115系0番台の面影を残し、 個性派ぞろいだったクハ115 600番台で最後まで残っていたクハ115-608が、このほど引退しました。国鉄時代の1966(昭和41)年にサハ115-6として登場以来、52年にわたる活躍で、晩年は沿線の鉄道ファンの注目を集める存在でした。

 

 

下関の115系C-13編成の下り方先頭車だったクハ115-608。1983(昭和58)年に山陽線広島地区の短編成化による列車増発に対応するため中央線から移ってきて、先頭車化改造を受けてクハ115 600番台の一員となりました。その後は一貫して山陽線を走り続け、晩年は濃黄の車体色となりました。

 

 

 

0番台の側面に1000番台仕様の先頭部分が組み合わされたクハ115-608の外観。6基搭載されたAU13E形の分散式クーラーがよく目立ちます。

 

 

 

 

国鉄時代の面影を伝えるクハ115-608の車内。古臭いと言ってしまえばそれまでですが、この雰囲気に親しんだ世代には、心がホッとするような落ち着きと懐かしさが漂います。

 

 

2018年10月に運用を離脱したクハ115-608。その直後に開かれた下関総合車両所「鉄道ふれあいフェスタ」では、「お絵かき列車」として最後の仕事をこなしました。この車両の来歴を知っている多くの鉄道ファンが、惜別のメッセージを寄せていました。

 

 

私もこっそりと、ねぎらいの言葉を書いておきました(写真では見えない小さなところです)。車内は広告が外されていたため、特徴である分散式クーラーがよく目立っていました。

 

 

クハ115-608がお絵かき列車に選ばれたのは、引退・入場のタイミングによる偶然だったのでしょうか? 私は名残惜しそうに佇む多くの鉄道ファンを見て、現場の方々がお別れの場を設けてくれたようにも感じました。

 

 

通勤、通学、買い物…人々の暮らしを半世紀にわたり支えて「終着駅」に着いたクハ115-608。その活躍はいつまでも鉄道ファンの記憶に残ることでしょう。お疲れさまでした。

 

 

 

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