現在では多くの新幹線が発着するJR東京駅は、そのホームが拡充されるたびに在来線のスペースを転用してきました。1992年から始まった北陸新幹線乗り入れに伴う工事は、当時ブルートレインが発着していた東海道線ホームを暫定的に2面3線化するなど、大規模なものになりました。

 

 

この工事は東海道線用の第5ホーム(9・10番線)を新幹線ホームに転用するため、東海道、京浜東北・山手線の各ホームをそれぞれ丸の内側にずらし、はじき出される形となる第1ホームの中央線を重層高架化し、9メートル高い位置の新設ホームに移すというものでした。

 

 

東海道線の2面3線化は、第4ホーム(7・8番線)の幅を12メートルから8メートルに縮小する工事から始まり、狭くして生み出したスペースに、ブルトレなどが発着する仮設の第5ホーム(9番線)を94年春に設置。第5ホームは閉鎖されました。廃止が近づいていた「みずほ」(東京ー熊本・長崎)と「あさかぜ1・4号」(東京ー博多)も、この仮設ホームから発着しました。

 

 

1994年秋頃の仮9番線。ホーム幅が4メートルと狭く、工事に入った旧第5ホーム側が壁で覆われていたこともあり圧迫感が強く感じられました。写真は博多行きあさかぜ1号の発車前の光景。次に出る「湘南ライナー1号」の乗客が列をつくるため、ホームはさらに窮屈に感じられました。入線から発車までの時間も短く、もはやブルトレの旅情は皆無でした

 

 

あさかぜ4号で東京駅に着き、仮9番線を通って品川方へ機回し中のEF66 41。工事に伴う暫定的な光景とはいえ、第5・6ホーム間に機回し用の11番線があって視界が開けていた昭和50年代と比べると、信じられない狭さでした

 

 

仮第5ホームの神田方先端部分。写真はあさかぜ4号で到着したEF66 54が切り離されたところです。ブルトレはその後、ダイヤ改正のたびに次々と廃止されましたが、この狭い仮設ホームがそのまま使用されていたら写真撮影の鉄道ファンは入場制限されていたことでしょう

 

 

グレードアップされたあさかぜ1号の食堂車オシ24形。アンティーク調の内装の灯りが、殺風景でせわしなかった東京駅仮第5ホームの唯一の癒やしだったような気がします(ただこの当時、食堂車としては営業休止状態でした)

 

 

 

 

1994年12月のダイヤ改正で廃止、臨時列車化された「みずほ」と「あさかぜ1・4号」は、このホームで終わりを迎えました。工期短縮のための暫定措置とはいえ、新幹線ホーム増設工事と同時進行で行われたブルトレ発着ホームの仮設化は、いま思うと寝台特急の一層の退潮を暗示していたように思います。

 

 

東京駅のブルトレといえば、昭和50年代前半のブームの頃、「さくら」(東京ー長崎・佐世保)と「はやぶさ」(東京ー西鹿児島)の機関車が12・13番線で並んで発車を待っている姿や11番線の機回しシーンが語られますが、その後の光景はあまり話題になりません。手狭だった仮第5ホームからの発着はわずか2年間でしたが、衰退が始まったブルトレ史後半の1ページとして記憶しておきたいところです。