国鉄時代に最多308両が製造されたEF65形電気機関車。中でも1970年代後半まで増備が続いた1000番台(PF形)には「1111」という興味深いナンバー機も出現しました。

 

 

「カートレイン九州」をけん引するEF65 1111=小郡(現新山口)駅、1990年

 

 

 

EF65 1111は78(昭和53)年6月29日付で製造され、東京—下関間のブルートレインけん引機だったEF65 500番台(P形)の置き換え用として東京機関区(当時)に配置されました。

 

その後、東京区の機関車無配置化や国鉄からJRへの移行などがあり、新鶴見機関区、田端運転所と所属は変わりましたが、2007年11月14日付の廃車まで29年間、東海道・山陽本線の旅客列車で活躍しました。

 

 

夜の京都駅で発車を待つ寝台急行「銀河」をけん引するEF65 1111=2004年

 

 

 

私はEF65 1111の東京区時代の記録は、当時小学生だったこともありメモ一つないのですが、同機が表紙を飾っている本をよく眺めていて、そればかりが記憶に残っています。写真を撮り始めたのはJR以降で、もっぱら「カートレイン九州」ばかりでしたが、狭い間隔で「1」が並ぶナンバープレートは目を引きました。

 

 

EF65 1111の側面のナンバープレート。「1」が並ぶため数字の間隔が狭く見えましたが、やはり面白く感じました=小郡駅、1990年

 

 

 

晩年のEF65 1111は寝台特急「出雲」と寝台急行「銀河」が主な活躍舞台で、本州西端に住む私には縁のない機関車になっていましたが、EF66形の代走で何度か下関まで顔を出しました。特に2005年11月11日発の下り「富士・はやぶさ」での雄姿は目に焼きついています。

 

 

寝台特急「富士・はやぶさ」をけん引して朝の山陽本線を快走するEF65 1111。11月11日発の1列車という「1並び」が話題?になりました=小野田—厚狭、2005年

 

 

 

機関車で「1111」が見られたのは、ほかに蒸機のD51形、ディーゼル機のDE10、DD51形で、電機ではEF65PF形のみだったと思います。「1111」は1000の番台区分でも111両製造されないと到達できないため、このナンバーを持つ形式は時代を築いたスタンダード機の証しとも言えそうです。

 

EF65 1111の活躍期間は、同僚だった1102、1103、1115号機が今なお現役であることを考えると短命でしたが、その車両番号自体で強い印象を残した機関車でした。

 

 

 

 

※姉妹ブログでは、主に国鉄末期~JR初期の鉄道を振り返っています。11月12日に新しい記事「流れ星マークを付けたEF66形〜ブルトレ専用機の証し」を公開しました