毎日が「暑中お見舞い申し上げます」状態ですね。

冷房を開発した方に、毎日心の中で、”あっぱれ”を送っています爆  笑

 

さて、今日は第三日曜日です。

東京都港区安楽寺の法話会に行ってきましたニコニコ

 

 

参道です。

 

 

本堂です。

 

 

本堂内です。

 

 

今日の御講師は、東京都港区安楽寺の藤澤克己師です。

 

 

青字が藤澤師の言葉の要約です。

 

 

<終わったこと>

 

 

 

 

 いい経験をしたな

 終ったことは

 そう思うしか

 ないんだよ

   (斎藤一人)

 

毎月、お寺の掲示板の言葉を引用した法話をしていますが、

今日は実業家で図書もお出しになっている齊藤一人さんの言葉です。

 

さて、

私たちは

人生の中で

失敗しないように

うまくやれるように

言われてきました。

 

また、

人生の中では

苦しいこと

辛いこと

悲しいことにも

出会っていきます。

 

そして、

うまくいかないことも多くありますよね。

苦しく、辛く、悲しい時も多くありますよね。

 

そんな時に

うまくいかなくて、

苦しく、辛く、悲しい時に、

憔悴しきっている方に

 「いい経験をしたな。

  終わったことはそう思うしかないんだよ」

さすがに、この言葉はきつい言葉と感じるでしょう。

 

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因縁生起という言葉があります。

この世に存在する物事は、

すべて因と縁によって成立しているので

因縁生起(いんねんしょうき)とも言います。

 

人間の存在や自然界の出来事などは、

すべて因縁によって

一時的に結ばれますが、

またなくなっていきます。 

何一つとして「固定的な存在」は無く、

生と滅を繰り返して

変化を続けるというのが、

仏教の根本的な思想です。

 

物事には

そうなった原因と、

そうなった結果があるのですが、

その間には「縁」というものがあるということです。

 

だから、

一生懸命にやっていても

時には努力も報われないことがあります。

逆に一生懸命にやってなくても、いい結果が出る時もあります。

 

親鸞聖人は

歎異抄(たんにしょう)という書物の中でこのように言っています。

 

 「さるべき業縁のもよおせば、

     いかなるふるまいもすべし。」
 

テレビやネットで

犯罪のスキャンダルやニュースが出ますが、

大抵は私たちは「本当にひどい人だ」と非難をしていきます。

ですが、

本当に「自分は絶対にあのようなひどいことはしない」

と言い切れる人がいるでしょうか。

 

親鸞聖人は、

自らを善とし、

悪をなした他者を否定しようとするような態度を

厳しく批判します。

この言葉は

  「しかるべき業縁に出会ってしまえば、

   人は想定外の、どんな行いもするであろう」という意味です。

 

もし、そうせざるをえないような情況に置かれたならば、

  自分はどんなふるまいもしかねない、

  どんなに非道なこともやりかねない、

という深い自省のことばです。

親鸞聖人は、

そういう「自らのあり方を自覚することの大切さ」を訴えているのです。

 

つまり、

 「いい人だから、

  優秀だから、

  いい人に、

  凄い人になったんじゃないのです

  その人がたまたま、いい行いをする

  「縁」に恵まれていたのです。

  逆に、

  いい人、優秀な人であっても、

  もし、悪い事をする「縁」と出遇えば

  何をするかわからないのが

  人間という存在、

  つまり、私と言う存在です」

 

因(原因)と果(結果)の間の「縁」も含めれば

人の振る舞い程、

不確かなものはないようです。

 

だからこそ、

私たちは

頭でわかっていても、

様々な展開や状況の中で右往左往し、

結果として、

失敗をし続けるのです。

 

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例えば、

良い結果だけであればどうでしょう。

失敗や挫折もなく、順風満帆の人生であれば、

人は皆、幸せになれると思っています。

 

でも、

もし失敗や挫折がなければ、

人は皆、

傲慢になり、

天狗になり、

人の痛みすらわからない

時には真の友人すら作れない人に成っていくのではないでしょうか。

 

そういう意味でも、

失敗や挫折は無駄なことではないでしょうね。

 

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ある方があるお寺に相談に来たそうです。

相談者が言うには、

  「過去に失敗をして、その人に謝りたいのだが、

   その人とはもう会うことがない。

   その時に謝罪をできなかったことを、

   時々、思いだすことがあって、心苦しい」というのです。

 

「もう会えない」のであれば、

「謝る」というのはどうしようもないのではないかと思いますが、

そのことがあって、その方は憔悴しています。

でも、そのことで「何が悪かった」というのを明らかにしていけば、

今後は同じ場面での過ちはなくなるでしょう。

 

そうすれば、

「いい経験をしたな。

 終わったことはそう思うしかないんだよ」

 

時間は経過し、

元には戻れないのですから

どうしようもない。

  どうしようもないことは

 どうすることもないんです。

 

今はこの言葉は心に響かなくても

後になれば、そう思える時もあると思います。

 

晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ

 

人生にはいろいろなことが起きてきます。

望むこと

望まないこと

 

でも、

失敗したり

挫折したり、

苦しかったり

辛かったり

悲しくて泣いてしまうようなことも

 

あとから振り返って

  「いい経験をしたな。

  終わったことはそう思うしかないんだよ」

  「ああ、あの時があったから、今があるんだ」

そのような心境になることが出来るのではないでしょうか。

 

いや、

これが、

今が苦しい方

今が辛い方

今が悲しい方にとって、

先の話し

では、苦しく、辛く、悲しいままになってしまいます。

 

でも、

だからこそ、

ここからが仏さまの出番ではないでしょうか。

普段は温かく見守ってくれている阿弥陀様が

その時だけはあなたの隣にピタリと寄り添って、

あなたの悲しみ、辛さ、苦しさに寄り添ってくれています。

 

その証拠に、

 今

 こうして

 いられる

 

それは

やっぱり

仏さまが寄り添ってくれるからなんですよ。

 

 

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安楽寺では鈴虫を毎年孵化させて、8月にスズムシの会をするそうです。

今年は6箱あった養育箱のうち、2箱しか孵化しそうもないとのこと。

今、農作物や魚の生息地域の変化が報道されていますが、

虫の生態もなにか影響があるのでしょうか・・・。

 

 

さて、今日の言葉。

私はこのような言葉も同時に思い出していました。

 

  (画像お借りしています)

 

生きていれば

いろんなことが起こってきます。

その時はしんどくても

後からでいいから

しっかりと受け止めていきたいものです。

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い