地方電化路線の旧型国電を置き換えるため1981(昭和56)年に登場した105系電車。84年には103系から改造されたグループも加わりました。このうちクモハ105形100番台はクハ103形0番台が種車のため、非貫通の103系顔のままでした。ほとんどは広島地区で活躍しましたが、クハ105-104は国鉄末期から数年間、山口地区を走りました。

 

 

宇部線・小野田線を走っていた頃のクハ105-104と思われる車両(手ブレ失敗写真のため車番が確認できませんでした…)。この写真を撮った89年正月時点では朱色1号の塗色でしたが、後方の105系は既に新広島色(トリコロール色)に変わっていて過渡期を思わせます=小郡(現新山口)

 

 

 

◾️元は103系山手線第1期車のクハ103-25

 

クハ105-104は、元々は64年10月23日付で製造された103系の山手線第1期投入車のうちの1両、クハ103-25でした。常磐快速線に移ったのち幡生車両所(現下関総合車両所)で改造。84年7月27日付で105系に形式変更されました。

 

外観は前面が補強された以外はほぼ103系のままでしたが、改めて同車の写真を見ると103系基本番台の特徴だったテールライト横のKE70形ジャンパ栓がなく、クハ103形500番台のようになっています。105系化の際に撤去されたのかもしれません。

 

クハ105形100番台は101〜105までの5両が登場。のちに仙石線用として追加改造された105以外は広島運転所に配置され、ほぼ可部線で過ごしました。

 

 

 

◾️宇部線でも一時見られた103系顔

 

クハ105-104は国鉄末期の87年2月2日付で下関運転所に移り、宇部線・小野田線で活躍を始めました。ペアとなっていたのは常磐緩行線(地下鉄千代田線直通)の1000番台から改造されたクモハ105-528 (元モハ102ー1059)でした。同じ常磐線を走った2両が、遠く離れた広島・山口で手を取り合っていたというのは、なかなか面白く感じます。

 

私がクハ105-104と思われる車両を見たのは89年正月、旅行帰りだった夜の小郡駅で、105系の塗色変更が進む中、朱色1号(オレンジバーミリオン)の103系低窓車(実は105系でしたが…)が停車していて、とても驚いた記憶があります。(先日、当ブログの別記事を読まれた方から同車についての話をお聞きして、思い出がよみがえってきた次第です…)

 

 

小郡駅に停車中の105系基本番台。103系からの改造車でも、新たに先頭車となったクモハ105形500番台などは写真のような「パンダ顔」をしていました=1989年

 

 

 

◾️同期生とともに走った晩年

 

クハ105-104は、91年4月1日付の配置表では広島運転所所属となっているので、その頃までにクモハ105-525+クハ105-101の編成とトレードする形で山口地区を離れたようですが、結局93年頃にはJR西日本のクハ105形100番台は広島地区に集結しました。

 

90年代半ばまでには山陽本線、呉線にも103系が入ってきて、その中にはクハ105-104(クハ103-25)と同じ山手線第1期車も含まれていました。デビューから30年を経て同期生と「再会」を果たしたのは運命のようなものを感じます。

 

クハ105-104は冷房化改造も受け、2005年11月30日付で廃車となるまで走り続けました。同車40年の歴史のうち半分を105系として過ごしましたが、「103系顔の105系」は豊富なバリエーションの中でも特に多くのファンに注目されました。

 

 

 

※姉妹ブログでは宇部線を走ったクモハ105形500番台を取り上げています