今日の東京は晴れ晴れで、気温は25度を超えました。

半袖Tシャツがちょうどいい感じです。

 

今日から6月ですねニコニコ

お寺の参拝カードも変わりました。

 

 

裏面です。

 

 

お参りのあとは、法話を聞きましょう。

 

 

 

今日の御講師は、島根県大田市西臨寺の荒本由未師です。

 

 

 

 

青字が荒本師の言葉の要約です。

 

 

<和顔愛語 先意承問>

 

今日も大リーグでは、大谷選手が頑張っていますね。

ご存じのように大谷選手は、

去年いたエンゼルスから、今年はドジャースというチームに移りました。

そこでは、ドジャースのチームメイトがこのようなことを言っています。

 

    「オオタニは、実に楽しそうに幸せそうにプレーをしている。

     彼を見ていると、こっちまで幸せになってくるよ」

 

私たちも、笑顔の人、楽しそうな人を見ていると、

つい気持ちが緩みますよね。

笑顔や幸せは、伝わっていくものなんですよ。

 

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もう、私の父は亡くなっていますが、

私は父の介護をしていたことがあります。

当時の私は、父の介護以外にやることは山ほどあります。

その日も、スプーンですくいながらですが、

朝の食事を父の口元まで運んでいました。

その時、父がボソッと言ったのです。

 

    「お前はこわい顔をしているのう・・・・・」

 

そうです。

私も「早く終わらせて、次の事しなくちゃ」

その思いばかりで、きっと笑顔なんて、どっかに行っていたのでしょう。

 

私たちも、怖い顔の人、楽しくなさそうな人を見ていると、

つい気持ちが硬くなりますよね。

怖い顔、渋い顔も、また、伝わっていくものなんですよ。

 

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お寺では毎朝、お経をあげていくのですが、

今朝もこのお寺では「お勤め」がありました。

お勤めの後は、法話をしたのですが、

無事に終わって、私が退席しようとすると、

一人の青年が私に声を掛けてきました。

 

私は今朝は「和顔愛語」のお話をしたのですが、

「和顔愛語」とは、

「人に対しては、穏やかな笑顔と優しい言葉で接しましょう」と言う事ですが、

そのあとには、実はある言葉が続きます。

その、「あとに続く言葉」が聞き取れなかったので教えてほしいと言うのです。

 

「和顔愛語」の後には、「先意承問」と続きます。

つまり、

「和顔愛語先意承問」で一つの意味を成す言葉と言う事です。

 

「和顔愛語先意承問」とは、無量寿経というお経に出てくる言葉です。

「先意承問」とは、

   「相手の心をくみ取って、その心を想いばかり、

    どうしたら相手が望むようになるかを考えていく」

そういう意味なんです。

 

今日から6月ですね。

今月のスタートの日ですから、

「和顔愛語先意承問」を心掛けた生活をしてみませんか。

 

 

 

<先に受け取る>

 

先日、鳥取で唯一あった百貨店が閉店しました。

鳥取の過疎化は、いよいよ深刻になっています。

 

さて、

私は以前、百貨店で働いていたことがあります。

その時の友人と久しぶりに連絡を取り合ったときのことです。

 

「久しぶりだね」という挨拶の後、

「お母さんはお元気なの」と続けましたが、

お母さんは5年前に亡くなったと言います。

そして、

実は亡くなってからの3年間は、涙で暮らしていたとのこと。

私も「3年間泣いて暮らすのは長いな」と思いながらも

それは言葉に出さずに話を傾聴しました。

 

その3年間。

お母さんに

    「あれをすればよかった」

   「これをしなかった」

   「これもできなかった」

後悔の嵐です。

 

泣いて暮らしたあとは、ついに精神科の有る病院に通ったそうです。

そして、身体の不調も出てきたそうです。

 

それでもカウンセリングや患者さん同士のつながりなどで、

   「悲しみを背負っていたのは自分だけじゃない」

   「人は必ず亡くなるのだ」

   「多くの場合、親が先に亡くなるのだ」

 

