立てよ.座れ | 路傍の如来   多々方聖道石  こよなき幸せの仏教     

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JR上野駅不忍口前.辻立ち.托鉢.御相談 eメイルbongteng@live.com

立てよ.座れ

禅宗(那禅)では.動いてる(行).止まってる(住).座ってる(座).横臥してる(臥)の四つの体勢(四威儀)を以って[行住座臥これ禅なり]と宣う…
座禅.動禅.横臥禅など.それぞれに禅定があり.この内の立っている状態での禅定を立禅と言い.[立てよ.座れ]とも言われるように.つまり

仏教も本質的には立禅が主体であり.托鉢を始め歩行.沈思.四念処.立禅により成り立つのですが.

.お釈迦様は沙羅双樹の下での瞑想により大悟されたという記録を浅薄に捉えた上座部や.中華禅宗の開祖.達磨大師は壁面に向かい九年間座禅を続けたという誤った迷信により.瞑想=座禅の如く捉えられ.その結果.悟るどころか.迷いや利得や権威欲を深めた者達や.盲目的な者達や.精神を堕落させた者達により.第三の目とか.眉唾な神秘的能力の獲得の為に瞑想や座禅を行ずるような精神的に倒錯した輩さえ見受けられる…

言わば座禅も.立つ.歩く.座る.臥すの一形態に過ぎないのであり.[立禅ありて座禅あり.歩禅ありて臥禅あり]と説かれるのです…
仏教瞑想を止観(しかん)とも呼びますが.この止観とは.止(サマタ瞑想)により.心を集中させ.心を外界や動揺.散漫.乱れが無くなり静止した一定の状態を言い.観(ヴィッパサナー瞑想)により.物事や自分の内界を在りのままに見る事を言い.このヴィッパサナー瞑想こそ.お釈迦様が発見された物事の本質の透視して.究極の真理.涅槃(ニルヴァーナ)の実現.心の完全な解放へと導く.気付き.自覚.注視.観察.啓発に基づく.叡智(正しい思考と正しい理解)による分析的瞑想なのです…