戦後を代表する電気機関車EF58 150に戦前からの伝統の展望車マイテ49 2。いずれも今は京都鉄道博物館に収蔵されている貴重な車両です。1987(昭和62)年のJR西日本発足時からはイベント列車で活躍しましたが、同年末には臨時快速「ふるさと号」として山陽本線広島ー下関間を走りました。

 

 

ふるさと号は12月26〜31日(上りは30日まで)に運転され、EF58 150は全区間をけん引。編成は当時SLやまぐち号で使われていた茶色の12系5両にマイテ49 2をつないだ6両でした。

 

 

富海ー防府間を行く「イゴマル」ことEF58 150がけん引するふるさと号。12系が白帯付きの茶色に変更されていたため、マイテ49 2と塗装がそろった美しい編成でした(この写真は逆光で分かりづらいですが…)

 

 

広島方の最後尾に連結されたマイテ49 2。安全面などから手すりが増設され外観が損なわれたデッキ部分ですが、乗客は気持ちよく展望を満喫していました

 

 

 

このふるさと号は、当時のチラシに「交通渋滞のないJRで帰省を」とあるように、広島・山口両県の帰省利用が想定されていたようです。

 

下りは広島駅を午前10時54分に出て、横川、西広島、宮島口、大竹、岩国、大畠、柳井、光、下松、徳山、新南陽、防府、小郡、宇部、小野田、厚狭と、小月以降の各駅に停車して下関に14時41分に到着。上りは下関を16時06分に出て、広島に19時59分に着くダイヤでした。

 

 

下関駅4番線に着いたふるさと号。湘南色時代の115系や瀬戸内色の115系3000番台(写真奥の7番線)と並びました

 

 

 

鉄道ファンとしては「イゴマル」「マイテ」の2大スター共演の豪華編成で、これが普通乗車券のみで乗れるのです。私も当時山口県央部に住んでいましたが、冬休みということもあり、乗るためだけに下関まで往復してしまいました。

 

乗客に人気だったのはもちろんマイテ49 2で、多くの人が展望デッキに出て流れゆく防長路の車窓を満喫していました。35年後の今、それができるのは豪華列車「トワイライトエクスプレス瑞風」だけです。そう考えるとこのふるさと号は何とぜいたくだったことでしょう。

 

 

マイテ49 2の展望室。この車両だけが混雑していた印象でした

 

 

 

「イゴマル」「マイテ」はその後も関西圏などでよく共演していましたが、広島ー下関を走ったふるさと号に充当されたのはこの年だけだったと記憶しています。

 

現在の山口県内の山陽本線は本数が削減され、来春からはワンマン運転となるなど正直あまり元気がなく、客車の臨時列車などはもう望むことはできません。その意味でも昭和末期に1週間近く運転されたふるさと号は、同線の往時を思い出させるような列車でした。

 

 

※列車名について、JR西日本広島支社のチラシでは「マイテふるさと号」となっていましたが、これは「マイテ49連結」を強調する宣伝上のものかもしれません。本稿では「ふるさと号」の表記に統一しました。

 

 

 

 

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