今日の東京は、
昨夜からの雨で午前中は☔モード。
午後から、ようやく曇りモードです。
では、
お参り後は法話モードに切り替えましょう
今日の御講師は、島根県大田市西臨寺の荒本由未師です。
※青字が荒本師の言葉の要約です。
<仏法のゴール>
今日は宿舎から歩いてくる時に紫陽花が目につきましたが、
6月頃に咲く花は何色が多いかご存じですか?
正解は白です。
さて、
紫陽花を見ながら、以前地元の新聞に掲載されていた、
ある読者の女性の詩を思い出していました。
モクレンに
ツバキに
サクラ
それぞれに
花の咲き方
花の散り方
様々な花が、
それぞれの時期に合わせて、
それぞれの咲き方で咲いていきます。
そして、
モクレンであれば、
散った時は茶色になって、土と同じような色になっていきます。
ツバキであれば、
首が折れるように落ちていきます。
サクラであれば、
一夜の嵐で散ってしまうこともあります。
この詩なんですが、
花の名前を入れ替えれば
一年中読める詩なのですが、
いずれも
「いのちの特性」を表しています。
すなわち
いのちとは、
いつまでもあるものじゃない。
有限性・・・限りがあります
無常性・・・いつか終わっていきます
無帰性・・・若さは老いに変り、もとには帰りません。
非代替性・・・だれも代わってはくれません
花も人も、
いのちの有り方は一緒です。
🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸
今年は令和です。
その前は平成、
その前は昭和、
その前は大正です。
今まで年号は随分変わってきたのですが、
何回変わってきたかをご存じですか。
248回です。
248回目が令和です。
年号が変わると言うと、
令和、平成、昭和、大正など、
天皇が亡くなるのが「年号の節目」となっていますが、
昔は違っていたのです。
親鸞聖人の生きた鎌倉時代、
親鸞聖人は90歳で往生されましたが、
90年間で何回年号が変わってきたかをご存じですか。
正解は36回です。
昔は、
飢饉、天災、疫病など、
社会を揺るがすような大きな出来事があると、
縁起を変えるために年号を変えたそうです。
さて、
このお寺も関東大震災で焼失しているわけですが、
近年でも、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、
そして記憶に新しい石川県能登の震災があります。
何も、1月1日という一年の始まりの日に、
よりによって地震が来なくてもよさそうなものですが、
それもまた人間の力ではどうしようもないことです。
ちなみに、私の住む地域でも地震災害があったんです。
日本中ではあまり話題にはならなかったでしょうが、
いまでもブルーシートを掛けたままの場所があります。
きっと人は、自分に関係がないと、少しずつ忘れていくものだと思います。
それにしても、様々な地震の中で、
残念な亡くなりかたをした方も多いと思います。
ご本人もですが、ご家族もとてもお辛いと察します。
ただ、これだけは伝えたいと思います。
生死は一つのものです。
バラバラじゃない。
一枚の紙のように繋がっていて、一つのものなんです。
そして、
死に方に
いい、悪いはありません。
花の散り方もですが、
いのちの終わり方、
死に方も問わないのが
仏さまのお話しなんです。
そして、仏さまのお話は
将来の話しではないんです。
では、いつの話でしょうか。
🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸
保険会社のCMを見ていますと、
人生100年時代。
”100年生きるので、ライフプランをしっかりと立てましょう。
そのように言っています。
でも、
実は100歳が人生のゴールではありません。
100歳がゴールなら、
その途中で震災などはあってはなりませんよね。
じゃあ、
100歳でも
1000歳でも”生きた”としましょうか。
100歳生きても、
1000歳生きても、
生きている限りは
悩み
苦しみ
心配はつきません。
また、
生きていることは
