前回から少し間があいてしまいました。

実はぎっくり腰となり、長くパソコンの前に座り続けることができずにいました。

 

痛みを抱えるといつも思います。

(ぎっくり腰にならなくても腰痛にときどき悩まされることがあるため)

特に血を流したり、ギブスをしたりということがなく、

外から容易に見えない痛みを体験するというのは、なんとも孤独なものです。

 

心配してもらえることで「痛み」が軽くなるわけではありませんが、

外から簡単に見えることのほうが、苦しみの共有や共感は容易な気がします。

分かってくれている人もいるでしょうし、

特にぎっくり腰をした人なら、その瞬間の思い出したくもない激痛と、その後、身体の真ん中あたりからじわじわくる

重低音のように響く痛み、体勢をかえるたびに響く細く鋭い痛み・・・・をわかってくれるかもしれません。

とはいえ、人によってそれぞれだし、正直「痛み」って痛くなくなると実感が急速に消えていくものです。

 

というわけで、なんとなく痛みだけでなく、孤独も感じている日々ですが、

これは、身体の痛みだけでなく、心の痛みであっても同じかもしれないと思いました。

 

私たちカウンセラーたちが出会っている心に痛みを抱える要支援者たちに対してまず心がけることは、

「孤独」に陥らせることのないようにすることかもしれません。

「孤独」は痛みをさらに重くしてしまいますから。

 

資格をもった支援者だからといって100点満点とはいかないことがあります。

私たちは日々、要支援者の見えない痛み、そして、それとともに広がる孤独を意識しながら

ていねいに関係を深めていけるように努力していきます。