かつて全国各地で活躍した旧型客車の鈍行列車。私は地域的にも世代的にもほとんど接することができなかったのですが、1985(昭和60)年8月、山陰本線松江駅で見かけたオハフ33形などが印象に残っています。手元にある写真などから、当時の車両について探ってみました。

 

 

国鉄末期には数を減らしていた旧型客車ですが、山陰本線にはまだ残っていて、当時のファンの方々は熱心に追いかけられていたようです。私が朝の松江駅で待っていたのはDD51形ディーゼル機関車がけん引する寝台特急「出雲1号」でしたが、そんなブルトレ少年にも、隣のホームにいた武骨な旧型客車は日頃見かけない分、新型車両以上に新鮮でした。

 

 

当時の時刻表でこの鈍行列車を確認すると、米子駅を7時23分に発車した437レで、松江駅には7時57分に着き13分間停車。その間に急行「さんべ」を先に通し、終点の出雲市駅に9時ちょうどに着く短距離運用だったようです。

 

 

松江駅で見たオハフ33形。私にとっては、貫通扉がなくむき出しの最後尾が新鮮でした

 

 

 

松江駅での写真はその後も時々見返すことはありましたが、失敗している上、そもそも旧型客車のことは全くと言っていいほど知識がないため、詳しく調べることをせずそのままにしていました。

 

 

しかし最近になって「あの旧型客車はどんな車両だったのだろうか」と気になり始めました。写真をスキャンすると形式はオハフ33と判明しましたが、私が知っているJR以降も活躍したオハフ33 48や289とは妻面の形状が異なる、戦後型というグループでした。

 

 

私が見たオハフ33形についてとりあえず分かったことは、①47(昭和22)年に日立製作所で製造、②昭和56年か58年8月に全検(写真が不鮮明ではっきりしません)、③53(昭和28)年に長野工場で何らかの改造か更新を施工、くらいでした。

 

 

手元にある書籍、雑誌には情報がなかったのですが、詳しい方々のウェブサイトを拝見して、①のデータから当該車両はオハフ33 432〜478のいずれかまでは絞れましたが、当時の山陰本線を走っていた旧型客車の配置状況がよく分からず、車番の特定には至りませんでした。ただ、同時期に活躍していたらしいオハフ33 2447(旧447)の製造所や時期、妻面形状が私が見た車両に似ているような気がしています。

 

 

おそらく1枚目のオハフ33形の隣に連結されていたオハ46 13。この車両はJR移行後もイベント列車用に残り、私も何度か見たことがありました。「出雲市行」の行き先板には懐かしさを感じます

 

 

 

私の身近には旧型客車が走っていませんでしたが、いま振り返ると趣味対象として大変興味深く、もう少し早く生まれ・早く鉄道趣味を始めていたら…と思わせる車両の一つです。

 

 

今後は文献などを調べてみて私が見たオハフ33形を特定したいと思っていますが、もし当ブログをご覧いただいている方で何かご存じの方がいらっしゃいましたら、ご一報いただければ幸いです。

 

 

今回は個人的なことを中心に書かせていただきました。ご覧いただきありがとうございました。

 

 

【追記】

ブログでお付き合いのあるしげ鉄さんからのコメントをいただき、当時の雑誌の情報から、やはり私が見たオハフ33形は2447の可能性が高いようです。

 

 

 

※姉妹ブログ「歴鉄2番線」でも、貫通扉がなくむき出しの最後尾に驚いた思い出など、今回の旧型客車のことを取り上げました。よろしければ併せてご覧ください