昭和の日 | 最も危険な遊戯

最も危険な遊戯

28年の会社員時代の無理がたたり、21年11月うつ病を発症。23年9月に復職するも、会社に騙され不当にクビとなる。その後、精神障害者に認定される。

このブログはうつ病闘病記であると共に、家族と共に新たな人生を掴むための闘いの記録である。


 
    

みなさん、ご無事ですか。

 

このBLOGは、うつ病を理由に

会社をクビになった50代男の

日々の闘病と無頼の日常、

新たな人生を掴むための戦い、

ボヤキを描くものである。




 みなさん、こんばんは。

 こんな時間に目を覚ましてしまいました。まだ起きている方はお付き合いください。




 昭和というと、今の私のような精神障害者は差別の対象なんですが、それでも子供時代は楽しい時を過ごさせていただきました。




 『ぼくのなつやすみ』。

 ご存知ですか?


 


 このソフト発売当時、私は修羅の真っ只中だったので手に取ることはなかったのですが、今は後悔しています。




 昭和の子供時代。

 本当に楽しかった。

 このソフトの世界観が、私のふるさとそのまんま。

 学区の果てに住んでいたので、私の友達は自然でした。




 毎年夏休みに母方の田舎・宮城に帰るのが、それはもう楽しみで。

 健在だった祖父母が優しく迎えてくれて、それは毎日楽しかった。

 今は東日本大震災の津波で壊滅しましたが、その時のふるさとは活気がありました。




 大人になったら、子供を連れて田舎に移住するんだ!




 ずっとそう夢見て、修羅の国たる元会社での激務に耐え続けました。

 そんな中、祖父は癌で亡くなり、ふるさとは津波で流され、祖母は津波からは免れたものの、老衰で亡くなってしまいました。

 この家をおまえに譲るといってくれた優しいおじも再建前に癌で亡くなってしまい、ふるさと自体がこの世のものではなくなってしまいました。




 私の心が壊れたのは元会社のせいですが、ふるさとの件で弱っていたメンタルを刺されたのも原因だと思います。




『おまえは馬鹿で適当でどうしようもない人間だ』




 憔悴していた私に上司が浴びせた言葉です。

 普段なら跳ね返すところですが、その時はそんな気力ありませんでした。

 この言葉と、それに相応した態度で、私の心は壊れました。

 何年も耐えましたが、心が折れるほうが先でした。




 人には誰にでも触れてはいけないものがあると思うんです。

 それをこじ開けてバカ呼ばわりした元上司と、それを許した元会社。

 私はすべてを許しません。

 そして、耐えきれなかった自分も。




 まだ回復の見込みはありませんが、難治性うつ病とうまく付き合って、親としての義務を果たして笑って死んでいきたいと思います。

 60歳まであと7年ちょい頑張って、あとは障害者年金で細々と暮らしていこうかな。

 それを楽しみに少しずつ準備をしていこう。

 まずは働かなくちゃだな(笑)。

 いい会社、見つかるかなぁ。