今日の東京は曇りくもりです。

気温も高くなく、室外では過ごしやすい陽気ですが、

室内のスペースでは、あちらこちらでクーラーが活躍中です爆  笑

 

お寺の境内の端の方では、親鸞聖人がお出迎えですニコニコ

 

 

お参り後は法話を聞きましょう。

 

 

今日の御講師は、群馬県藤岡市西蓮寺の艸香雄道師です。

 

 

 

 

青字が艸香師の言葉の要約です。

 

 

<命の目的地>

 

アウグスティヌスと言う人が、

「花は見られることによって救われる」と言っています。

 

花は見られようが、見られまいが、咲き、散っていきます。

時には人にもてはやされ、

時には人に踏まれてしまいます。

 

では、

この私は

何によって救われていくのでしょうか。

 

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サザエさんという漫画がありましたが、

あの漫画の作者は長谷川町子さんという方でした。

サザエさんの漫画が描かれた時代は昭和30年代です。

サザエさんのお父さんは「波平さん」と言いましたが、

波平さんの年齢は何歳かご存じですか。

70歳代ぐらいに見えますが、何と54歳という設定です。

ということは、お母さんのフネさんは52歳くらいでしょうか。

 

昭和30年代と言えば、

寿命の平均年齢は男性は64歳くらい、女性は67歳くらいだったそうです。

そして、今でこそ、電話は一人一台の時代ですが、

当時は一家に一台あればいいほうで、

下宿の方などは大家さんが呼びだしをして、取り次いでいたものでした。

 

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昔は12月31日となると、

NHKで「行く年来る年」という番組をやっていたのを覚えていますか。

先日、NHKのFMラジオで伊集院光さんがパーソナリティで

昔の「行く年来る年」の音声を流していました。

 

時代は、まさに昭和30年代。

その時代は地方から「集団就職」と言って、

集団で都会の企業に就職していました。

その番組の場所は名古屋から少し離れた場所でしたが、

集団就職をしていて、故郷に帰らないで年越しをする方がたくさんいました。

当時は、今のようにスマホもパソコンもない時代ですから、

LINEやメールはもちろんありません。

また、公衆電話ですら、

お金をいくらも掛けなければ遠くの故郷には通じない時代です。

その時代に、NHKはその会社の寮に電話機を持ち込み、

「無料で故郷の親御さんに電話をしてもらおう」という企画なのです。

 

何しろ、親の声を聞くのは久しぶりです。

12月31日の深夜には、

「ひと言、親と話をしたい」という若者が順番を待っていました。

 

順番待ちをする間、インタビューがありました。

「あなたは、お母さんとどんな話をしますか」

そんなことを聞いても、

順番待ちをしている若者は、

もうすぐ親と話ができるとあって、

感極まって、涙、涙で声になりません。

 

とても短い時間ですが、順番に電話が掛けられていきます。

 

      お母さん  「今、どうしてる?」

      若者    「頑張ってるよ、お母さん。 来年も頑張るよ」

      お母さん  「お前も健康に気を付けてな」

 

久しぶりにお父さん、お母さんの声を聞けて、みんなが感激をしていました。

今はLINEやメールがあるので、その感激はわからないでしょう。

 

これが、友人ではだめなんです。

これが、近所の方ではだめなんです。

親だから、感激をして、涙するんですよね。

 

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私は教員をしていたことがありますが、

昔は給料日になると事務の方が大変そうでした。

何しろ、20人分の給料を銀行でおろしてきて、

学校で個人別にわけて、現金を封筒に入れるのです。

私は若かったので、厚みのない封筒でしたが、

それでも、家に帰って親に渡すときは

少しは誇らしかったです。

「これは自分が頑張ったもの」

まさに働いた実感が手を通じて湧いてきたものです。

 

皆さんは

今は幸せですか。

世の中便利になりました。

スマホも、自分一人が持ってないと、どうでしょう。

とたんに、世の中から取り残された気分になるでしょう。

 

ふかわりょうさんというタレントさんがいます。

昔、「スマホを持たない旅に出る」という企画をして

実際に旅に出たそうです。

すると、情報がまるでないので、

電車の時間をしらべ、バスの時間をしらべ、

食事をするお店も自分の直感で決めていったそうです。

 

今はスマホで何でも調べられますが、

食事の場所もホテルもすべては他人の評価で、

私たちは左右されています。

自分主体ではなく、

スマホ主体の人生を過ごしているんですね。

 

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無明長夜(むみょうじょうや)の

燈炬(とうこ)なり

智眼(ちげん)くらしと

かなしむな

 

これは親鸞聖人の正像末和讃の一節です。

「いつ明けるかもわからないほどの長い無明の闇の中にも、

私たちを照らし包んでくださっている大きな灯火(阿弥陀仏の本願) があります。

だから、自分は聡明な智恵の眼がなく、

悩み、苦しみ、迷いから逃れることができないと、

悲しまなくてもいいのです」と詠んでおられるのです。

 

私たちはどこに向かって歩んでいるのでしょう。

早くて便利な世の中になってきましたが、

この世の中で本当に頼りになるものはなんでしょう。

 

「健康で長生きは幸せ」と、誰もが言います。

できれば、そうありたいと言うのです。

ということは、

「病気で早死には不幸」と言っているようなものですね。

 

これを正しいと思っている私こそ、

「無明長夜」です。

無明とは、煩悩で暗い闇の状態です。

長夜とは、それが長い夜のように続いている状態です。

 

私たちが思っている幸せ。

  財産

  地位

  名誉

  健康

そういうものは長くは続かないものです。

 

おまけに、

信じるものは「スマホ」のネット記事。

星☆の数はいくつかな?・・・・・。

では、ないでしょうか。

 

そのようなものを信じて歩んでも、

「こんなはずじゃあ、なかった」と、

呆然とするのが人生なのかもしれません。

 

皆さんはどこに向かって生きていますか。

「命の目的地」はどこでしょうか。

それは、お浄土です。

 

煩悩の長い闇が続いていると思ったら、

光があったというのです。

燈炬というのは「光」の事です。

 

これからも

辛いこと

悲しいことがあるでしょうが、

どんな姿になっても

仏さまの名前を呼べば

仏さまに励まされて、人生を歩めるでしょう。

 

私たち、

ゴールの見えないマラソンは走れません。

「ゴールはあそこ」

「あともう少し」

だから、頑張れるのではないでしょうか。

 

ゴールを走り切ったら

待っているのは

懐かしいあの人ですよ。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い

 

 

昔に比べたら

たくさんの「早く」「たくさん」「便利」を手にした私たちですが、

それにも満足せず、

もっともっと・・・。

そして

不平不満は尽きないものです。

 

そんな闇の深い凡夫を

決して見捨てないのが仏さまなんですね。

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い