直流電気機関車の主力として長く活躍してきたEF65形1000番台(PF形)。車端部の屋根上にある避雷器は外観上よく目立つ機器の一つで、現在はLA17というタイプが取り付けられています。1110号機などを例に変遷を見てみました。

 

 

屋根上にLA15D形避雷器を取り付けたEF65 1110=東京駅、2003年

 

 

 

EF65PF後期形の6次形と7次形(1056〜1118号機)の新製時の避雷器は、LA15Dと呼ばれるタイプでした。

 

保護カバーには筋のようなものが入り、下部の一部が平たくなっています。機関車を正面から見ると貫通扉の上に見え、小さな煙突のようにも感じます。

 

 

EF65 1110に取り付けられたLA15D。保護カバーには大きな点検用の穴が見られます

 

 

 

1979年に下関運転所と宮原機関区に配置されたEF65PF形最終の8次形(1119〜1139号機)は新製時、LA15Dを改良したLA16という避雷器になりました。

 

私たちが普段見る角度からはLA15Dとほとんど同じように見えますが、保護カバー上面のメッシュ部分がU字形に変わっているようです。

 

70年代後半から80年代前半のブルートレインブームの頃に主役だった東海道・山陽本線のEF65PF形は、このLA15D・LA16の時代が全盛期の姿と言えるでしょう。

 

 

LA16を取り付けた下関運転所時代のEF65 1136=小郡(現新山口)駅、1991年

 

 

LA16は保護カバー上面のメッシュ部分がU字形らしいのですが…このEF65 1137の写真がなんとなくそう見えるような??=小郡駅、2003年

 

 

 

避雷器はその後、現在見られるLA17というタイプに変わりました。細かい性能差は私には分かりませんが、保護カバーはLA15Dより細長くツルンとした形状になりました。やや太めのLA15DやLA16よりスマートな気がします。

 

私自身、LA17をどの時点で認識したのかは覚えていないのですが、換装が少し進んでからだったと思います。しかし、撮影した写真を振り返ると、既に90年代前半には変更され始めていたようです。

 

 

 

現在見られる避雷器LA17。保護カバーに筋がなく上面のメッシュ部分がU字形になっています(写真はEF65 1120)=2011年

 

 

 

LA15D・LA16からLA17への避雷器の変更は、EF65PF形で見ると一気に変わったという感じではないようです。写真で振り返ってみると、新鶴見機関区や田端運転所所属機は比較的早く進んだ一方、下関運転所(下関車両管理室)所属機はずいぶん後になってからで、2005年頃もLA16が見られました。

 

本稿の冒頭に写真を掲載した1110号機は、田端運転所所属機では遅くまでLA15Dが見られたうちの1両です。私が2003年夏に「出雲」に乗った時もそのままで、じっくり眺めた覚えがあります。

 

ただ避雷器もパンタグラフなどの機器と同じで、検査入場の際に他の機関車のものと振り替えて取り付けたこともあったと思います。

 

 

23年に全般検査を受けたEF65 1120。車端部の屋根上にはLA17が見られます

 

 

 

日々暮らしていると、身近なものでも意外によく知らない…ということがあります。私にとっても、子どもの頃から見慣れていたEF65PF形の避雷器はそんな感じです。

 

現在残るEF65PF形は車齢50年近くになってきましたが、あまり注目されることのない機器にも「歴史」があることを、この避雷器の変遷で実感します。

 

 

 

※今回は1110号機の落成日(78年6月22日)にちなんで書いてみました。避雷器をはじめとした機器類のことは詳しくありません。思い違いの部分などがありましたらご一報いただければ幸いです。