そのことに気づき、

やがて立ち直っていけたのだそうです。

 

暗い闇を光が打ち破ったのです。

 

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その話を聞いていて、私は仲間の僧侶の話を思い出しました。

その僧侶は、

お父さんが50歳代、お母さんが40歳代半ばの時の子供です。

 

この歳の差の親子の特徴は、

「子供が若い時に親が死ぬ」ということです。

 

やがて、

お父さんを亡くし、

その僧侶は「自分のお寺の収入」では生活ができなかったので、

実家のお寺から少し離れた場所で仕事をしていました。

そして、週末になると同時に、実家のお寺に帰ってきていました。

 

ある時、お母さんが、

「今度帰ってくる時に、やかんを買ってきてほしい」と言います。

「やかんなんて、あるだろう」というと。

「焦がしちゃったんだよ」と言います。

そのため、次の帰宅時は、やかんを買って帰りました。

 

今度は、お母さんが、

「今度帰ってくる時に、おなべを買ってきてほしい」と言います。

「おなべなんて、あるだろう」というと。

「焦がしちゃったんだよ」と言います。

そのため、次の帰宅時は、おなべを買って帰りました。

 

何だか、おかしい・・・・。

そうです。

お母さんは認知症になっていました。

当時は今ほど「認知症」が知られていない時代でしたので、

気が付くのが遅くなったのでした。

 

それから症状は進行し、お母さんは介護施設に入ります。

ですが、施設に入所後4カ月で亡くなってしまいました。

 

それからです。

お母さんに

    「あれをすればよかった」

   「これをしなかった」

   「これもできなかった」

後悔の嵐です。

 

ある時、先輩僧侶の法話を聞きに行ったときのことです。

   「今日は親孝行について話します」

その僧侶は「絶対に聞き漏らすものか」と聴聞したそうです。

 

先輩僧侶が言います。

   「本当の親孝行は、

       「あれをすればよかった」

       「これをしなかった」

       「これもできなかった」

   こう思うことが、本当の親孝行です」

 

つまり、

こういうことなんです。

私たち、他人であれば、亡くなっても、

       「あれをすればよかった」

       「これをしなかった」

       「これもできなかった」

   こうは思いません。

 

ですが、親であればこそ、

         「あれをすればよかった」

       「これをしなかった」

       「これもできなかった」

   こう思うんです。

 

つまり、

親にしてもらった恩の大きさを知っているからこそ

       「あれをすればよかった」

       「これをしなかった」

       「これもできなかった」

   こう思うんです。

 

これはどういうことですか?

 

親は、子が寒そうにしていれば、自分の服を脱いで子に着せてあげます。

親は、子が空腹であれば、自分の食べる分を子に回して食べさせます。

親は、子が眠そうにしていれば、自分が眠くても先に子を寝かせます。

 

私が親を想う前に

既に親が私を想ってくれていた。

 

その親の愛を

先に子供が受け取っているからこそ、

       「あれをすればよかった」

       「これをしなかった」

       「これもできなかった」

    そう子供が思うのです。

 

親のハタラキこそ、先なんです。

親の恩を受け取って、感謝の心が芽生えていく。

親の恩を受け取って、感謝の心が育っていく。

感謝の気持ちを持って、様々なことを想う。

それこそが、親を想う孝行です。

 

島根のお寺の掲示板に書いてありました。

 

    死んだらどうなるの?

    私を導く仏に成る

 

親は死んでも、子を導くのです。

有難いですね。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い   お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  

 

 

私も母は健在ですが、父はお浄土に還りました。

 

   「あれをすればよかった」

   「これをしなかった」

   「これもできなかった」

 

これは、

家族を先に見送った者の

共通の想いかもしれません。

 

それもまた、

先に往った方の導きの中の事だったのかもしれませんね。

今日もお育て頂きました。

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い