東海道・山陽本線の主力機だったEF66形電気機関車。45号機は2010年9月20日の引退まで36年間、下関を拠点に活躍しました。1974年8月21日の落成からちょうど50年。同機の現役時代を振り返ってみました。

 

 

「30歳」を迎えた2004年夏に「あさかぜ」をけん引するEF66 45=埴生—小月

 

 

 

EF66 45は0番台最終ロットの1両で、落成から10年半は貨物機として活躍しました。85年3月のダイヤ改正で寝台特急けん引機に抜擢され、その後24年にわたって主に下関—東京を往復する長距離運用をこなしました。

 

EF66 45はラストナンバー55号機や晩年青い手すりだった53号機などに比べると目立つカマではなく、黙々と働いている印象でした。

 

2008年9月23日時点の累積走行距離が787.4万㌔と、ブルトレ用として下関に最後まで残った10両の中では、最も少なかったようです。

 

 

華やかな寝台特急「さくら」のヘッドマークを掲出したEF66 45=下関駅、1991年

 

 

 

それでも、2009年3月に廃止された「富士・はやぶさ」の最後の半年間は、ちょうど08年9月に全般検査を受けてピカピカだった45号機が注目され、登板を待ちわびる人が多かったように思います。

 

「富士・はやぶさ」のラストランには下りが53号機、上りは42号機と、存在感のある僚機に譲って出番なしでしたが、49号機とともに下関に最後まで残ったEF66形としてその名を刻みました。

 

 

「富士・はやぶさ」の最晩年、ピカピカの車体で注目を集めたEF66 45=新下関—幡生、2008年

 

 

 

EF66 45は廃車後に解体されましたが、幸い前頭部は保存されることになり、1エンド側が嵯峨野観光鉄道の施設「ジオラマ京都JAPAN」に、 2エンド側はさいたま市のほしあい歯科に保存されています。

 

個人的には貨物機時代も遭遇し、EF66ブルトレの乗車で最初と最後に当たった機関車でした。運転台部分だけになってちょっと寂しいですが、どんな形であれ姿をとどめているのはありがたいことです。いつかこの「旧友」に再会したいと思っています。