BONDSでは、仲間同士で専門的知識や経験を共有して学びあう機会をもっています。

来週あたりから梅雨にはいりそうな6月の日曜日、

BONDSのあるカウンセラーから、行動依存についてのレクチャーが

普段カウンセリングで使っている部屋でありました。

あっというまの2時間(本当は1時間ぐらいのつもりだったのに)でした。

 

アルコールやドラッグへの依存だけでなく、ゲームやギャンブル依存、買い物依存、さらには、こうした行動依存と一緒に並行してみられる、危険行動の繰り返しや摂食障害、性的逸脱行動やクレプトマニア、自傷の繰り返しといった様々な行動依存のメカニズムについて、ドーパミンの分泌や脳の活性化などの生物学的レベルや貧困や虐待といった社会的レベルまで、広く学びました。

 

また、行動依存のクライエントとの関わりにおけるちょっとした、でも大切な工夫や、

彼らの家族への思いやりあふれる、でも、厳しくもあるまなざし、

支援の長い道のりにおいては、心理職といった専門職以外の様々な人たちとの出会いやつながりが重要であること、

そして、行動依存のクライエントの三歩進んで二歩下がるといったような地道な支援過程での心理職の心模様とメンタルヘルス予防についても、具体的に教えてもらい、また、参加したカウンセラーたちからも

自分たちの体験が共有されて、知識を超えて、たくさんの宝物を手にできた気がします。

 

行動依存の支援においては、当の本人が、行動依存だとは自覚していないことがほとんどで、

家族や周囲の人たちも、困っていながらも、無意識に、また意識的に、

行動依存の意味を軽視して、結果的に誤学習を助けてしまうこともあります。

できるだけ早く支援につながるためにも、社会における啓発は不可欠です。

 

行動依存の人は、皮肉なことに、人間には依存することが苦手です。

顔色を気にしたり、甘えたくても近づくことが怖かったりする彼らは

私たち心理職と出会っても、関係を継続することが容易ではありません。

そんな彼らとは、急いで太くつながろうとするのではなく、

彼らが自分で選択できる人生を歩む未来を思い描きながら、

二歩戻ってしまってもあきらめないで、

彼らだけでなく彼らの生きている家族や世界にも目を向けていくことが求められます。

 

彼らは、「自分で選択する」「目先だけでなく未来を見通す」ことがむずかしくなります。

彼らは、「自分は異常ではない」、時には「行動依存がなくなったら生きていけない」とすら考えます。

そんな彼らには、心理職だけでなく、家族を含め、ともに生きるさまざまな人たちの協力が不可欠です。

彼らが選択できることを尊重するとは、彼らに任せっきりになるのとは違うんですね。

できないことや、だめなものはできない、だめなんだと提示したり、

ルールを決めてそれを破ったら、約束通り罰が与えられたり、損をしたりするという、

バウンダリーを明確に決めていかないと、ともに生きる人たちが疲弊します。

また、行動依存をすることで、発散ができたり、耐えがたい苦悩をごまかしたりできていることも

理解をしていく必要があります。

今の目の前の問題行動だけに注目して、必死になってその消去ができたとしても、

別の行動依存が発現することがよくあります。

今見えている行動依存はたくさんの行動依存の森の中の一本の木でしかないことがあります。

一本の木だけをみるのではなく、森をみるまなざしの大切さも教えてもらいました。

特定の行動依存ではなく、他の適応的な行動や、幸せを感じている時の体験に目を向けて

そうした時間を増やしていくようにはげましていくことが

結果的に行動依存の軽減につながることもあります。

 

 

気になったことを質問したり、自分の体験を共有したり、困ったことを聞いてもらったり、

仲間から学ぶ、仲間と学ぶというのはとってもエンパワメントになります。

 

行動依存のクライエントの支援をたくさん行っている講師のカウンセラー。

メンタルヘルスを守る秘訣は、土をさわって、野菜を育てることだそうです。すてき。

 

行動依存についてのグループや一般へのセミナーもできたらと考えています。

関心のある方はBONDSまで。