必ず悩みを重ねることです。
🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 🌸
話は変りますが
幽霊っていますね。
どんな格好ですか。
前髪が長いですね。
前髪が長いのは、過去への執着を表します。
過去への執着がありますから、
執着の長い、後ろ髪を引かれるのです。
手は前に出ていますね。
手が前に出ているのは、未来への欲望です。
あれも欲しい、これも欲しい。
あれも掴みたい、これも掴みたい。
でも、掴めないから苦しいですね。
欲望があれこれありますから、手は前に出ています。
足がないですね。
足がないのは、地に足がついていないということです。
あっち見て、こっちみて、心も体もフラフラです。
禅では脚下照顧(きゃっかしょうこ)といって、
「自分の足もとをよく見ましょう」と言いますが、
実態の掴めないのがこの私。
それこそが
幽霊の正体と言うのです。
✋ 👣 ✋ 👣 ✋ 👣 ✋ 👣 ✋ 👣 ✋ 👣
昔、テレビで見たのですが、
作家の遠藤周作さんのインタビューがありました。
遠藤さんほどの方でも、死ぬのが怖いと言うお話でした。
その時に四つの理由があると言っていました。
一つが
「死ぬときに痛いのはかなわん」ということでした。
つぎに、
「一人でこの世を去るのは寂しい」というものでした。
つぎが、
「棺に入って、焼かれる時に、目が覚めたらだれも助けてくれない」
というものでした。
最後は、
「自分一人が死んでも社会はびくともしない。
社会が混乱しないのは理不尽」というものでした。
有名作家の方でも、”死は怖いもの”のようですね。
📕 📕 📕 📕 📕 📕 📕 📕 📕 📕 📕 📕
今はどうかはわかりませんが、
昔、島根には日本一大きな砂時計がありました。
その時、こんな詩を読んだ方が居たんです。
砂時計
くびれの位置に
我立てり
残り少なき
上を見ており
わかりますよね。
自分が砂時計のくびれのところに立っていて、
若い時は下にたまる砂が少なくて、
上にはたくさんの砂があったけど、
今は上の砂が少なくなってきて、
もうすぐ砂が全部落ちてしまう(死)のだという意味です。
まさに無常を読んだこの一句。
今日は誰かの誕生日
今日は誰かの祥月命日
今日という日は
自分だけでなく、
他の人にとっても
今日という日は特別な一日なんです。
であれば、
生き方はどうなりますか。
⌛ ⌛ ⌛ ⌛ ⌛ ⌛ ⌛ ⌛ ⌛ ⌛ ⌛ ⌛
私はスポーツ観戦が好きなのですが、
プロ野球のソフトバンクホークスの小久保監督の帽子の話しです。
小久保監督は帽子のつばの部分の裏に、
ある四文字熟語を書いています。
それがこれです。
前後裁断
(ぜんごさいだん)
前後の前とは、過去の事です。
前後の後とは、未来の事です。
つまり、過去と未来を裁断してしまうのです。
では、裁断をしたら、何が残るでしょうか。
今です。
つまり、
過去の試合を振り返らず、
未来の試合を妄想せず、
”今日の試合に集中し全力を出し切ろう”と言うのですね。
似たようなことをお釈迦様も仰っています。
過去を追うな
未来を願うな
過去は
過ぎ去ったものであり
未来は
いまだ至っていない。
現在の状況を
それぞれに良くみて
明らかにせよ。
そして、
今 成すべきことを
努力して成せ。
先ほど、
仏さまのお話は
将来の話しではないんです。
と言いました。
では、
いつ仏法を聞きますか。
100年生きる時代の100歳のゴールで聞きますか。
そうですね。
仏法のゴールは
いつだって「今」なんですよ。
今、聞くことが、
今、出会うものが、
仏法です。
早速、調べてみましたが、
確かに島根の仁摩サンドミュージアムの砂時計は
日本一どころか世界一のようです。
それも、
1トンの砂が1年かけて時を刻む、巨大砂時計だそうです。
う~ん。
”自分の砂時計が1000年もてばいいなぁ・・・”、
とは凡夫のささやきでありますが、
100年であろうと
1000年であろうと、
仏法に出会うのは「今」です。
そこを聞き間違えのないようにしたいものです
今日もようこそのお参りでした