残暑お見舞い申し上げます
今日は第四日曜日ですね。
東京都豊島区誓願寺のお参りに行ってきました。
本堂です。
われも ひかりの うちに あり
今日は誓願寺の祥月命日合同法要の日です。
法要にあたり、古賀明徳副住職からお話がありました。
※青字が古賀明徳副住職の言葉の要約です。
<命日の味わい方>
今日は午前中、
あるお宅に御命日の法要のお勤めに行ってきました。
着くなり、そのお宅の方から
「今日も暑いですね」
そんな言葉を頂きました。
そこで、私はこのように御伝えしました。
「今日も暑くて良かったですね」
皆さんにとって大切な方の御命日はいつでしょう。
もし、
桜の季節であれば、
大切な方の事を桜の季節と共に思い出すでしょう。
もし、
太陽のギラギラする暑い季節であれば、
太陽の暑さと共に思い出すでしょう。
もし、
木々の葉が紅葉する季節であれば、
木の葉の紅葉と共に思い出すでしょう。
もし、
木枯らしの吹くような寒い季節であれば、
冷たい北風と共に思い出すでしょう。
今日、訪問させて頂いたそのお宅では、
きっと「暑さと共に」
大切な方を思い出していくのでしょう。
🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻
命日と言うと、
命が終えた日。
そのようなイメージですよね。
ですが、
浄土真宗では
命を始めた日。
そのように味わっています。
この世の縁尽きて、
この世のいのちに区切りがついても、
その瞬間からいのちはお浄土に往き、生まれる。
阿弥陀如来の救いで、仏さまに成らせて頂くのです。
ですから、
私たち、
法事で亡くなった方に
供養や自分の力を届けなくていいのです。
だって、
亡くなった方は「仏さま」なんですから。
する必要がありません。
むしろ、
力のない私が「仏さま」に心配をされるのです。
だから、
法事では、
見守ってくれることへの
感謝を届けていくのがいいですね。
私たちはどうしても「自己中心的」に振舞いますよね。
そして、良いことを積みかさねていても
望まなくても、ご縁に出会えば、「悪い事」もしてしまいます。
努力をしても報われないことだって、たくさんありますよね。
でも、
どんな生き方をしても、
阿弥陀如来はそんな私たちを無条件に救うのです。
条件など付けたら、必ず条件から漏れる人がいます。
ですから、条件を付けずに救っていくのです。
では、
それなら、
「どうせ救ってくれて極楽浄土に往けるのなら、好きにしていいんだよね」
と言って、私たちはこのままでいいのでしょうか。
いや、
私たちは、
不完全ながらも
自分の出来ることは精一杯行って、
あとのことは
仏さまにお任せをしていく。
亡くなった方が喜ぶのはどんな時でしょうか。
私が、お金持ちになった時?
私が、いい会社に入った時?
私が、宝くじで当たった時?
いえいえ、
私が一日、一日を感謝し、喜びと共に過ごすとき。
それを
大切な方の
ご命日に
報告していくのが、
いいのでは
ないでしょうか。
ちなみに私の父親は数年前にお浄土に還りましたが、
命日はなんと私、bonbu-kokiの誕生日です
(そりゃ、忘れないわな~)
ですから、
命日の法要と
私の誕生日が
同日である
と言うこと
なんですよ
いや、
もう一つ付け加えましょうか。
古賀副住職が言うように、
その方の命日は、
その方が死んだ日ではなく
その方が浄土に生まれた誕生日と
浄土真宗では味わいます。
ですから、
私の誕生日は
父親のお浄土の誕生日
つまりダブル誕生日なんですね
皆さまも、
大切な方の御命日の味わい方
ゆっくり考えてみて下さいね
今日もようこそのお参りでした