東京は今日も晴天晴れで、昨日よりも気温は上昇。

今日の日中はコートいらずの一日です。(個人の感想です爆  笑

 

お参り後は、義援金を忘れずに。

 

 

では、聴聞を致しましょうニコニコ

 

 

今日の御講師は、昨日に引き続き、北海道札幌市浄光寺の青山直樹師です。

 

 

 

 

青字が青山師の言葉の要約です。

 

 

<無常の風>

 

CMでもやっていますが、

今は二人にひとりが癌にかかる時代で、

三人にひとりが癌で死ぬ時代だそうです。

 

さて、

人は何で死ぬのでしょうか。

仏教では、因縁果(いんねんか)と言うのですが、

基本的な考え方があります。

つまり、

 

因 ・・・・・・ 物事の結果を引き出した、根本的原因の事です。

縁 ・・・・・・ 様々なご縁のことです。

果 ・・・・・・ 結果です。

 

「果」が「死ぬ」という結果なら、原因は何でしょう?

癌? 

それは「縁」ですよね。

 

「死ぬ」に対しての「因」は

「生まれてきた」

と言うことです。

 

じゃあ、もう一つ。

「ろうそくの灯が消えた」

という「果」(結果)があれば、

「因」は何でしょう。

「縁」は風は吹いたとか、ろうそくがなくなったとかありますが、

「ろうそくの灯が消えた因」は

「ろうそくに火をつけた」

ですよね。

 

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本願寺の第八代の御門主の蓮如(れんにょ)上人が、

有名な御手紙を残してくれました。

その中のひとつに「白骨の御文章」 というものがあります。

 

御手紙の中の文章の一節には、こんな文章があります。

 

   されば朝(あした)には  紅顔(こうがん)ありて

   夕(ゆう)べには  白骨となれる身なり。
   すでに無常の風  きたりぬれば、
   すなわち  ふたつのまなこ  たちまちにとじ、 
   ひとつのいき  ながくたえぬれば、
   紅顔むなしく変じて、
   桃李(とうり)のよそおいを   うしないぬるときは、

   六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて  なげきかなしめども、
   更にその甲斐あるべからず。

 

意味は、

   朝には頬を真っ赤に染めて夢と希望に満ち溢れていても、
   私たちは夕方には白骨となる身なのです。

   今、無常の風が吹いたならば、
   二つの眼はたちまちに閉じ、
   呼吸は永遠に途絶えてしまいます。
   血の通った顔もはかなく色あせ、
   桃や李(すもも)のような瑞々(みずみず)しい美しさも失われてしまいます。
   無常の風が吹いたその時、
   家族や親族が集まり 歎き悲しんでも、
   元気な姿を再び見せることはありません。

 

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その蓮如上人と年齢は違えど、同じ時代を生きたお坊さんとして、

臨済宗の一休さんがいます。

 

ある日、一休さんが町を歩いていると、

ある男性が一休さんを見つけてこんなことを言ったそうです。

「最近、孫が生まれたのだが、何かめでたい言葉を書いてほしい」

 

そこで、一休さんが書いたのはこんな言葉でした。

 

  親死ぬ

  子死ぬ

  孫死ぬ

 

死ぬ、死ぬ、死ぬと三つも「死ぬ」とは、なんとも縁起の良くない言葉です。

男性が不服そうな顔をすると、一休さんはこう言ったそうです。

 

「親が死んで、子が死んで、孫が死んで、

これが一番めでたいではないか。

それが、親より、子や孫が先に死んだら、どんなに苦しいか。

この順番が一番だ」

と言うのです。

 

蓮如上人も、先ほどの白骨の御文章で、

 

   人間のはかなき事は、
   老少不定(ふじょう)のさかいなれば

 

このような人間の厳粛な事実は、

  老いも若いも関係ありません。

  順番などもありません。
  誰も避けては通れません。

そのように言っているのです。

 

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野口雨情さんと言う詩人がいました。

野口さんは、童謡の「しゃぼん玉」の作詞者として有名ですが、

あの曲は、野口さんが我が子を生後1週間で亡くしたときの悲しみが

歌詞になっているそうですね。

 

一番はこうでしたね。

 

