心の中のゴミ屋敷 | 路傍の如来   多々方聖道石  こよなき幸せの仏教     

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♡こよなき幸せの仏教♡涅槃寺♡人々を堅固な安らぎ.喜び.幸福.満足へと導く.大乗.小乗.宗派.部派を超越した不偏なる頂乗仏教.目覚め.乗り越え.解き放て.[覚醒][超越][解放][供養][浄霊]

JR上野駅不忍口前.辻立ち.托鉢.御相談 eメイルbongteng@live.com

心の中のゴミ屋敷
心の中をリフレッシュ!
これも断捨離.大掃除!

皆さん.ゴミ屋敷と言うとテレビなどで時たま放映される食べたものやガラクタなどが道路際まで散乱していて.歩くのも難儀そうな室内を想像して[よくあんな部屋で暮らせるわね〜]なんて思っているのではないでしょうか…
でも如来から言わせて頂けば.それらは単なる物理的な問題であって物憂で片付けないだけで生死に然程も関わるとは言えない問題でしかなく.一方.現代人は.氾濫する作為ある情報.間違った情報.偏った知識.染脳(洗脳)的な知識などで.欲望の炎を煽られながら.下らないもの事.つまらないもの事.どうでもいいもの事に気を取られ.拘り.捉われ.執着.愛着しながら.ゴチャゴチャと雑念したり.妄想したりしながら心の中を.せっせとゴミだらけのゴミ屋敷を造っている事に気付けず.不満や恐怖や怒り.苦しみ(ドゥッカ)を造り出しているのではないでしょうか…
それは普段の生活のままでは中々.気付けないものであり.自我への執着.愛着を離れて客観的に自分の心の中を冷静に見つめれば、自分のそんな心に気付くことも.そんな無価値な情報や知識で如何に心が汚されているか見えてくれば、自分の本当の望みにも気付け.自分は今.本当は何をすべきかも見えてくるでしょう…
満足.安心.自信.幸せを得るには自らの信念と意欲と叡智が欠かせず.自己愛の権化でもある煩悩(存在欲)は.愚かであれ.勘違いであれ.例えそれが錯覚.染脳(洗脳)であっても[自分は正しい.自分は間違ってない.悪いのは外界だ]と自分を惑わし.擁護し続け.それが為に自分の心の中のゴミ屋敷に気付くことが出来ず.感覚.感情.主観に振り廻され.苦しみ(ドゥッカ)と渇きと貪欲を深めてゴミを更に積み上げてゆくのです…

その握り締める手と心とを放てば.幸せはその手と心に満ちるのですから…
 
例えば私達.僧侶が行じる托鉢も.私達.僧侶は働かずに他人様から喜捨や施しを得ようと辻に立っていると浅薄な人達は捉えていらっしゃいますが.生きる為に糊口を凌ぐ行為として.それも在りますが主な目的は違うのです…
皆さん毎朝.顔を洗い.歯を磨き.身づくろいに余念がないと思いますが.それは他人を意識した身体的な外見の行為に過ぎず.心の部分を毎朝.洗い.清めるのは疎かなのではないでしょうか…
托鉢僧が朝.街の辻に立っているのは物乞いでも.慈善募金でも.勧進でもなく.皆さんが今日一日の為に.折角.顔を洗い.歯を磨き.身づくろいをしたのならば一番大切な心も洗い清めて今日を過ごして頂くための[心の沐浴処]として.また必要とされる方への法施(対機説法)としての辻立ちなのです…

