国鉄通勤形電車の代表格で約3500両が製造された103系。広島地区では1990年代から20年以上活躍しました。

 

先頭車は低運転台のクハ103形のみでしたが、のちに高運転台車が2両加わりました。福知山線脱線事故などにより車両不足となったJR西日本に、JR東日本から譲渡された8両中のクハ103-821とクハ103-828で、特徴的な姿で注目を集めました。

 

 

下関駅南の電留線にやって来た103系高運転台車(右)。広島運転所ではE04編成に組まれていましたが、引退直前に岡山地区に移った影響で、この撮影時はH21編成になっていました。簡易スカートの取り付けや戸袋窓閉鎖により、外観上はJR西日本の103系になりきっていました=2010年

 

 

 

103系は単色が基本ですが、絶妙な位置に青帯が入る瀬戸内色の低運転台車は、バランスが取れているように思います。一方で高運転台車は見慣れていないせいか、ちょっと腰高な感じがします。皆さんの印象はいかがでしょうか?

 

 

下り方先頭車だったクハ103-828=2010年

 

 

 

以前、雑誌「鉄道ファン」で知ったのですが、クハ103を増備途中から高運転台化する際、設計段階で関係者一同が「窓位置が異常に高く間が抜けた印象」を持ったといい、それでアクセントとして窓下にステンレス帯を入れることにしたそうです。

 

私はデザインについて詳しくないのですが、この瀬戸内色の高運転台車を眺めて、そのエピソードを実感しました。

 

 

クハ103-821と828は、譲渡前は武蔵野線でE38編成として活躍していたようですが、1990年代には中央・総武線各駅停車で働いていました。当時の私の乗車記録にも当該編成があり、ちょっとしたご縁を感じました。新天地の広島で頑張っている姿を撮影しなかったことが悔やまれます…。

 

JR西日本広島地区での活躍はわずか5年間でしたが、晩年の異動によって103系の歴史に確かな足跡を残した印象深い車両でした。

 

 

 

※姉妹ブログ「歴鉄2番線」では1992年に下関運転所に配置された103系を振り返っています