今日の東京は暑さが戻ってきました。
今日は第二土曜日です。
東京都調布市西照寺の法話会に行ってきました。
お参りの後は法話会です。
今日の御講師は、西照寺の酒井淳昭師です。
※青字が酒井師の言葉の要約です。
<ありがたいもの>
今日からお盆の入りですね。
お寺に寄っては、また、ご家庭によっては、
きゅうりと茄子に割りばしを刺してお飾りをしているところが多いと思います。
ご存じのように、きゅうりは馬、茄子は牛ということです。
きゅうりの馬は、あの世からこの世に、早くご先祖が帰ってくるように、
牛はこの世からあの世に帰るときに少しでも遅く帰るように。
「普段はあの世にいるご先祖が、
お盆の時だけ帰ってくる」
その言い伝えを忠実に
多くの日本人は守ってきたと言う事です。
さて、
そのようなしきたりと浄土真宗は違います。
浄土真宗では、
娑婆の縁尽きた時、
お浄土に往き仏と生まれます。
これを往相回向(おうそうえこう)と言います。
また、
お浄土に往きっぱなしではなく、
いつでもこの世に還ってきて
有縁の人を救っていく。
これを還相回向(げんそうえこう)と言います。
つまり、
還相回向によって、
いつでも、どこでも私たちの傍にいてくれるもの。
お盆だけ帰ってくるのではない。
そういう教えをしていきます。
どちらがいい、
どちらが正解というよりは、
浄土真宗の世界観とはそういうもの。
そういうことなんです。
年に一度ではなく、
いつでもどこでも亡き人とご一緒です。
有り難いですね。
🍆 🥒 🍆 🥒 🍆 🥒 🍆 🥒 🍆 🥒 🍆 🥒
この世のことを穢土(えど)と言います。
汚れた世界と言う事です。
それに対して、
清らかな世界の事をお浄土と言います。
では、
私たちのいる穢土は何が汚れの原因なんでしょう。
実は汚れの原因は「煩悩」です。
良く仏教では「貪瞋痴(とんじんち)」の「三毒」と言いますが、
貪とは、貪欲(とんよく)のことで、もっともっとと際限ない欲望の事です。
瞋とは、瞋恚(しんに)のことで、怒りの心の事です。
痴とは、愚痴(ぐち)のことで、知らない、愚かと言うことです。
私たちは今、手に握っているものを幸せだと思っているから愚かなのです。
じゃあ、
汚れたら汚れを落とせばいいのですが、
これがなかなかできない事なのです。
というのは、
私たちには「我執」があるからです。
我執とは、自分にとらわれるということです。
三毒の煩悩を離れると「心が清らかになる」と言うのですが、
やっぱり離れられない。
人間とはそういうモノです。
人は縁に触れて成り立っています。
夫婦、親子、親戚、同僚、地域の方・・・。
ところが、貪瞋痴はこの縁を切っていくハタラキがあるんです。
とくに、
怒りは人と人の関係を奪っていきますから注意しなければなりません。
仏さまの心は、
無蓋大悲(むがいだいひ)と言います。
無蓋ですから、蓋がない。
つまり、いつでもウエルカムということ。
また、仏さまの心は、
老少善悪を選ばずといいます。
老いた人も、
若い人も、
善い人も、
悪い人も、
みんなが救いの対象です。
基本的にはみんなを救済するのですが、
これからは「7人の子供」という話です。
子供が7人いました。
ところが病気の子が一人います。
すると親は7人平等に愛情を注ぐか、
同じ接し方をするかと言えば、
そのようなことはなく、
病気の子が気になって仕方がない。
具体的にその子を中心に行動を起こすでしょう。
つまり、
仏さまの心は、
一人病気に犯されるものに篤いということとです。
これを悪人正機(あくにんしょうき)と言います。
機とは人の事ですが、
悪人とは、一人で生きていく事に苦しむ者ということです。
仏さまの救いのお目当てはそこにもあった。
有り難いですね。
石川のあるお寺に幽霊の絵があるそうです。
年に一度、蔵から出しますが、虫干しの意味も兼ねているそうです。
その絵は、どの角度から見ても、見た人と目が合うように描いてあるそうです。
昔の「絵を描く技法」なのですが、
幽霊と目が合ったら、絵とは言え、ちょっと背筋が寒くなりますね。
さて、その幽霊。
手を出していますね。
諸説ありますが、あれは、健康の不安を表しています。
髪が長いですね。
諸説ありますが、あれは、過去への執着だそうです。
足がないですね。
諸説ありますが、
不安と恐怖で、地に足がつかない。心ここにあらずの状態です。
あなたは幽霊になっていませんか。
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大島みち子さんの本で「若きいのちの日記」があります。
軟骨肉腫という病気と闘いながら
昭和38年に21歳で亡くなられた大島みち子さん(みこ)と、
その恋人の大学生、河野實さん(まこ)の400通の往復書簡を元にした実話です。
大島みち子さんは十代の時に、顔にできた軟骨肉腫と言う病気になります。
治療をして、一時は良くなったので、同志社大学に進学し、
そこで河野實さんと出会います。
實さんは言います。
「電話代は当時東京ー大阪間は1通話3分400円。
1日のアルバイト料と3分間の電話料が同じ。
それ以後みち子さんと電話で話をしたいために、夜のアルバイトをした。
(サンドイッチマン、バーテン、駅のホームの掃除など)
ミコさんとの最初の電話は昭和37年10月28日だったそうです。
そして、病院のベットから離れられずに
死期が迫るのを覚ったみち子さんの詩が胸を打ちます。
大島みち子
『若きいのちの日記』より
病院の外に
健康な日を三日下さい。
一日目、
私は故郷に飛んで帰りましょう。
そして、おじいちゃんの肩を叩いて
それから母と台所に立ちましょう
おいしいサラダを作って
父にアツカンを一本つけて
妹たちと楽しい食卓を囲みましょう。
二日目、
私は貴方の所へ飛んで行きたい。
貴方と遊びたいなんていいません。
お部屋をお掃除してあげて、
ワイシャツにアイロンをかけてあげて
おいしいお料理を作ってあげたいの、
そのかわり、
お別れの時 やさしくキスしてね。
三日目、
私は一人ぼっちで思い出と遊びます。
そして静かに一日が過ぎたら
三日間の健康ありがとうと笑って
永遠の眠りにつくでしょう。
このお話。
如何ですか。
若くして、もうすぐ自分の人生が終るのを知っていての心境です。
私たち、
実は今日が人生の一番なんです。
一日を生きて、大きな不自由なく、今日も終れる幸せ。
当たり前じゃないですよ。
有り難し(有ることが難しい)
有り難いことなんですよ。
これが、
私たちの還相回向なんです。
さて、法話会が終れば、
サイゼリアでご門徒さん同士で車座になって飲み会です🍺🍷🍕
そこで、唯の「暑気払いの飲み会」に終わらないのが今日でした。
あるご門徒さんが今月の築地本願寺新報の話題を振りました。
「今日の新報の話を考えたのは住職よ」
今月の築地本願寺新報(PRの雑誌)
実は、この新報。
裏面は四コマ漫画なのですが、
毎回書いているのはこの西照寺の次女、あすかさんなのです。
毎月、原作を考える僧侶は変わるのですが、今月は親子共演となりました。
当たり前の
日常こそ
ありがたい
今日の法話とリンクする内容ですね。
毎回、可愛い絵が特徴のあすかさんですが、
当たり前の日常。
大事にしたいですね。
これが、今日のメッセージです。
今日もようこそのお参りでした