お釈迦様も.心ない人から[物乞いシッダールタ]などと罵られても毎日のように行脚.托鉢.辻立ちを欠かさなかったのも.喜捨や施与することを仏教徒の義務となされたのも.托鉢.辻立ちが菩薩行と位づけられるのも.心の浄化と叡智なしには真に堅固な安心.安全.満足.平穏.安寧.愉悦.快楽.歓喜.静逸など得られないという真理(真実.事実.現実.実相)への信念に基づき.真実が理解できず煩悩に煽られ欲望の真っ只中を無明の闇に包まれ盲目的に生きている人々への慈悲により.憐れみにより.幸せの法施としての托鉢と辻立ちなのです…
つまりは僅かな喜捨(施与)を頂くかわりに実は.托鉢僧が皆さんに幸せをたくさん布施をしている.という関係性なのです…
ですから有難く.合掌し.御礼をするのは喜捨される方々であり.僧は当然と受けるのです…
如来はその功徳を誉め讃えますが…
人生の意義は現象的な感覚.感情.主観に命じられて時間を浪費する事でも.何かしらを与えられる事でもなく.何を与えるかなのです…
これが理解できれば豊かな心で人生を築くことが出来るのです…
人生を好転させる唯一の方法とは.節制とは似て非なる[自分のものだ]と物惜しみ.しがみつく貧しい心を.乗り越え超越して[与える]ことなのです…
それは仕事でも人間関係でも恋愛でも.自分に対して何かしら[プラス]になるものを与えてくれる相手とか物事は受け入れ.無価値かマイナスになるものは排除してゆこうとする天地自然の流れでもあり.その理法に則った[与える][他の役に立つ]という行為が善い波動を生じさせ.運気の流れを変えてもゆくのです…
本当の引き寄せの法則とは[与える][役立つ]という因の行為(起運動)の果報として廻り巡る(スパイラル運動)による悪因悪果または善因善果として運気の流れを引き寄せてゆく摂理法則なのです…
他者にどんどん与えていきましょう…
そうすれば.因果律に遵った報酬として巡り巡って大きくなって返って来たり.徳や金運が積まれて大福を引き寄せたりしていくものなのです…
また.プライベートでも.他者にどんどん[与える]ように心掛けるようにしていきましょう…
人間.福が来たら喜ぶのではなく.喜ぶから福も訪れ.僅かな功徳が大福となって.帰って来るのですから…
言葉.笑顔.援助.金財.物.親切.愛情.奉仕…など.与える事ができるものは沢山あるはずです…
それが常に徳と運気をプラスの状態へと向かわせる秘訣でもあるのです…
[参照 施与の功徳] 
◆捨てる神あれば.助ける神あり
喜捨することで.自分を援助.応援してくれるような縁が結ばれてゆく…
◆福.受けつくさば 良い縁必ず孤なり
小福を自分だけで使っていると.良い縁に見放され.大福も取り逃がす…
昨今は[情けは人の為ならず]の諺を.その人の為にならないから.情けなど掛けるなものじゃない…などと曲解しする心の貧しい人達が増えいるように見受けられ.自分にしがみつき.目先の利に魅入られて.自分が!自分が!で.苦しみや不満を自ら造り出し.深めてもいる事に気付かず.徳(情け)を他の生きとし生きるもの達に振り向けるから福や幸運が巡り来るのだ!という因果の法則が理解出来ず.決して満たされる事のない煩悩の要求に翻弄されながら心の中のゴミ屋敷に埋もれていくような.憐れな人が増えているのですから…





純粋仏教 修養項目
僧侶(比丘)とは修行する出世俗者であり.
剃髪し粗衣を身に纏い托鉢で暮らしている…
このような慎ましい生活を送るのは負債や
生活苦の為なのではなく.我らの心身を蝕
む苦悩や煩悩から解脱し自由になるため
であり.真正なる釈迦尊の教えを実践する
聖道跡であるからなのです…
とこしえの平安を得るため.とこしえの
平安を伝えるため.修行をするのです…
成功や名声のためでも.人の上に立つため
でもなく.智慧と真理を啓き徳を高め衆生
に真の功徳を廻向し.施さんが為に.衆生に
慈悲を施さんが為に.此のような生活を送
るのです…

