1999年の南紀熊野体験博に合わせた臨時快速としてJR阪和線・紀勢本線に登場した 12系・24系「きのくにシーサイド」。2004年には山口・島根両県の4路線を走る快速「萩・津和野号」として運行されました。
「きのくにシーサイド」は12系・24系を改造した4両編成(スハフ12 128・オハ25 57・オハ12 228・オハフ13 27)。塗色をそろえたディーゼル機関車DE10 1152が専用のけん引機になっていました。
面白いのは4号車のオハフ13 27で、客車ながら運転台が設けられていました。下り方に連結されるDE10 1152の機回しを省略するための措置で、この運転台でDE10形を制御し、オハフ13 27を先頭にした推進運転ができるようになっていました。
オハフ13 27を先頭に山陽本線を走る「きのくにシーサイド」を使用した快速「萩・津和野号」。ヘッドライトの点灯が先頭車両であることを示しています=厚狭ー埴生
「きのくにシーサイド」を使って2004年3月から6月にかけて運行された快速「萩・津和野号」は、下関—津和野間を山陽、美祢、山陰、山口の4路線を経由して走りました。
萩(山口県萩市)と津和野(島根県津和野町)は観光でよくセット扱いされるものの、実際には結構離れています。「萩・津和野号」はこの二つのまちに加え、海峡のまち下関をつなげる便利な列車で、4時間15〜18分かけて走っていました。
津和野行きは下関が朝9時10分発だったため、ほぼ同じ時間帯の下り線を走っていた東京からの寝台特急「あさかぜ」と一緒によく見かけました。
DE10 1152を最後尾に走る「萩・津和野号」。ヘッドライト消灯でそれと分かりますが、この写真を普通に見るとDE10形が先頭車両だと勘違いしてしまいます。2号車の展望車オハ25 57は、寝台車オハネ25 57時代から大幅に変わり、側面・天井に大きな窓を設けていました
「萩・津和野号」は4路線を経由し一部区間では運転台付き客車を先頭に走るという、いま振り返ると趣味的にとても興味深い列車でした。
「きのくにシーサイド」は2002、2003年にも快速「コバルトブルー」として東萩—下関間で運行されました。
これらの運行実績が後のキハ40系の観光列車「みすゞ潮彩」や「〇〇のはなし」につながったことを思えば、「きのくにシーサイド」を使った臨時快速列車は山口県の観光列車史に意義のある足跡を残しました。