ブッダが説いたこと | 路傍の如来   多々方聖道石  こよなき幸せの仏教     

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♡仏教の最高峰♡頂乗仏教♡人々を堅固な安らぎ.喜び.幸福.満足へと導く.大乗.小乗.宗派.部派を超越した仏教.目覚め.乗り越え.解き放て.[覚醒][超越][解放][供養][浄霊]

JR上野駅不忍口前.辻立ち.托鉢.御相談 eメイルbongteng@live.com

人の心のその奥に.仏も住めば鬼も住む…

仏が育てば鬼は滅し.鬼が育てば仏は滅す…

功徳と因縁(悪)とは相対的なものであり…

功徳を積み上げて行くか…

因縁(悪)を深めて行くか…


一切は無常であり…一切は無我(無自性)であり…

一切は苦であり…一切は空であると.目覚め.乗り越え.解き放たれし者こそ無上等正覚なり…

        如来品正師 多々方路傍石


ワールポラ.ラーフラ [ブッダが説いたこと]


お釈迦様を.一般的意味での[宗教の開祖」]と呼ぶ事が出来るとすれば.お釈迦様はご自分を[自分は単なる一人の人間である]と仰り.[自分は人間以上の者である]と主張しなかった唯一の開祖であると言えるのです…

つまりは他の開祖達は.神あるいはその化身.さもなければ得体の知れない神や仏や精霊からの啓示を受けた存在であると主張している.言わばパラノイア達なのです…

お釈迦様は.健全な一人の人間であったばかりではなく.神あるいは人間以外の得体の知れない力からの啓示を受けたとは主張しなかった唯一無二の絶対真理への到達者であったのです…

お釈迦様は.自らが理解し.到達し.達成したものは全て.人間の努力と精進と知性によるものであると主張なされ.人間は.そして人間だけが.仏陀(如来.目覚めた人)になれるのだ…

つまり人間は誰でも.決意と努力しだいで如来(仏陀)になる可能性を秘めていると説かれ.努め.励み.精進してお釈迦様に続く.新たなる如来の出現を希望されたのです…


お釈迦様によれば.人間存在こそが至高である…人間は自らの主であり.それより高い位置から人間の運命を審判できる得体の知れない[神や仏]のような存在や眉唾な[霊力]などはない…

人は自らが自らの依り処であり.自分以外の誰を依り処とする事が出来ようか.と仰っています…
お釈迦様は弟子たちに[自らが自らの依り処となり(自島帰依).また仏の教え(仏法)や.自らに具わる法(天地自然の法則)を理解する能力を依り処(法島帰依)とし.決して他人を頼らず.他人から助けを求める事なく.依り処としないようにと諭されました…
人間は自らの努力と知性(智慧.叡智)によって汎ゆる束縛から自らを自由にすることが出来るのだから.誰であれ自分を啓発し.自分を解放するようにと教え.励まし.刺激されたのです…
お釈迦様は仰った…
[貴方達は.自ら歩まなくてはならない…
如来(真理を発見した者)はその道を示すに過ぎないのだから…]
もしお釈迦様が[救済者]と呼ばれるとすれるならば.それはお釈迦様が解脱すなわち涅槃(ニルヴァーナ)に至る道を発見し.提示したという意味においてでしかないのです…
道は私達一人々々が自ら歩まねばならないのですから…
 
お釈迦様が弟子達に自由を認めたのは.この自己責任性の原則に基づいてであり.それはお釈迦様は大般涅槃経(マハーパリニッバーナスッタ)の中で.自らがサンガ[僧伽・教団]を統率したり.サンガが彼を頼るといった事は考えた事もないと述べて居られます…
お釈迦様はまた.握った拳(こぶし)の中に隠されたものは何もない…すなわち隠し事は何もないと仰って居られます…
お釈迦様が認めた思想の自由は.他の宗教では例のない寛容さですかが.この自由こそ必要不可欠なものなのです…
何故ならお釈迦様は.自己解放は人が自ら真理を実現する事によってのみ得られるものであり.高い位置から得体の知れない神仏とか.或いは外的な力から従順な善い行いに対する報いとして与えられるものではないと考えて居られたからに他ならないのです…
教え(経典.仏典)とは実践の為のものであり.実践とは.物事をよく眺め観察し.思惟.思推し.検証し.確証を得て.理解してゆく為の依り処であり.決して無明.盲目的に.拝んだり.唱えたり.得体の知れない効果や力を頼む為のものではないのです…


