今日の東京は曇りくもりの一日でした。

今日は第四日曜日ですね

東京都豊島区誓願寺のお参りに行ってきましたニコニコ

 

 

何のために行くのか?

いろいろあるけれど、

まずは、こういうことです爆  笑

 

(今月の誓願寺の掲示板です)

 

本堂の御内陣(仏様のスペース)です。

 われも

 ひかりの

 うちに

 あり

 

 

今日はお彼岸と言う事で、誓願寺のご門徒さんが多数お参りをされました。

正信偈という、

親鸞聖人のお書きになった書物の中のお言葉を皆さんでお勤めし、

その後、法話会が開催されました。

 

今日の御講師は、大阪府高槻市常見寺の村田朝雅(むらたあさか)師です。

(下記は京都と書いてありますが、お気になさらずに・・・)

 

 

 

 

 

青字は村田師の言葉の要約です。

 

 

<転>

 

実は、

私はお寺の生まれではありません。

それこそ、家に何か宗教に関するものがあったかと言えば、それもなし。

18歳までは、何者に頭など下げることがない、

宗教などに関心がない「宗教ボヘミアン」でした。

 

さて、

高校3年になり、大学受験をしていくわけですが、

どうも、私の希望の大学とはご縁がないようで、

唯一、私を受け入れてくれる大学が龍谷大学文学部真宗学科でした。

うっそ~・・・。

行きたくはないけど、ここしかないし、行くか・・・・。

 

その頃の私がもし、街頭インタビューで、

   「あなたの大事なものはなんですか?」

と聞かれたら、こう答えています。

   「自分が一番大事、自分が一番正しい」

 

🎤  🎤  🎤  🎤  🎤  🎤  🎤  🎤  🎤  🎤  🎤

 

真宗学科は一学年、100人ほどの学生がいましたが、

そのうちの95人くらいは、お寺の子とか、関係者の子とかで、

浄土真数とは何のゆかりもない子は私を含めて5人ほどでした。

 

私は、小、中、高校と、授業中の態度と言えば、

一番後ろで頬杖をつきながら、遠目に授業を受ける人でしたが、

それに対して、その95人は違います。

 

先生が教室に入ってくれば、背筋をピンと伸ばし、

先生が「はじめます」と言えば、深々と一礼する、

私から見れば、とんでもない人たちでした。

「なんや、この人らは・・・」

 

但し、そうは言っても、反面

「なんか、それはそれで美しいなぁ・・・」

そんなことを思う自分もいるのでした。

 

そんな調子ですから、仏教の授業は全然面白くないものでした。

何だ、こんなこと、

  宗教なんて、人生で役に立つんかいな?

  宗教なんて、社会で役に立つんかいな?

 

どうせだったら、

  どうやったら、お金持ちになるのか。

  どうやったら、男の子にもてるのか。

  どうやったら、デートがうまくいくか。

 

教えろや~。

 

それから大学を卒業後、20年間は仏教とは無縁の生活を送っていました。

 

💴  💴  💴  💴  💴  💴  💴  💴  💴  💴  💴

 

例えば、

   「あなたの特徴は何ですか?」

そう聞かれたら、

   「私は話し方です」と答えます。

 

私、実は「どもり」なんです。

小さい時から、言葉がうまく出ないのです。

よく、裸の大将で有名な山下清さんが、

「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは・・・・」

という話し方で有名ですが、私もあんな感じなんです。

だから、昔から、ものすごくそれが嫌でした。

 

例えば、

小学校とか、音読ってありますよね。

教科書を読むのですが、私はうまくは読めないんです。

すると、同級生はこう言いました。

  「お前の話し方は、普通と違うな」

  「お前の話し方、変やな」

 

私はすごくすごく、それがコンプレックスで、

嫌で嫌でたまりませんでした。

 

それを抱えて40年。

ねじれた根性は、なかなか治りません。

いや、それどころか、

年と共に、心のねじれは大きくなっています。

 

