今日の東京は、昨日に引き続き30度に迫る気温晴れです。

今日も多数の方がお寺にお参りに来ていました。

 

お参り後は法話を聞きましょうニコニコ

 

 

今日の御講師は、昨日に引き続き、兵庫県姫路市圓福寺の福岡智哉師です。

 

 

 

 

青字が福岡師の言葉の要約です。

 

 

<仏縁に出会う>

 

一般的には、人が亡くなると、

「ありがとう」という言葉も聞かれますが、

  「可哀そうに」

  「お気の毒に」

  「ご不幸があった」

そんな言葉で言われます。

 

だから、お通夜やご葬儀の時にしか、仏教に出会わない方からみると、

  仏教は「怖い」

  仏教は「悲しい」

  仏教は「淋しい」

こんなイメージがあるんですよね。

 

確かに、

悲しみのご縁もありますが、

昨日はこのお寺で結婚式がありました。

喜びのご縁も仏教にはあることを知ってほしいですね。

 

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私のお寺のご門徒さんのお話です。

その男性は奥様が亡くなって、三回忌を終えたところでした。

 

もともとは奥様と二人暮らしでしたが、亡くなった当時は

  「家内が亡くなって、こんなに淋しいとは思いませんでした」

  「自分だけ、取り残された気分です」

そう仰っていました。

 

そして、こうも付け加えられました。

  「これでは淋しくて仕方がない。

  お坊さん、毎月うちにきてもらえませんか」

私は、「いいですよ。できることは致します」

そう答えました。

 

それから毎月、その男性のお家にお参りに行ったのですが、法話をしても、

  「は~、そうですか」

  「有難いですね」

とは言わないのです。

そして、毎回、愚痴ばかりです。

それも

  「仏教の話をされても、ちょっと、私にはわかりません」

そんな感じでした。

 

さて、

3回忌も過ぎた先々月のことです。

私が来ると言うことで、

朝から仏壇の花を買いに行ったそうです。

奥様のお好きだったお菓子も買ってきたそうです。

そして、お参りの後、

しみじみとこんなことを言いはじめました。

 

  「私は、今までの人生の中で

   手を合わせることも知らなかった。

   仏様の話を聞くこともなかった。

   お経だって、全く読めなかった。

   それが今は、

   手を合わせるようになった。

   仏様の話を聞くようになった。

   お経も少しはうまくなった。

   これはすべて、妻のお陰です。

   

   これからは生きていく目標が出来ました。

   毎回の仏事を楽しみにしていきたいと思います。

   私は亡くなった妻の事ばかり心配してきましたが、

   ちゃんとできるようになろうねと、

   心配されていたのは、実は私の方でした」

 

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この話、皆さんもそうではありませんか。

  辛かったあのご縁。

  あの方との出会いのご縁。

振り返れば、

  自分が手を合わせるようになった。

  自分が仏様の話を聞くようになった。

  自分がお経も少しはうまくなった。

 

全ては、

そこまで誰かのお手回しがあったからではないでしょうか。

 

✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋

 

広島の武田一真(たけだかずま)和上のお話です。

武田和上のお寺では、日曜学校があります。

そこでは、お経をあげ、仏さまの話を聞いて、

そして、勉強をしたり、一緒にゲームをして遊んだり、

子供たちが楽しく過ごします。

 

さて、ある日のことです。

いつものように、仏様のお話をしたのだそうです。

  「仏教を教えてくれたのは誰ですか?

   そうです。お釈迦様ですね。

   お釈迦様は真実と言って、本当のことを見つけて、

   私たちに教えてくれました。

   例えば、

   人は生まれたら、必ず死ぬこと。

   今、出会っても、必ず別れていくこと。

   だから、

   今、こうして生きていることを大事にしようね。

   今、生きていてよかったね。 

   今、こうして出会っていることを大事にしようね。

   今、出会ってよかったね」

 

話し終わると、ほとんどの子がわかってくれていたようでした。

さあ、そこからはゲームの時間が始まります。

子供たちは元気に遊んでいました。

 

にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり

 

