東京—九州間の寝台特急のうち、JR九州の受け持ちだった「はやぶさ」「富士」。使用された24系25形客車のオハネフ25形は1980年代後半、貫通幌(ほろ)が青色になりました。編成端の変化について探ってみました。

 

 

「富士」の編成端に組まれた、貫通幌が青色だった熊本運転所のオハネフ25形100番台=防府、1990年

 

 

 

国鉄分割民営化を控えた86年11月ダイヤ改正では、九州ブルートレインも編成や車両配置が見直され、品川客車区(南シナ)配置だった「はやぶさ」「富士」の24系25形は、基本編成(1〜6号車)が鹿児島運転所(鹿カコ)に、付属編成(7〜14号車)が熊本客車区(熊クマ、後の熊本運転所)にそれぞれ転出しました。

 

その後、編成端に組まれるオハネフ25形は、後位側の妻面に取り付けられた貫通幌が、従来のグレーから車体に合わせた青色になりました。正確な時期は把握していませんが、90年ごろまでには変わっていたように思います。

 

 

青色に変わったオハネフ25形100番台の貫通幌

 

 

 

私がよく見ていたのは、下り「富士」の最後尾14号車(付属編成端)に組まれた切妻型のオハネフ25形100番台とやや後退角が付いた200番台ですが、6号車(基本編成端)に組まれる鹿児島運転所の同タイプも青色だったようです。

 

一方、少数が在籍し共用されていた初期型のオハネフ25形0番台は、管見の範囲では青色になっていませんでした。

 

 

鹿児島に配置されたオハネフ25形0番台も、「はやぶさ」が熊本止まりとなった97年以降に熊本に移り、付属編成端に入るようになりました。貫通幌は青色になっていませんでした=下関、1999年

 

 

 

この違いはどこからくるのか—と考えたとき、貫通幌の構造が引っかかりました。青色に変わったオハネフ25形100番台・200番台の外づり式に対し、0番台は使わない際は車体に埋め込むタイプになっています。

 

熊本運転所に配置され、晩年の「富士・はやぶさ」でも使われた14系客車を見ても、貫通幌を埋め込むスハネフ14形は金属の地色のままで、オハネフ25形200番台と同仕様だったスハネフ15形は青色になっていました。

 

 

 

「富士・はやぶさ」のスハネフ15形(上)とスハネフ14形。貫通幌の差は最晩年まで明確でした

 

 

 

オハネフ25形の貫通幌の青色化がどのような経緯で施工されたのかは分かりませんが、国鉄末期に発行された書籍に、青い貫通幌を取り付けたスハネフ15形の「あかつき」(当時、向日町運転所配置)の写真が載っていました。

 

先述の86年11月ダイヤ改正では、スハネフ15形も4両が向日町から熊本に転出しているため、その中に青い貫通幌の同形が含まれていたとすると、それが「はやぶさ」「富士」のオハネフ25形に波及した可能性もあります(あくまで想像ですのでお聞き流しください…)。

 

 

「はやぶさ」「富士」の24系25形は1人用B寝台個室「ソロ」を連結した以外は、編成単位のグレードアップには恵まれませんでしたが、オハネフ25形の青い貫通幌は見栄えが良くなり、ささやかながら特急の風格が増したように思いました。

 

 

 

※「はやぶさ」「富士」編成を担った熊本運転所については、姉妹ブログ「歴鉄2番線」で紹介しています