お釈迦様はある時.コーサラ王国のケーサプッタという村を訪れました…
この村の住民はカーラーマと呼び習わされていて.村民はお釈迦様が村にやって来たと聞き.お釈迦様の許に集まって.こう告げました…
[師よ.様々な修行者やバラモンがケーサプッタを訪れます…そして彼らは自らの教義だけを説明し.明確にし.他の教義を軽蔑し.糾弾し.侮ります…その後で.また別の修行者やバラモンが訪れ.同じように.自らの教義だけを説明し.明確にし.他の教義を軽蔑し.糾弾し.侮ります…
しかし師よ.私達は.こうした尊い修行者やバラモンのうち誰が真実を語り.誰が偽りを語っているのか解らず.いつも戸惑っています…]
それに対して.お釈迦様は次のような助言を授けたが.これは宗教史上唯一無二の例外的なものであるのです…
[カーラーマ達よ…貴方達が疑い.戸惑うのは当然である…何故なら.貴方達は疑わしい事柄に疑いを抱いたのであるのだから…
カーラーマ達よ…伝聞.伝統.風説に惑わされてはならない…
聖典の権威.単なる論理や推理.外観.思弁.うわべ上の可能性(形而上学的論理)など.[これが私達の師である]といった考えに惑わされてはならない.そうではなく.カーラーマ達よ.貴方達が自分自身で.忌まわしく.間違っており.悪いと判断したならば.それを棄てなさい…
貴方達が自分自身で.正しく.善いと判断したならば.それに従いなさい…]
お釈迦様はさらに.修行者は.自らが師事する人の真価を十分に得心する為に.吾(お釈迦様)自身のことさえも吟味すべきである.仰って居られます…
お釈迦様の教えによれば.疑いは真理を明確にし.精神的に進歩する為の五つの妨げ(五蓋)の一つである…
しかし[疑いは罪ではない]というのは.他の宗教で考えられているような罪は.仏教には存在しないからである…
全ての悪の根源は無知であり.誤解である…
疑問.戸惑い.躊躇い(ためらい)がある限り.進歩できないのは否定できない事実であり.そしてまた.物事が理解できず.明晰に見えない限り.疑問が残るのは当然である…
それ故に本当に進歩する為ためには.疑問をなくすことが絶対に不可欠であり.そして疑問を無くす為には物事を明晰に見ることが必要である…
疑わずに.信じるべきであるというのは.的を射ていない…
ただ単に[私は信じる]というのは.本当に物事を理解し.物事が見えているという事ではない…
たとえば数学の問題を前にした生徒が.ある時点で.それ以上どう進んでいいか解らなくなり.疑問が生じ.戸惑うことがある…
彼に疑問がある限り.彼は先に進めず.先に進みたければ.彼は疑問をなくす必要がある…
そして疑問をなくす方法は一つではない…
ただ単に[私は信じる]或いは[私は疑わない]と言うのは.問題を本当に解決する事にはならない…理解する事なく.自らに無理強いして何かを信じたり.受け入れたりする事(盲信)は.政治的にはよくても.精神的に.或いは知的にはよくないのだ…
お釈迦様は絶えず疑問をなくすことを心がけられて.死の直前になっても.お釈迦様は弟子達に向かって.後になって疑問が晴らせなかった事を悔いることが無いように.今まで自分が教えた事に関して何か疑問があるかどうかを質しました…しかし弟子達が黙して答えなかった時のお釈迦様のお言葉は感動的です…

[弟子達よ…そなた達はもしかしたら.師への敬意ゆえに質問しないのかもしれない…もしそうなら.それはよくない事だ…友人に問いかけるように質問するがいい…]


紀元前三世紀にインドを支配した偉大な仏教王アショーカは.この寛容と相互理解の崇高な手本に倣って.広大な帝国内のすべての宗教を尊重し援助しました…
今日も現存する石碑の一つには.次のように記されています…

[人は自らの宗教のみを信奉して.他の宗教を誹謗する事があってはならない…
そうではなくて.他の宗教も敬わねばならない…そうする事により.自らの宗教を成長させるだけではなく.他の宗教にも奉仕する事になる…
そうしなければ.自らの宗教の墓穴を掘り.他の宗教を害することになる…
自らの宗教のみを崇め.他の教義を誹謗する者は.自らの宗教に対する信心から[自分の宗教を称えよう]と思ってそうする…だが実際には.そうする事で自らの宗教をより深刻に害している…それ故に.和合こそが望ましい…
誰もが.他の人々が信奉する教えを聴こう.聴くようにしよう…
そして正しいと思えば受け入れ.間違っていると思えば捨てるだけで.争う必要などないのだ…」
この共感的相互理解の精神は.今日宗教の分野に限らず.他の分野においても適用されるべきであるのです…
この寛容と相互理解の精神は.仏教の最初期からそのもっとも大切な思想の一つであり.二千五百年という長い歴史を通じて.人々を仏教に改宗させ.多くの信者を得て伝播していく過程で.一度たりとも弾圧がなく.一滴の血も流されなかったのは.正にこの思想のおかげであるのです…
如何なる形.状態.如何なる口実の下の暴力も.お釈迦様の教えに背くものなのです…

確かなものへの信仰があり.在家の生活を営む人でも[誠実.真理.堅固.自制.施与.忍耐]という六種の徳があれば.その人は今世に於いても来世に至っても憂えることがない…
 この世に[誠実.真理.堅固.自制.施与.忍耐]よりも更に勝れたものはなし…
 この世では確かなものへの信仰が.人間の最上の富であり. 徳行に篤いことは安楽を齎らす…
真実が味の中での最上の美味である…智恵により生きるのが最高の生活である…
確かなものへの信仰により激流を渡り.精励により海を渡る.勤勉により苦しみを超え.智恵により清らかとなる…