今日の東京は終日曇りです。
気温より、湿度の高さが感じられます。
テレビでは、
"気温が高くなくても、湿度の高い日は「梅雨の熱中症」になります"
と言ってました。
水分補給や休息を入れながら、無理をしないで過ごしたいですね。
さて、お参り後は法話を聞きましょう。
今日の御講師は、大阪府摂津市誓覚寺の宮部誓雅師です。
※青字が宮部師の言葉の要約です。
<おばあちゃんのカルピス>
80歳でお浄土に還られたのですが、あるおばあちゃんのお話です。
私のお寺のご門徒さんで、毎月、月参りに行っていた時のことです。
そのおばあちゃんは一人暮らしで、
毎月、私がお参りに行くと、必ずお茶を出してくれていました。
ある時、お茶ではなく、コップとペットボトルが運ばれてきました。
「おや? 今月はジュースかな?」
そう思ってると、おばあちゃんはペットボトルから、
何かドロドロした白いものをコップに次ぎました。
そして、飲むと直ぐに気が付きました。
「あ、これはカルピスの原液だ」
私はすぐに説明しました。
「おばあちゃん、これは水で薄めて飲むんですよ」
おばあちゃんは、ハッとした表情でこう言いました。
「あらそうなの! 私、普段、飲まないんでごめんなさい・・・」
水で薄めたカルピスを頂き、私はお寺に帰ってきました。
さて、この話。
私は大阪人ですから、
早速、仲間の僧侶の集まりの時に、「ネタ」として仲間に話しました。
少しだけ、面白おかしく「盛り」ながら、話すと、
結構、みんなが笑ってくれました。
ですが、
一人だけ、笑わずにいた僧侶がいました。
そして、
真面目な顔でこのように言いました。
「お前な、それ・・・。
お前のために、わざわざ買ってきたってことだろう」
私はハッとしました。
そうです。
いつも、お茶ばかりだから、今度は違うモノにしよう。
暑い中、わざわざ来てくれるのだから、冷たいものにしよう。
あのお坊さんは歳が若いから、若い人向けのものがいいだろう。
そう思って、
他にあげる人もいないのに、
ご自分は飲むことはないのに、
たった私ひとりのために、
おばあちゃんは、
原液ですから少し高めの値段の飲み物を、
年金生活の中からお金を出して、
スーパーで買ったのでしょう。
それも、何日も前から準備をしていたことでしょう。
それを私は「笑いのネタ」として、「ウケたこと」で喜んでいた・・・。
こんなにも御恩を頂いていたのに、
本当に浅はかな私でありました。
<意識すれば恩だらけ>
私が育ったところは、随分と田舎町で、
山から薪(まき)になるなるものを集めてきては、
お風呂のお湯を沸かしていました。
おばあちゃんが小さな燃えやすい小枝に火をつけて、
扇いで風を送っては、大きな薪に火がついていきます。
そうやって、1時間以上かけてお湯を沸かし、
ようやく私たちはお風呂に入ったものです。
当時は、何となくしか、わかっていませんでしたが、
それでも幼心に
自分が当たり前のように日常生活を送っていられた理由を
自分の目で見て確認できた時代でもありました。
「苦労」が
「有難い」が、
「御恩」が、
目に見えた時代でもありました。
今は便利ですね。
ボタン一つで、お湯が出てきます。
洗濯、掃除、何でも、たくさんの事が便利になってきました。
でも、
「苦労」が
「有難い」が、
「御恩」が、
目に見えない時代になりました。
じゃあ、便利になったから、
私たちは余った時間を悠々と過ごしているのかと思いきや、
その余った時間に「予定」をどんどん入れるから、
結局は「忙しい」日常になってはいませんか。
忙しいとは、
心をなくす・・・でしたよね。
🛀 🛀 🛀 🛀 🛀 🛀 🛀 🛀 🛀 🛀 🛀
恩という字がありますね。
恩とは 因 と 心 です。
因とは、原因の因。
原因があれば、結果があって、結果とは果。
よく、因果といいますね。
原因と結果。
例えば、
花が咲いたという、結果(果)があれば、
その原因(因)は「種があるから」
ところが、
種があれば花が咲くのかと言えば、そうではありません。
ここに「縁」がないと、花は咲きません。
縁とは、土、水、栄養などです。
恩という字や音は、
普段の日常生活の会話の中には、
あまり出てこないですね。
どうしてでしょうか。
恩が、見つからないから、でしょうか。
恩が、見つけられないから、でしょうか。
でも、
よくお世話になった、
御恩がある、
と言ったら、
「因」「縁」「果」の中の有り難さを振り返らないといけませんよね。
有難いと思うことは、
自分が分かりやすくて、
自分の都合のいい形では、
出てこないことがあります。
でも、
今、振り返れば、
私のあの出来事が、
あの耳の痛いような出来事が
当時は気が付かなくても
今、思うと「これが恩だったのか」
そういう事ってありますよね。
今日だって、
ここに来られたのは「当たり前」じゃないですよね。
時間が作れて、
体調がよくて、
家族、親類にアクシデントがなくて、
交通機関がちゃんと動いて、
そうした色々な「ご縁」が働いて
「仏さまの教えを聞く」という結果につながっています。
そういう意味では、
皆さんが今、座っている椅子。
60キロも70キロもかかっている重さを支える椅子にすら、
御恩を感じないといけませんよね。
椅子さんありがとう。
椅子を作ってくれた方、ありがとう。
椅子を運んでくれた方、ありがとう。
私たち、
意識すれば
恩だらけじゃないでしょうか。
今、私がお世話になっているお寺の住職がこんなことを言っています。
「”ありがとう”の数だけ幸せになれる」
普段は気が付かない、
たくさんの「ご恩」に気が付きたいですね。
ちなみに今日の我が家の📆カレンダーです。
人生にはいろいろな「ハプニング」があります。
その時はいろいろあっても、
あとから振り返れば
私を育ててくれた「エピソード」に変ることもあるでしょうね
今日もようこそのお参りでした