さて、みんなが元気に遊んでいると、

一人の女の子が武田和上の衣の袖を引っ張ってきました。

そこから武田和上と女の子の会話が始まります。

その子は、みくちゃんと言いました。

   武田和上   「どうしたのかな」

   みくちゃん   「さっきの話、おかしいやろ」

   武田和上   「なんで?」

   みくちゃん   「せっかく生まれなのに、なんで死なないといけない?」

            「せっかく会ったのに、なんで別れないといけない?」

            「おかしいやろ? ずっとそのままでええやん」

 

言われてみれば、その通りでした。

しかし、武田和上は言葉を続けます。

   武田和上   「たしかに、おかしいと思う私がいるわな~。

             じゃ、逆に、死ぬ、別れると決まっているのは、

             みんな知ってるけど、

             本当に当たり前とわかってたら、

             死んでも別れても泣くことはないわな。

             当たり前のことだからね。

             でも、そこには、こんなに悲しいことはないと

             受け止められない自分がいるんだよね。

             かなしいな。

             さみしいな。

             だからこそ、仏さまがいて下さって、

             そばにいてくれるんだよ

             この仏さまはなんでも答えてくれるんだよ」

 

みくちゃんに、わかってもらえたかどうかはわかりませんが、

私たちも

「当たり前だよ」と知っていても、

やっぱり辛い。

やっぱり悲しい。

やっぱり淋しい。

 

その心の隙間を埋めるのが仏さまだと思います。

それには、仏さまとご縁を結ばないとなりませんね。

 

ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ

 

平安時代の家人である和泉式部(いずみしきぶ)に、

小式部内侍(こしきぶのないし) という娘がいました。

小式部は歌才の誉れが高く、母に愛されながら育ちますが、

25歳の時に早世します。

愛する娘の死に打ちひしがれ、もがき苦しむ和泉式部。

 

   「子は死して

    たどりゆくらん  

    死出の旅

    道しれずして

    帰りこよかし

 

   (意訳)

    死出の旅に出たが

    道がわからないからといって

    帰ってきてほしい

 

と詠みました。

親の切なる願いが胸に迫ります。

 

小式部の死後、世の無常を嘆き、

和泉式部は播州の天台宗、性空上人を訪ねますが、

説法が全く理解ができなかったのでそこを諦めます。

そして、京都の因幡堂の薬師如来を訪ねますが、

そこでも御救いに出会うことが出来ませんでした。

最後にたどり着いたのは、誓願寺の阿弥陀如来でした。

そこでは

諸行無常の理の中で、

お浄土があると聞かせて頂き、

仏さまはまたこの娑婆に戻ってきて、

迷いの人々を導くと聞いていきます。

 

そして、こう詠んだそうです。

 

   「夢の世に

    あだにはかなき

    身を知れと

    教えてかえる

    子は知識なり」

 

   (意訳)

    この世にあるものは夢、

    幻のようなものばかりで、

    もろく儚い。

    確かなものは何一つない中で、

    仏さまのみ教えだけは確かである。

    そのことを教えてくれたのは他でもない、

    我が娘ではないか」

 

仏さまに出会うと

起こった事実が変わるのではなく、

事実の意味が変わっていくのです。

 

これを「いのちのお手回し」と言うのです。

仏縁に出会う事。

大事にしたいですね。

 

 

<未来が開かれていく>

 

皆さんの人生。

どこにつながる道を

今、歩んでいるでしょうか。

 

証果(しょうか)と言いますが、

証は悟りのことで、

悟りへの道を歩んでいこうと

仏教では言います。

 

私の息子は今、5歳なのですが、

息子のひいおじいちゃん、

これは私の母の父に当るのですが、

少し前に亡くなったのです。

 

その時は山口まで新幹線で行って帰ってきましたが、

葬儀から帰ってきてから息子が変な替え歌を歌っていました。

  「ひとりじゃないよ~」

  「さみしくないよ~」

  「だいじょうぶだから~」

 

どうも、私の言ったことをそのまま歌詞にしていたようですが、

お浄土というのは「いのちのふるさと」と聞いていきます。

いのち終えることを世間では「ご不幸が・・・」と言いますが、

いのち終える者が不幸なら、

「死」とは本当に淋しいものでしかなくなってしまいます。

 

あなたはお浄土に往くいのちだよ。

 

これを知っているか、知らないか。

これを聞いているか、聞いていないか。

 

これからの人生の生き方が違ってきます。

これからの死への心づもりも違ってきます。

 

おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  

 

