4月26日から今日4月29日まで

本願寺東京別院では,

親鸞聖人 御生誕850年、

浄土真宗 立教開宗800年の慶讃法要が行われましたニコニコ

 

 

プログラムです。

 

 

50年に一度の大きな法要ですが、

私は4日間とも参列するご縁に恵まれましたウインク

 

26日、27日には、

前門主の大谷光真(おおたにこうしん)様がご出席されました。

最後部からの写真なので、粗いため、雰囲気だけ味わって下さい爆  笑

 

 

そして、4日間共に、

法要の前に宗派、お寺にご縁の方達の入場行列です。

 

このお寺の宗務長(総責任者) 中尾史峰(なかおしほう)さん。

 

 

浄土真宗本願寺派 御門主 大谷光淳(おおたにこうじゅん)様

 

 

 

親鸞聖人の前で、御門主様によるお焼香です。

 

 

晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ  晴れ 

 

さて、4日間の中から、本日の記念法話をお伝えしましょう。

今日のご法話は、滋賀県彦根市清徳寺の野瀬妙恵(のせみょうけい)師です。

 

 

 

青字が野瀬師の言葉の要約です。

 

 

<嘘、偽りの世界で>

 

よく「信心」と言いますが、

「信心」とは、

「まことの心」

「嘘、偽りのない心」の事です。

 

私たち、

嘘をついたことがない人って、世の中にいるのでしょうか。

実は

私たちは嘘をつく世界に生きています。

そして多分、

誰もが一番先に嘘をついた相手とは

「自分の親」なのではないでしょうか。

 

私が覚えている一番古い記憶の中では、

こんなことがありました。

 

親に

  あそこに行ったらいかん。

  これをやったらあかん。

そう言われます。

 

  行ったらあかん、

  やったらあかん

そう言われると、

  行きたくなるのが、 

  やりたくなるのが子供です。

 

それで、

  行ってしまう。

それで、

  やってしまう。

 

すると、やっぱり膝っ小僧を擦りむいたりしてしまう。

家に帰って、

  痛かったな。

  大変やったな。

そう言って、バンソーコーの一枚や二枚を優しく貼ってくれる・・・。

いや、それはない。

 

  ほら、言わんこっちゃない!

  言ったやろ~!

 

こうなりますと、この私。

  行ってないし・・・・。

  やってないし・・・・。

 

つい、責められたくないばかりに、嘘を言ってしまうのでした。

 

悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい   悲しい  悲しい  悲しい  悲しい

 

私にも会いたくない人が近所にいます。

  なるべく会いたくないし、

  なるべく話したくないし・・・・。

 

ところが、

そんな時でも、

  よりによって、相手から私に寄ってくる。

  よりによって、相手から私に話かけてくる。

 

は~、疲れた。

 

家に帰って、元気なくしてると、

家の者から「大丈夫か?」と聞いてくる。

すると、私も言いたくはないし、

「大丈夫」とつい嘘を言ってしまいます。

 

家の者にもそうですから、

増して、友人や知り合いの人にも、

いろんなことで本心とは違うこと、嘘を言ってしまうのです。

 

悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい

 

私の祖母は病気で亡くなったんです。

それでも、本当の病名は本人には言えなかった。

そこでも、嘘を重ねていったのです。

 

私たち、

嘘をうまくついたら、生きていける世界にいるのです。

私たち、

嘘をつくことを何も悪い事と言わずに生きているのです。

 

悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい  悲しい 

 

私たちは「嘘」「偽り」の世界に生きています。

では、

嘘、偽りのない心とは何か?

それが仏さまの心です。

 

この私が信じる心には、

「嘘」や「偽り」があるのです。

 

ですから、

信心とは、

仏さまの心を頂くことに尽きます。

 

私が信じるものじゃない。

私は既に頂いていた。

私には仏さまの存在がわからないから

声の仏さまとなって私に教えてくれていたんです。

 

生まれてから、

すぐに仏さまのお名前を言った子どもはいません。

では、今、皆さんの口から何で仏さまのお名前が出てくるんでしょう。

 

赤ん坊が「パパ」「ママ」というのは、

小さい時から自分のために愛情を注いで

「ハタラキ」続けていてくれたからです。

だから、人は育ててくれた人の名を呼ぶのです。

 

今、仏さまのお名前を呼べるのは、

既に仏さまに遇っているからです。

 

遇いがたくして 今遇うことを得たり

聞きがたくして すでに聞くことを得たり
                  親鸞聖人『教行信証』総序 

 

私たち、

本当は遇うことが大変難しいのに、

今、仏さまの教えに出遇っています。

 

私たち、

本当は聞くことが大変難しいのに、

今、仏さまの教えを聞いています。

 

死んだらどうなるか?

その問いに私からは答えが出てこないんです。

でも、その答えを仏さまが用意してくれていた。

 

そのこころを聞いたなら、

もう、「ありがとうございます」しかないんです。

 

このような

仏さまのこころを800年もつないで教えてくれた、

親鸞聖人に今日は感謝していきたいと思います。

            

南無阿弥陀佛    合掌

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い   お願い  

 

 

今回の法要は50年に一回の法要だそうで、

次の法要の時は私はお浄土に往生しておりますので、

今回参加できてよかったですニコニコ

 

今回、初めて、前門主様と御門主様を拝見し、

それぞれのお言葉もお聞きしましたが、

親鸞聖人から続く、法統の重みを感じました。

 

さて、

お釈迦様は「不妄語戒」と言って、

”嘘をつかないように”と言われています。

 

でも、振り返って、

様々な場面で嘘や偽り、ごまかしをしているのが私たちではないでしょうか。

やっぱり、

この世は嘘や偽りの世界というのは、

どうやら本当の事のようですね。

 

それでも、お釈迦様は人々を真実に導くために、

「善巧方便」としてわざと嘘をつくことを許されています。

 

お釈迦様も、我々が時には物事を円滑に進めるために、

時には人の心の安らぎのために使う嘘を

咎めたりはしないのではないでしょうか。

 

「だから、嘘もいいんだ」ということではないし、

もちろん悪い嘘は駄目ですけどね。

 

嘘、偽りの世界である認識の中で、

なるべく正直に生きて、

あとは仏さまにお任せをするのがいいようですニコニコ

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い