真実でない言葉はもういらない!ーコミュニケーション力と協調性だけではもうだめだ… | 笑いと感動は日々の生活の中に…

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日々の生活の中でのさまざまな出来事を通して気づいたこと、面白い!と思ったことをなんとなくつづってみたいと思います。

口は何のためにある?

主に食べるため、飲むため、呼吸するため、

そして話すためにありますね。

口から入るものは空気や水、食物で

出て行くものは空気、そして声であり、人間であれば言葉です。

この言葉のあり方というか、前提が今や崩れようとしています。

いや既に崩壊してしまったと言ったほうがいいのでしょうか。

 

話すことはどれもデタラメでその場をしのぐ嘘ばかり、

それでいて真実ではあっても自分に不都合であれば黙殺し、「なかったこと」にしてしまう。

そんな大人の社会で、もはや子どもたちに「嘘つきは泥棒の始まり」とか

言えない時代になってしまった今の日本。

 

初歩の初歩だったはずですが…「正直である」ということは。

言葉というものは話すことであれ書くことであれ(「これはフィクションです」という断り書きがない限り)

真実であることが大前提です。

なのに、言ってることがいつも本当とは限らなかったとしたら、どうなりますか?

大切なことを、それももしかしたら命に関わることを言ってもらえなかったら?

それが個人レベルではなく、国や企業による国民を欺くレベルの話だとしたら?

 

実際、現在の厚生労働省がこれではね。

雇用に関するデータに誤りがあっただけではなく、それを隠蔽し、更にもみ消そうとしたとは!

これは私たち国民全体の生活に関わる問題で、はっきり言って死活問題ですらあります。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00000009-asahi-pol

 

命に関わる重要な事実の隠蔽がここでも明らかに。

11歳の子どもが100ミリシーベルトも被爆していた事実!

当然この子だけじゃないですよね!?

福島の原発事故から8年経とういう今頃になってようやく明るみに出るとは・・・

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190121-00000083-asahi-soci

 

ネットのニュースでは、ぱっと一瞬報じるだけで、おそらくその後の経過はうやむやになっていくことでしょう。

森友問題はどうなったんでしょうね?

お金だけの話ではなく、組織レベルで文書の改竄が行われた、

公文書が信じられなくなった事件としてものすごく重大な事件だと思いますけどね。

 

神戸製鋼や大手自動車メーカーなどのデータ不正も然り、

いじめによる児童(時には親まで)自殺しても、いじめの事実を隠蔽しようとする教育現場も然り、

現在の私たちが直面している「言葉」というものに対する危機は、二つあるのではないでしょうか。

 

一つは「自分の都合で真実を捻じ曲げて言う=嘘も方便」

もう一つは、「重大な真実を知っても、それを口にしない、あるいはできない」ということです。

 

前者はどちらかというと、権力を持つ人たちに多く、

後者は権力に従う人たちによく見られる気がします。

どちらがより悪いという比較はできません。この二つはセットだからです。

そして、積極的に嘘をつく行為は大部分の人たちも良しとはしないものの、

不都合な真実に口をつぐんで、嘘の手助けをしている人は、実はかなりの数に上るのではないかと思うのです。

 

現在、企業や組織で重要視されている能力の一つにコミュニケーション力があります。

相手の話を理解し、自分の意思を相手にわかるように話す、確かに大切な力です。

これが適切に用いられたとしたら、社会はもっと円滑に、そして健全に機能するはずなのですが…

ここで問題になるのが、必要以上に求められる「協調性」です。

そして、学校などの教育現場では、集団行動によって、

個人の意思よりは周囲に合わせる努力を日々させられています。

それをきちんとこなす子が「いい子」とみなされて、評価されています。

もちろん、協調性は大切です。

とくに農業中心だった近年までの日本では、みんなで力を合わせることで日々の糧を手に入れていた名残からか、

集団行動やスポーツの団体競技は日本人の得意とするところです。

でもね…

もし自分たちの目的ややり方が、どう考えても正しいと思えなかったり、

明らかに間違いだと気付いたとき、それでも「みんなに合わせて」いきますか?

「それは違うんじゃないか?」と、口に出しませんか?

 

ただ、集団に対して自分一人が違う意見を言うとか、違う行動を取るということは、

口で言うほど簡単ではないのが今の日本です。

本当は、間違いを間違いと言えない、

間違った空気を読みながらひたすら周囲に合わせることを求められる集団には

最初から所属しないというのが正解のようにも思えます。

そう考えると、現在増えている不登校は、不登校になった子どもの問題なのか、

それとも…?

例えば卑近な例ですが、うちの娘も、実は中学時代はクラスの同調圧力に耐えられず、

その結果教室に居場所を見出せず、休憩時間を図書室で過ごす日々を過ごしました。

そこでやはり教室にいたたまれなかった他のクラスの子たちと出会い、仲良くなったのです。

図書室仲間とは、今でも親友同士のようです^^

どの子たちも知っていますが、みんな本当に優しく、個性的で、かわいい子たちです。

 

「口が上手い」というのが褒め言葉ではないように、

ただコミュニケーションの技術を磨くだけではどうにもならんのです。

そして、そこに下手な協調性が加わると、それはもうただの「お調子者」です。

現政権の閣僚や取り巻きたち、まさに権力にヘイコラしているお調子者集団だと思いませんか?

それに対して、少数派であっても、それどころかたった一人であっても

世の中の不正に対して声を上げている人たちに共通するもの、

それは「真実を言葉にする勇気」です。

本来ならば、言葉が真実であるのが当然で、当然のことだから誰でも当たり前に口にできるはずなのに、

おかしな世の中ですね。

 

嘘つきと、その嘘を守る人たちに迎合して生きていくために、

そして社会をもっと悲惨な状態にするために

せっせとコミュニケーション力と協調性を磨くなんて悲しすぎます。

それを自分の子どもたちにさせたくもありません。

 

口は何のためにある?言葉は何のために使う?

自分の口から出る言葉に責任を持ち、時には勇気を出して真実を語れる人間でありたいと

切実に思う今日この頃です。