そんな中で人生の大事件が起きました。

 

📘  📘  📘  📘  📘  📘  📘  📘  📘  📘  📘  📘

 

ある日、クリーニング屋さんに行ったときのことです。

私は自分の名前を言おうとしたんですが、

村田の「む」が口から出てこないんです。

・・・。

・・・・・・・。

 

その日以降、私の気持ちは落ち込んだままです。

   何故、自分の名前が出てこなかったんや・・・。

   これだったら、仕事にも差し支えるやないか・・・。

   小さい時から、何も良くなってないやないか・・・。

   ずっと、私はこのままなんやろか・・・。

 

一年間、ずっとずっとこのことで悩み続けました。

時には

  「仕方ないやん、今さら」

と言う自分と、

 

時には

  「あかん、このままではあかん」

その自分が交互に出てきます。

 

キチンとした回答を持ってないので、

もんもんとするんですね。

 

そのころの私。

右手にナイフを持って、

左に持っている心の筋肉を

ナイフでえぐり取っていう感じです。

 

  心の肉をえぐっているんだ。

  そのまま、えぐっていけば、心がなくなる。

  心がなくなれば、無感情になる。

  喜怒哀楽、全てを感じなくなる。

  感じなくなると言う事は、

  苦しみからも抜け出せるんじゃないか。

 

その頃の私

しんどくて、しんどくて仕方なかった。

涙が一日止まらないんです。

一日中泣いていました。

 

そうや。

  死んだらええやん。

 

それから、「痛くなく死ぬ方法」を調べました。

そんな時でした。

 

😢  😢  😢  😢  😢  😢  😢  😢  😢  😢  😢

 

私の中では、自然に大学時代の事を思い出していました。

ああ、あんなこともあったな。

ああ、こんなこともあったな。

 

その時、

遠くから響いてくる声がありました。

響いてくる声は自然に私の耳に入ってきました。

   「大丈夫や~」

  「大丈夫や~」

 

あ!

 

私、

先ほども言いましたが、

大学時代の授業は面白くも何ともなく、

勉強もしないから中身が難しすぎてさっぱりわからない。

大学の先生ときたら、みんながみんな学生を「上目遣い」です。

 

でも、

たった一人、

たった一人だけ違っていた先生がいました。

梯 實圓(かけはし じつえん)先生でした。

 

当時の私ときたら、思いあがっていますから、

先生に会っても、「どうも」と首だけを曲げる失礼な挨拶です。

当然、梯先生に会っても、私は小生意気な「首挨拶」です。

ところが、たった一人だけ、梯先生は違いました。

この小生意気な小娘に、

ニコニコしながら、

「どうも」「どうも」と言いながら、

深々と私にお辞儀をするのです。

 

講義の為に教室に入ってくる時も、

「どうも」「どうも」と言いながら、

何とも言えない安心できる雰囲気で入ってこられます。

 

あ、この先生、何かが違う。

 

そんな先生が、

私が死ぬ事を考えてきた時の一発目で出てきた。

 

ああそうか、先生の言葉

「あなたは未来の仏様」

その言葉がよみがえってきたのです。

 

先生、まだ生きてるのかな?

大学の時も高齢の方でしたから、

そう思って、インターネットで調べてみると、

梯先生の講義の様子を映した、一本の動画が出てきました。

 

その中で先生は、

    「私たちは自分に嘘をつかないと

   立っていられないような存在です。

   何かに掴まってないと

   立っていられないような存在です。

   でも、

   仏様に支えられて生きてみなはれ。

   自由に手や足を伸ばして生きてみなはれ」

 

死にたいと思っている人のところには、「人間の言葉」は響きません。

ですが、あの梯先生の言葉は「人間の言葉」じゃなくて、

仏様の言葉なんだ。

だから、私の心に響いたんだ。

私はその時本気で思いました。

 

それがね、

届くと何かが始まるのです。

 

