穏やかに戦争に向かう | Moony's Train

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むーにーかねとしの写真日記 鉄道日記はhttp://moonybonji.blogspot.jp/


過去70年、戦争が無かった国は、穏やかに戦争に向かうことを忘れている、もしくは教わらなかった、もしくは想像できなくなっている。

戦争は、大河ドラマで緒方直人や渡辺兼のような勇猛果敢もしくは悪そうな戦国武将が「いくさじゃ!!!」と叫ぶと起こると思っているのである。
戦国武将、三国志の劉備、諸葛孔明、もしくは、東条英機、ヒトラー、ムッソリーニ、あるいは、ナポレオン、サダムフセイン・・・
戦争を起こす誰かがいて、巻き込まれるのは悲劇の小市民・・・
日本人は簡略化した戦争の図式を学校で勉強する。

しかし、穏やかに戦争に向かうことは多いのではないか。

小心者で(オツムも弱い)あるアベ首相が戦争を起こすことが想像できない。
東映やくざ映画の組長みたいな顔の男が首相になり、「いくさじゃ!!」と言い出せば、危機感を持って誰かが止めるだろう、と思っている。


あるいは、災害派遣であんなに頑張ってくれている自衛隊員が戦場に行くことなんて想像できない。

先日も海外派遣された自衛隊員がテレビに映る。
任務を遂行する姿は頼もしい限りだが、言葉の端にこぼれるその優しい笑顔は、我々と何ら変わりは無い。
当然、彼らも夫であり、父であり、人間である。
当然、我々と変わりは無い。

では、2・26事件で決起した青年将校の顔は、自衛隊員とどれだけ違っていたのだろう。
現代の歴史観では、一緒に比較することさえ申し訳ない気持ちがする。
2・26事件で決起した青年将校の顔は、自決した時の三島由紀夫さんのような風貌だったのだろうか。
そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。
彼らだって親もいれば子もいる、人間である。


ヒトラーがミュンヘン一揆を起こした頃のドイツ国民は、恐慌の閉塞感の中で選挙でナチスに期待してしまった。
未だに人気の高いJ・F・ケネディがベトナムへの派兵拡大を決めた時、誰がその後の悲劇を想像していたのだろうか。

サダムフセインのクウェート侵攻に対し、湾岸戦争が起こった時、多国籍軍は英雄のような印象だったが、その後の歴史はこれで良かったのか。


世界の戦争の始まりは、日本人が簡略化して学習する歴史の教科書よりもっと複雑で、穏やかに戦争に向かってしまうのである。


ある日、南シナ海で1発の銃声が鳴り、気が付けば那覇や厚木や横田や岩国にミサイルが飛んでくるようになるかもしれない。
そのミサイルが逸れて住宅地に落ちても、「民間人を狙ったものではない」と言われるだろう。
三菱、日立、東芝の工場にミサイルが落ちて、従業員が死んでも、「軍事関連の工場を狙ったものだ」と言われるだろう。
自衛隊員の笑顔も消えるかもしれない。

誰も「いくさじゃ!!」と言わなくても。。。