〇三帰依
帰依仏陀.帰依仏法.帰依仏僧
〇戒 
在家五戒
(不殺生.不偸盗.不邪淫.不妄語.不飲酒)
沙弥十戒
(不殺生.不偸盗.不淫.不妄語.不飲酒.
不塗飾香鬘.不歌舞観聴.不坐高広大牀.
不非時食.不蓄金銀宝戒 )
僧 侶 二百五十戒
具足戒
(波羅夷.僧残.不定.捨堕.波逸提.提舎尼.
衆学.滅諍)
・三摩邪戒パーティモッカの戒律
〇六波羅密
布 施 . 忍 辱 .持 戒 .精 進 . 禅 定 .智 慧
〇三 宝 印
◆諸行は無常なり(諸行無常)
一切の形成されたものは常ならざるもの
なり…
この世に存在する全て.姿も本質も常に
変化生滅するものであり.一瞬といえども
存在は同一性を保持することができない事
を言います…
諸行とは一切の造られたものの意味であり.
無常とは変化生滅しないものは存在できな
い世界(欲界.色界)であると説いているのです…
◆諸法は非我なり 
一切の事物は我ならざるものなり… 
主体的な実体としての我は存在しない…
諸法非我(諸法無我)
諸法非我の[法]とは[存在]という意味
であり.[非我]とは[永遠に続くものはない]
という意味です…
諸法非我とは[一切の存在]は永続的なもので
はなく.[仮のものである」ということ…
[諸行無常]により.時間的流れのなかで一
切のものが変転していくものであることが
説かれ.[諸法非我]により.空間的流れのなか
一切のものは固定的な実体ではなく.全ての存
在は時空な中での暫定的な存在である]という
真理を説いているのです…
◆一切は皆苦なり(一切皆苦)
一切の事物は空しく不満.不安定.苦へと向かう
性質により成り立つ
[色は苦なり][受想行識も苦なり]と説かれる
パーリ語聖典ではドゥッカ(dukkha)であり
日本語の[苦しい]という意味だけではなく
[不安定性.不完全性.無常.空性.悩み.哀しみ.
.悔い.心痛.迷い.恐怖.儚さ.弱さ.脆さ.実質の
なさ.惨めさ.無明.渇き.欲望.不満、]などの意
味も持ちます…
大宇宙も生命も本質として.空しく.不安定で
苦と不満のエネルギーにより存在している
事を説いているのです…
◆ 涅槃は寂静なり
悟りの境地(ニルヴァーナ)
〇自燈明と法燈明 
自らを燈明とし.自らを拠り処とし.他人を拠
り処とはせず.法を燈明とし.法を拠り処とし.
他を拠り処とはせず.己の信じた道を正しい
方向へと進め…(精神的支柱.心の支え)
〇正信 と 妄信 
伝説を鵜呑みにしてはならない…
教典をそのまま信じてはならない…
伝統が全て正しいと思ってはならない…
如何に論理的な言葉であろうと.誰もが揃って
支持しようと.例をあげて証明されようと.己れ
の主観と合致していようと.権威ある人の言葉
であろうと.全てを安易に正しいと信じてはな
らない…
自ら確かめる事なく受け入れる事を[妄信]と
いう…
本当の確証を得て信じる事を[正信]という…
(世界を懐疑の目で眺め.物事の本質を如実
しる事で.無明が取り除かれる…)
〇邪念 と 正念 
仮の姿を真実だと思い込んだり間違った観
念や見解を抱いていると真理には到達でき
ない… 
[真理は真理.虚仮は虚仮と知る…]
〇三学 と 三毒 (気付きと三欲) 
三学(持戒.禅定.智慧)を修めよ…
三毒(貪欲.瞋恚.迷妄)を断ぜよ…
☆持戒 心に刺激が入り込まぬよう感覚器
官を見張り.心を不安定にする行いを慎む…
☆禅定 持戒により心を安定させ正しい精
神集中により想念を一点に止め.雑念を芽
生えさせない…                       
☆智慧 心は澄んだ水面の如く一切を映す
生命の実相を見.大宇宙の法則を理解し全て
を在るがままに受け入れる…         
●三毒 (貪瞋痴)(不善処)
★貪欲
欲を貪り、欲により心の平静を乱す…
(肯定する欲望)
★瞋恚
激しい怒り.怨み(否定する欲望)
★痴愚
迷妄や無明から生ずる迷いや妄念.愚痴し
い行い。不満(生存欲)
◎自我への執着や偏見が無くなれば真理は
依り明らかに見えてくる
智慧はおのずと啓かれる
◎快楽の中の修行の成果を味わい生きる事
の素晴らしさを享受し、命の意味を覚る。
 [智慧の修行は甘美なる果実を収穫する。]
◎八 正 道
本質への正しい見解 
正見.正思.正業.正語.正命.正精進.正念.正定
