5月に種蒔きをしたミニトマトが、現在ようやくこんな姿に!
花が次々と咲いて、ちっこいかわいらしい実になってきました^^
たった一粒の種が芽を出してここまで生長し、たくさんの実を結ぶ…
収穫は一番うれしい瞬間だけど、そこへ至る過程もワクワク楽しいものです。
ちなみに、今年初めて蒔いたカブは、まだ葉ができ始めた頃に虫さんたちに全部食べられてしまいましたとさ。
種を蒔いても収穫に至らないこともありますね。
むしろ途中で虫たちに喰われず、枯れもせず、無事に育ってくれることが幸運というべきか。
今こうして生きている私たちも、
親の胎内で一つの細胞から始まった命ですからね…
植物が育ち、花が咲いて実を結ぶ。
人の命が母の胎内で育ち、この世に生まれ、育っていく。
いのちの育ちゆく過程を見るのは、はらはらするけど、本当に楽しく喜ばしいものです。
こうして今こうして生きていることを改めて感謝したりします。
親に、周囲の人たちに、自然の恵みに。
人も植物も、自分の力だけで成長し、生きていくことはできません。
その生育環境(土壌)によって育ち方はだいぶ変わってきます。
あまりに生育に適さないと、いびつに育ったり、最悪の場合は死に至ります。
種蒔きといえば、いつも思い出すのはイエスのたとえ話のなかの「種を蒔く人」の話です。
イエスのたとえ話は、
種=(神の)言葉、
種が育つ場所=人の心 であるとして、
同じ言葉を受け取っても、その人の心次第で全く異なる結果をもたらすというものです。
大切なことを伝えたくても、
相手にその通り伝わるとは限らないということ。
受け取る側の心の在りようや知識の有無で、
ひとつの言葉が全くの無駄にになるか、生きる力となるか…
トマトを収穫したかったら、適切な時期に、適切な土壌にトマトの種を蒔く。
水や日照も必要です。
全ての環境条件が整ってようやく収穫が期待できるのですね。
たしかに、子どもが育つ環境にしても、
両親や友人から愛されて育ったのと、虐待されたり無視されて育ったのでは、
姿は似ていても中身は全く別の人格になりますよね。
子どもは自分で育つ環境を選ぶことができません。
周りの大人がその子たちの成育を見守り、
必要に応じて手助けをする必要があります。
大人になってからもやはり、
目にするもの、耳に入ってくる言葉や情報、口に入れる食物によって私たちは日々作られ続けています。
子どもとは違って、大人であれば自らに対して蒔く種を選び、土壌を耕して育てることができるはずです。
ところが…
知らない間に私たちの頭の中に、頼んでもいないのに勝手に種が蒔かれて、
よくわからないものがどんどん芽を出し、育っているように思えるのですが…
義務教育という形で均一に耕される私たちの頭。
育ち盛りの子どもたちにとって、教室はあまりに狭く閉鎖的です。
いじめが常態化し、不登校になる子が出てきて当たり前です。
育ちに違いが出るとすれば、家庭や近隣の環境や人間関係など、
学校の外で心や体を健やかに保てる場所があるか否かではないでしょうか。
私は学校が苦手でしたが、家に帰ったらのびのびできたし、
近所に遊べる友だちも場所もあり、楽しい!と思える時間があったのはありがたいことでした。
学校の授業も試験も苦痛でしかありませんでしたが、それでも今も本を読んで学ぶことが好きなのは、
子どもの頃からずっと、自由に考えて動ける時間と場所があったからなのでしょう。
子どもが学校と習い事で忙しすぎるのは、子ども自身で育つ機会を奪うことに繋がっていると思います。
肥料や水を次々と投入して野菜を早く大きく育てようとするように、
子どもに次々と教育を詰め込んで偏差値を上げようとすることがいかに不自然なことか。
その不自然が当たり前になると、もはや自分で考えて動くということができない大人になってしまう…
野生動物のように危険から身を守るためには闘うか、あるいは逃げるかの二択であることを知らず、
ただひたすら耐えるという一番やってはいけない選択をする人がいかに多いことか。
そうして育った大人にメディアの情報が荒波のように押し寄せる…
膨大な情報を取捨選択することもできず、その中に溺れていく…
30年ほど前に私が初めて読んだ経済学の本は、
都留重人の『経済の常識と非常識』でした。
詳細は忘れましたが、強烈に印象に残っているのは冒頭のたとえ話(またたとえ話(笑))です。
たしかこんな話でした。
A国に住む男が、大金を稼ぎたいと考えた。
どうやらB国には蚊取り線香というものを売って大儲けした奴がいるらしい。
まだA国には蚊取り線香が存在しないから、そいつを売ったら儲かるのでは?
しかしA国にはB国にいる「蚊」という虫が存在しない。
そこでその男はまず、B国から蚊を大量に輸入して、A国中にばらまいた。
A国の人々は突然大量発生した蚊に苦しめられた。
男はそこですかさず輸入しておいた蚊取り線香を売りに出した。
蚊取り線香は売れに売れ、男は大金持ちになった…
資本主義の仕組みをわかりやすーく説明してくれたこのたとえ話、
きちんと理解すればいろいろだまされずに済みます。
(それでもいっぱいだまされましたが…)
これは、「金」(利益)を収穫するための種蒔きのやり方ですね。
イエス・キリストのたとえ話とは大違い((笑)
ん? 最近似たようなことありませんでした?
何とはいいませんが、なんかすごいこわいウイルスが急に世界中に広まって、
予防するためにあれこれ必要で、みたいな……?
まあそれ以前にも、さまざまな形で「蚊」が発生してきました。
都留重人さんのたとえ話に沿って考えると、
ある有名メーカーの化粧品が売れるのはその化粧品が良質だからではなく、
化粧品を売って儲けたいから女優さんのCMで美人になるイメージを作って販売した
戦争が起こったから武器が必要になったのではなく、
武器を売って儲けたいから戦争を起こした
病気になる人が増えたから薬の需要が増えたのではなく、
薬を売って儲けたいから病気になりやすくしたり病気の基準を変えた
ということになりますね?
私たちが健康で幸せになるために本当に必要とするものを求めて努力していたら、
今頃私たちはみんな健康で幸せになっているはずです。
私たちはそのための種を蒔いているのでしょうか?
それとも、種蒔きも世話もすべて他人にお任せでいながら、
思い通りの収穫が望めると思い込んでいないでしょうか?
自分の望む結果は、自分自身でその種を蒔き、大切に育てるしかないのです。
もうすぐ収穫できそうなミニトマトを見ながらつらつらとそんなことを考えてました。

