関西ブルートレインの電気機関車EF65 1000番台(PF形)と聞くと、多くの人が下関運転所や宮原機関区所属機を思い浮かべると思います。しかし寝台特急「彗星」は1985(昭和60)年3月から2000年3月まで、「さくら」「はやぶさ」など東京発着ブルトレを担ったかつての東京機関区所属機が、「出雲」の間合い運用で充当されていました。

 

 

下関駅から「彗星」をけん引して大阪駅に着くPF中期型のEF65 1052。同機は国鉄民営化を控え田端運転所所属となった後、いつの頃からか品川常駐組(元東京区の1098〜1116、1118号機)に加わり広域運用に入っていました。下関配置時代がある同機にとって「彗星」は「再登板」でした=1991年

 

 

 

東海道・山陽本線を走るブルトレ機として78年7月から東奔西走の活躍を見せていた東京区のEF65PF形は、85年3月に東京ー下関間の運用をEF66形に譲りました。一方で同線での運用は継続され、優等列車では「出雲」2往復と「瀬戸」のほか、新たに「彗星」と寝台急行「銀河」「ちくま」を担当。JR東日本田端運転所所属(品川運転所常駐)となった国鉄民営化後も続きました。

 

 

品川常駐EF65PF形の広域運用の注目点は、関西ブルトレの「彗星」でした。85年3月以降では唯一下関まで顔を出す運用で、機関車運用表を確認すると、89〜90年ごろの大まかな流れは次のとおりでした。

 

 

【初日】出雲1号(1001レ)をけん引して東京を18時50分に出発

【2日目】深夜1時16分に京都着。梅小路でほぼ終日休んだ後、下り彗星(33レ)となり新大阪を20時48分に出発

【3日目】明け方の4時38分に下関着。下関運転所でほぼ終日休んだ後、上り彗星(34レ)として下関を23時39分に出発

【4日目】早朝7時26分に新大阪着。京都へ移動。その後休み

【5日目】日付が変わった真夜中の0時33分、出雲4号(1004レ)をけん引して京都を出発。6時56分に東京着

 

 

「彗星」の仕業を終えて下関運転所に到着し、機留線で休むEF65 1103。ヘッドマークは折り返しの上り運用に備えて付け替えられています=2000年

 

 

 

品川常駐EF65PF形の広域運用では関西圏の配給列車も担当していたようですが、全体的には夜に働くブルトレ機の宿命か、昼間は車庫で休んでいることが多かったようです。JR間で分担の取り決めがあったのかもしれませんが、現場の事情を知らない私には非効率に見えてしまいます。

 

 

それでも長く続いた広域運用。東海道・山陽本線の機関車全体で考えると、東京ー関西ー下関と分かれた仕業は、ダイヤの乱れや故障などのトラブル時、機関車の運用差し替えを行う上では都合が良かったのでしょうか…。

 

 

本州の西端、山口県の鉄道ファンにとって寝台特急「彗星」は、85年3月以降、元東京区のEF65PF形が見られる唯一の定期列車として貴重な存在でした。しかし実際にやって来るのは真夜中。興味深い広域運用でしたが、青いヘッドマークを誇らしげに走るPFにお目にかかる機会はほとんどありませんでした。

 

 

 

※姉妹ブログでは、元東京機関区のEF65PF形の下関運用について振り返っています