上野ー金沢を上越線経由で結んだ寝台特急「北陸」は1975(昭和50)年に登場。走行距離517.5㌔はブルートレインで一番の短距離ランナーでした。

 

 

上野駅に到着した「北陸」。けん引機は国鉄時代最新鋭だったEF64 1000番台=1987年

 

 

 

国鉄時代は、食堂車やA個室寝台車をつないだ「あさかぜ」「はやぶさ」などと比べると地味な存在でした。ブルトレ関連書籍でも「北陸」が載っているのはたいてい後ろの方。「走行距離が短い」「表定速度が遅い」…当時子どもだった私にはネガティブに見えました。

 

 

ところがJR発足後、航空機や夜行バスとの競合もあり89年から車内をグレードアップ。最盛期にはA寝台個室シングルデラックス1両、B寝台個室ソロ5両が連なる個室比率がきわめて高い編成となりました。

 

 

長距離を走る東京ー九州のブルトレが航空機や新幹線と勝負にならなかったのに対し、「北陸」は「寝ている間に目的地」というブルトレの理想的な立ち位置が可能でした。地味だった列車の充実ぶりには驚かされましたが、JRとしても商品価値が比較的高かったのだと思います。

 

 

トレインマークはオレンジと茶色系。東海道・山陽筋のブルトレにない色味で印象に残りました

 

 

さらに画期的だったのは、終点の金沢に着いたあと午前9時ごろまで車内で過ごせる「北陸」独自の「チェックアウトサービス」です。これは到着時刻が午前6時半ごろと早いため、列車をいったん隣の東金沢駅まで回送し、乗客はゆっくり起きてから普通列車で金沢駅に戻るというものでした。

 

 

東京口のブルトレに親しんでいた私は、朝の6時台に着く「出雲」2本と「銀河」あたりは少し早いな…と感じていたので、このサービスには当時「なるほど」と感心しました。もっとも、列車を長時間留置する場所がない東京駅周辺では実現は難しかったと思います。

 

 

チェックアウトサービスは、ブルトレの新たな可能性を見せましたが、案内は車内放送のみにとどまったようで、あまり浸透しないまま2年ほどで終わってしまったのは残念でした。

 

 

「北陸」は2010年春に廃止されました。西日本に住む私には乗車機会のない列車でしたが、短距離ランナーの弱点を逆手にとったチェックアウトサービスなどの工夫は、ブルトレ史において東京・九州間の列車にはない輝きを放ちました。