 

転じる。

仏様の大仕事が始まるのです。

 

苦は苦のままで、

転じられる世界が始まるのです。

 

 

<抱えたまま生きていく>

 

さあ、そこから。

  どもりは、悪いこと。

  どもりは、いけないこと。

  どもりは、恥ずかしいこと。

だから、死んでやる。

 

その私が、それを機に変っていく・・・。

 

いや、

でも、

やっぱり、

大きく変わるわけないやろ

 

どもりは、カッコ悪いよ。

どもりは、ヤダよ。

 

でも、

その挫折の気持ちを殺して生きれたらいいのか?

なかったことにしたらいいのか?

 

いや、

その挫折こそ、

私の人生の一部ではなかったのか。

今までの喜びも

これからの喜びも

今までの悲しみも

これからの悲しみも

今までの苦しみも

これからの苦しみも、

 

実は私と一心同体なんだ。

挫折を殺すことは、自分を殺すことなんだ。

 

であれば、

どもりながら生きていく人生でええやんか。

 

いやいや、

そんな簡単に変われるか。

できんよ。

 

だからね、

悩みながらでいいんだ、一生をかけて解決しようよ。

悩みながらでいいんだ、仏様と一緒に歩いていこうよ。

悩みは悩みで抱えたままで、生きていけばいいんだ。

悩みは悩みで抱えたままで、生きていていいんだ。

 

そんな風に思ったんです。

 

👄  👄  👄  👄  👄  👄  👄  👄  👄  👄  👄

 

大学時代は興味もなかった仏教だけど、

私、このままでいたら、1年後にやっぱり死んでしまう。

もう一度、仏教を学びなおしたい。

 

それには、まずは、私を救ってくれた梯先生のところで学びたい。

私はお坊さんの学校である「行信教校」に入学をしました。

ところが、入学して梯先生の講義が聞けると思っていましたが、

5月に先生は往生されます。

 

私はすっかり気落ちし、学校をやめようと思いましたが、

仲間の学生がこんなことを言ってくれました。

  「この学校は梯先生が60年過ごされた場所だよ。

  この教室、あの畳、そして、この香り、

  梯先生の香りが染みついた場所なんだ。

  仏教の教え、梯先生が伝えたかったことを

  ぼくらと一緒にきいてみないか」

 

それから、6~7年、私はこの学校にいたのですが、

この師

この仲間がいなければ、

今日、ここに立つことも、

皆さんと出会うこともなかったでしょう。

今日は皆さんと出会えて、本当に嬉しい。

これもみんなすべて仏様のお陰です。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い

 

 

人は「死にたい」と思うと、

自分の人生がフラッシュバックされる時があるのではないでしょうか。

その時、過去の体験から「人生の支えになるもの」が見つかった。

私も同じような体験があるけれど、

村田さんよかったなとか、しみじみ思いました。

本当にお辛い思いをなさった村田師ならではの迫力と、

泣いて、笑って、それでいて中身の濃い法話を頂きましたニコニコ

 

さて、今日はいつもに増して誓願寺のご門徒さんが多く、

(お寺の彼岸会なら、そりゃそうだ爆  笑

それでも、他のお寺の私は一番前の席を与えられ、

隣には誓願寺の住職と並んでお聴聞をさせて頂きました照れ

 

さすがに法話会後のお茶会は遠慮させて頂きましたが、

今日もたくさんのご縁と誓願寺の皆様の気遣いを頂きました。

帰りには栗饅頭を頂きました。

 

 

 

よく見るとお寺の名前入り饅頭のようです。

いつ行っても、気持ちのいい誓願寺です。

 

 

最後に梯實圓和上のお顔の写真を借りしました。(行信教校HP)

実にいいお顔です。

ちなみに梯先生の言葉で、私の好きな言葉は、

    「無常だから花が咲くんやで」

「今日とは違う明日が来る」と言うことですねウインク

 

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い