正念に始まり正智に終わると言われるが、
八道を同時進行的に修養してゆく
〇十二縁起(因果律) 
此れ有れば 彼れ有り」
「此れ無くば 彼れ無し」
「此れ生ずれば 彼れ生ず」
「此れ滅すれば 彼れ滅す」
無明(妄念)
行(欲求の動機)
識(欲求の意識)
名入(選択)
六処(六根)
触(接触)
受(感受)
(愛憎・渇愛)
取(取捨)
有(所有)
生(生の所有)
老死(老化虚無)⇒
◆十二縁起の順観・逆観 因縁因果
〇四 聖 諦
苦諦 この世界は苦に満ちていると明ら
かに気付く。 
四苦八苦
生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・
求不得苦・五蘊盛苦
集諦
苦の原因が何んであるかに明らかに気付く
(煩悩により苦が発生することを明らかに
気付く。) 
滅諦 苦の原因を滅すれば苦も滅するこ
とに明らかに気付く。
道諦 苦の滅を実現する道を明らかに気
付く。 
苦を滅するには遍知・滅除・成就・修習・
八正道」の五道を実践
☆[遍知]苦は知り尽くすべき。
☆[滅除]苦の原因は滅すべき。
☆[成就]苦の滅は実現すべき。
☆[修習]苦の滅を実現する道は実践すべき。
◆三転十二行相
十二縁起により、如実知見を得る。
(眼が生じ,知識が生じ,智慧が生じ,明知が生
じ,光明が生じる。)
☆ 三転
示・内容の確認⇒勧・どうすべきかの確認
⇒ 証・了解・体得の確認
☆十二行相
【苦聖諦】
苦聖諦とはこのようなものである。(示)
苦聖諦を完全に知るべきである。 (勧)
苦聖諦を既に完全に知り終えた。    (証)
【集聖諦】
集聖諦とはこのようなものである。(示)
集聖諦を断ずべきである。   (勧)
集聖諦を既に断じ終えた。    (証)
【滅聖諦】    
滅聖諦とはこのようなものである。(示)
滅聖諦を目の当りに見るべきである(勧)
滅聖諦を既に目の当りに見終えた。   (証)
【道聖諦】  
  道聖諦とはこのようなものである。(示)
道聖諦を繰り返し修すべきである。(勧)
道聖諦を繰り返し修し終えた。 (証) 
☆ 五  蘊 (五集合要素)
【色 蘊】色かたち、
[私]を分析すると、色かたちが見つかる。
名称と形態     
ルーパ
体とは常に変化生滅してゆき、
[私]という実体はない 
【受 蘊】感受作用 
五官(眼鼻耳舌身)を観察すると苦と痛みが
見つかる
ヴェ-ダナー 
 負担に感じる量の痛み・苦が消える事が、
楽である。
【想 蘊】表象作用 五官により得た情報
を確認・再確認・妄想している。
サンニャー 
[花だ][猫だ][私は医者だ][あれは何だ?]… 
【行 蘊】意志作用 何かをしたい・
何かしなくてはという気持ちがある。
サンカーラ 
前の状態から次の「何かしたい」という
力が変化しながら流れてゆく。
【識 蘊】認識作用、識別作用
頭が知る事ではなく心が識ること。
区別判断・好嫌…
ヴィンニャーナ(心)
命・生きている認識・心のはたらき
◎区別判断するための情報や価値基準を
想蘊をつかって識蘊が識別
 判断している。
心(ヴィンニャーナ)が働く為に、
受(ヴェ-ダナー)と想(サンニャー)が必要で、
そこには必ず行(サンカーラ)が働いている

〇四無量心
慈(マイトリー)誰れ彼れの区別.差別のない
慈しみと友愛の心 楽を与える
悲(カルナー ) 他人の苦しみ悲しみへ同化
する心     苦を抜く
喜(ムディター)他人の喜びに嫉妬すること
なく同慶を感じる心
捨(ウペクシャー)極端な感情の起伏を制御
した拘りのない平静な心
〇構成要素 
五つの構成要素の集まり(五蘊)六つの感
官(六根)
 六つの認識対象(六境)とを合わせた十二の
領域(十二処)
十二の領域に六つの認識作用を合わせた
十八要素(十八界)
☆五 蘊 
<色蘊(肉体)受蘊(感受) 想蘊(表象)
 行蘊 (意思)識蘊(認識・識別) >
☆六 根  < 眼・耳・鼻・舌・身・意 > 
☆六境 < 色・声・香・味・触・法 >
☆十二処 ( 六根と六境 )
☆十八界 六根と六境(十二処)に、
感覚器官の六つの認識を加えたもの 
(眼界・耳界・鼻界・舌界・身界・意界)
(色界・声界・香界・味界・触界・法界)
(眼識界・耳識界・鼻識界・舌識界・
身識界・意識界)