私は遊園地のジェットコースターが苦手です。

乗ろう、乗ろうと言われて、乗った後からいつも後悔をしてしまいます。

シートベルトをして、ガタン、ガタンとゆっくり上まで登っていきます。

登り切ったら、なぜか一瞬止まります。

そして、ガクンときて、あとは・・・・。

 

昔は妹や姉と乗りましたが、「大丈夫」「大丈夫」とか言われても、

私の方は

「大丈夫」と言われても、

未知の世界、知らない世界は怖いのです。

 

🎢  🎢  🎢  🎢  🎢  🎢  🎢  🎢  🎢  🎢  🎢

 

故郷ってありますよね。

故郷に帰る時って、どんな気分ですか。

よく、○○ちゃんが待ってるよ、

誰々が楽しみにしてるって言ってたよ、とか、

言われたら、行くのが楽しみですよね。

それは、故郷を知っているからですよね。

懐かしい人に会えるから、安心をするんですよね。

 

普段から、

聞いている、知っているのと、

まったく知らない、未知の世界では

やっぱり、

聞いていた方が、

知っていた方がいいですね。

 

🗻  🗻  🗻  🗻  🗻  🗻  🗻  🗻  🗻  🗻  🗻

 

30年位前のお話ですが、

山口に深川倫雄(ふかがわりんゆう)和上がいらっしゃいました。

 

ある日、お祝いの席で深川和上がお酒を飲んでいたそうですが、

急に倒れてしまいました。

これからは、「後日談」と言われることを付け足しながらお伝えします。

 

深川和上は「たすけてくれ」と大声で言ったつもりでしたが、

周囲には全く聞こえていなかったそうです。

 

そして、

直ぐに救急車で運ばれました。

倒れてから一緒についていった他の僧侶からは

「大丈夫ですよ」「大丈夫ですよ」の声が聞こえます。

 

病院に着くと、緊急手術と言う事になったそうです。

実は数日前に買ったばかりの新品のスーツを着ていた深川和上ですが、

「切るそ」の声が聞こえます。

  「いや、買ったばかりで、そりゃ困る」

今度は「ズボンを切るぞ」の声が聞こえます。

  「だから、困るって」

容赦なしに切り始めたものだから、

仕方なしにヒョイとお尻をあげたそうですが、

すると看護師が、

  「やだ、このじいさん、腰あげたよ」

 

そうしているうちに看護師が、

  「チアノーゼを起こしています」

そんな声が聞こえてきた。

深川和上はシベリアで抑留生活を経験し、

仲間がチアノーゼを起こしたらどうなるかを知っています。

  「ああ、俺もあと数時間で死ぬんだな」

そう思ったそうです。

 

そして、こうも思ったそうです。

  「仏さまの教えを聞いておいてよかったな。

  私の行く先の事をちゃんと仏さまは考えてくれていた。

  もし、自分のいのちがここで終るとしたら、

  自分の過去を回想して、

  過去にすがるしかないから辛かっただろうな」

 

結局、

深川和上はその後お元気になったのですが、

死ぬ寸前まで体験しても、仏さまの教えに勇気を頂いていたのですね。

 

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人が亡くなる。

でも亡くなって終わりの命ではない。

それはつまり、

私の未来が開かれていると言うことです。

 

この世の縁が尽きて亡くなっても、

仏さまとなってお浄土に生まれて行きます。

これを往相回向(おうそうえこう)と言います。

 

また、お浄土に往って、懐かしい方と再会しますが(倶会一処)、

すぐにまた、この世に還ってきて苦しむ方のところに行って、

その方の為にハタラキます。

これを還相回向(げんそうえこう)と言います。

 

手を合わすのも

仏さまの話を聞くのも

お経を読んでいくのも

みんなひとえに先に往った方が導いてくれるからでした。

 

私もまた、そうなる。

私の未来は

可哀そうでもない。

不幸でもない。

気の毒でもない。

開かれた未来が待っています。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い

 

 

亡くなるという淋しい話が

未来が開かれると希望を持った話と聞いていく。

仏教と言うのは、ものすごい転換をしていくんですね。

 

だからもっと

  仏さまの話を聞きましょう。

  仏さまの話を知りましょう。

 

そして、

  仏さまの話を喜びましょう

  仏さまの話に感謝をしましょう。

 

そういう展開をしていくのでしょうね。

今日もお育て頂きましたニコニコ

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い