という話を。
そして後年、長じても、私はやはり「人生、面白がった者勝ちだよね」というポリシーをもっていたのです。
なんだかんだ、色々あっても、どんなことがあっても、決して「幸せに彩られて羨ましがられるような絵に描いたような幸せ」を手にすることができなくても、そんな「幸せ」より「面白がって生きる」ことの方がずっとずっと価値ある、大事なことでないのかという。
そんな、「人生を面白がる」というスタンス、そういうポリシーが、もっともっと広く一般化しないものかと今、強く思えているのです。
ここ最近の日本は、昭和天皇崩御の時に、全マスコミが挙げて「弔意を表して」日本国中が「悲しみの中にひっそりと息をつめて生きて来た」という格好が一般化しているのです。
同じことが、2011年の東北大震災の時にも起こったのです。
日本国中が、被災地に寄り添って「悲しみを共有し、軽佻浮薄な雰囲気を醸し出してはいけない!!」的な状況になっていたのです。
そして今、能登大地震を受けて、同じように日本国中がそういう「悲しみと悲惨の共有」の圧を受けているのです。
そんな風潮に対して、天邪鬼な私の一面が、「違うだろっ!!」と叫びたいような感情も湧き出たりするのです。
そういう悲しみを真っ当に受けて、被災者の心に寄り添い、「私たちも今は軽佻浮薄に流れないで、今はその悲しみを共有して静かにしておくべき・・・」という心根をもつ人は、まことに心優しき本当の有徳の士、有徳の貴婦人でないのかと、そう思えるのです。
しかし、そういう真実の心の優しとは別次元での発想で、「私は皆さんに助かって欲しいのです~~!!」、「皆さんに寄り添いま~~す!」とかなんとか叫び、なんか助けに行きたそうにして、「出来ることはなんでもしまっせ!」的な、いかにも安物の政治家が言いだしそうなことを、市民活動家だとか理想主義的左翼活動家諸氏がそういう雰囲気を醸し出すことに、私は(ケッ!!)と蔑みたいような気分すら生じることを禁じ得ないなのです。
そしてテレビなどマスコミが、ここぞとばかりに「悲しみの表情」を特集して映し出すことにも、強い違和感を禁じ得ないのです。(もちろん、それを「ヨクナイコト」などと言うつもりはないのですが・・・)
ただ、私は「うそだろ」の言葉を聞いて、それを面白いと思い、それを聞いて思わず笑ってしまった時、こう思ったのです。
まさに、「人生、全てのことを笑い飛ばすことが大事!」と。
しかし、日本社会は、そういう「悲劇を笑い飛ばす」ことを嫌うような雰囲気なのです。
だとするなら、もう、マスコミ始め「多くの日本人が悲しみ大好き」なら、もうそれをヨシとしましょう。
そうではなく、一部の「とんがった」、一部の「変わり者諸氏」が先陣切って、「何ごとも笑い飛ばす!」という生き方を実践し、それを「新しい生き方」として世に大いにアピールしたら良いのではないかと、そう思えてきたのです。
「悲しみをぶっ飛ばし、悲しみを面白みに換えてしまえ!」と。
もう、ずいぶん昔のことですが、東田直樹クンという個性的な自閉症の人物がいたのです。
(私はテレビの特集で知ったのですが)
その東田クンがこう言うのです、
「人はどんな困難をかかえていても、幸せを見つけ、生きることが・で・き・る、丸!」と。
いやいやいや、至言であると・・・。
そういうことでありまして、能登大地震の被災地の方には、ほんまに大変なことであると同情を禁じ得ないのですが、それとは別としまして、でき得るなら、そういう悲劇を、「もう面白がってしまう!!」ようなスタンスでこれからの人生を生き抜いて欲しいとも思うのです。
でき得るなら、日本の全国民に先駆けて、「私たちにもう同情は要りませんよ(笑)。私たちはこんな最低最悪の状況でも、こんな状況を笑って、面白がって生きて行きますよ!私たちは強いんです(笑)!!」というようなアピールを、もう能登の人たちが声に出してテレビの前で笑って言って欲しいものであると。
えせら薄い理想主義的左翼政治活動家諸氏に、そう面と向かって言い放って、彼らが尻尾を丸めて逃げ出すようにして欲しいものであると。
いやいや、不謹慎といえば不謹慎なのでしょうが、どうも私には「心底からの優しき心」が少しく欠如しているらしく、どうもこういう状況にはいつも「強烈な違和感」を禁じ得ない、そういう天邪鬼的な側面があるのです。
いや、本当に、岡田斗司夫氏ではないですが、「人生を面白がる生き方」こそ、これからの、新しい時代にふさわしい、求められる生き方でないのかと、そう思わざるを得ないのです。
そして私も、高校生の頃の人生観、価値観を再び蘇らせて、「我が身の不幸」を笑ってしまう生き方に換えて行こうと、強くそう思うのです。
正月早々、トミさんがぎっくり腰になって、今ヘロヘロなのです。
本当に90歳のお婆さんになっているのです。
そして方や私も、リンパ節の切除があって「胸が痛い」のです。
もう常に胸の痛みが気にかかって、真っすぐ立っていられない感じなのです。
実際、ヘロヘロなのです。
本当に、90歳のお爺さんになっているのです。
夫婦して、正月早々「半病人風情」でヘロヘロしているのです。
そんな中、トミさんは「事業化するわよ!」と鼻息も荒いのです。
いやいやいや、そんなヘロヘロな70歳の老夫婦が、「事業化だってぇ?」、(プフ・・・)なのです。
いやいやいや、笑われるような始末なのです、ほんまに。
ですが、もう逆に積極的に「笑っちまえ!」とも思うのです。
もうメチャクチャ、なのです。
もう「何、考えてんねん?!」レベルなのです。
いやいやいや、誰がどう見ても「ありえんだろ・・・」なのです。
そんなムチャクチャ、メチャクチャであっても、
私の冷静な部分がそういう冷静な判断を下しても、
方や一方の「お気楽ノー天気な楽天家」の私が、
「もうなんでもありやん!」
「笑っちまったらええがな(笑)」
「人生、面白がった者勝ちよ!」
という声を発するのです。
そしてキリンさんも言うのです、
「変化が大事、変化を楽しめ」などと。
いやいやいや、
年明け早々、
日本が大変、
同時に我が夫婦が大変、
でも地球は巡る、のです。
いやいやいや、
ほんまに、
はてさてこれからどんな風に展開して行くのでしょうか。
もう人様に笑われるような恰好なのですが、
むしろもう「積極的に笑いを取りに行こうか」という。
・・・・
2024年は、確かに波乱の幕開けでした、
我がKOBON家も、これからどういう風に転がって行くのでしょうか。
いやいやいや、
ほんまに「一寸先は闇」&「塞翁が馬」なのです、人生は・・・
仮にどんなことが起こってこようが、もう決まったのです、
「全て面白がること!」
「全てを笑ってしまうこと!」と。
頑張りまっしょい!
ではでは。
【ご参考】
(1分53秒)