   しゃぼん玉 飛んだ 

   屋根まで 飛んだ 

   屋根ま で飛んで 

   こわれて消えた

 

   風 風 吹くな 

   しゃぼん玉 飛ばそ

 

大きな青空や、夢の広がる光景が目に浮かびます。

ところが二番はこうでした。

 

   しゃぼん玉消えた 

   飛ばずに 消えた 

   生まれて すぐに 

   こわれて 消えた

 

   風 風 吹くな

    しゃぼん玉 飛ばそ
 

歌詞の一番の”見える景色”とは

一転、

何か違ってはいませんか。

 

風が吹いたのです。

 

仏教では、「諸行無常」と言って、

「無常」

つまり、「ものごとはいつまでも同じじゃない」と言います。

 

私たちにも、いつか、

いや、今日にでも

無常の風が吹けば、

この眼が閉眼するかもしれません。

 

それは、私たちの愛しい方の身にも、やがて必ず起こることなのです。

 

 

 

<最後に当てにできるもの>

 

「無常の風」の話をしていきます。

私は京都の出身ですが、

ご縁あって、今の北海道のお寺に行くことになりました。

今の浄光寺は最初は炭鉱のある場所にあったのですが、

昭和40年代にエネルギーが石炭から石油に変ったあたりから、

閉山になっていき、人口もいなくなってしまいましたから、

その代わりに今の札幌に引っ越してきたんです。

 

二代目の住職は「あさのきょうしん」と言って、昭和4年生まれで、

京都の龍谷大学を卒業後も大学に残り、

その後、龍谷大学名誉教授になりました。

また、浄土真宗本願寺派では勧学(かんがく)と言って、

宗門ではトップの方に位置する、責任ある立場の地位にある人でした。

 

その後、68歳で定年退職をして、ようやく自分のお寺に戻ってきたのでした。

帰ってくると、車であちこちのご門徒さんのお宅を訪問しては、

丁寧にお参りをしていました。

ところが、時々、スピードの出しすぎで交通切符を切られますが、

それでも、懲りずに何回もスピード違反を起こし、

免停になることも珍しくありませんでした。

 

免停中は自転車で移動しますが、夜遅くなってしまうので、

バッテリー付きの自転車を買ったりしていました。

あまりに、自分で何でもやろうとするので、

たまには私たち夫婦に任せるように言うと、いつも大喧嘩になります。

喧嘩、じゃないですよ。

大喧嘩です。

 

そんな時、私たち夫婦はいつも思いました。

  「住職は、自分ばかり当てにしている」

  「住職は、自分を頼りに生きている」

 

🚴  🚴  🚴  🚴  🚴  🚴  🚴  🚴  🚴  🚴  🚴

 

平成20年4月4日の事です。

住職は朝から元気で、免停中でしたので、

電車を使って、銀行に行ったりと用事を済ませていました。

 

そして午後4時頃のことです。

私が外から帰ってくると、住職はソファーに座っていました。

「ただいま」

私がそう言うと、住職は口をもごもごさせて何かを言っているのですが、

あまり聞き取れません。

 

そのうち、トイレに立ったのですが、

廊下の壁伝いに寄りかかる様にトイレに行きます。

トイレに着くと、今度はドアノブもうまく回せません。

 

トイレから出てくると、

頭がとても痛そうに、顔をゆがめています。

私はすぐに救急車を呼びましたが、

「本人が救急車に乗るのを拒否してます」と言ったら、

「じゃ、本人が乗ると言ったら電話ください」と言います。

そんな・・・・。

住職は嫌がっていましたが、「本人が乗ると言ってます」と嘘を言って、

救急隊を要請しました。

 

症状から、頭の病気ではないかと言うことで、

病院はお寺から歩いても1分程度で着く、脳神経外科です。

救急隊の車に乗って、病院に15秒で着きました。

すぐにMRIを撮って、病名は「くも膜下出血」でした。

直ぐに、入院、手術となりました。

手術は7時から始まって、終わったのは午前2時でした。

 

予定通り終わっても、医師からは、

「今後1週間は、どんなことが起こるかわからない」と言われ、

ICU(集中治療室)で過ごしました。

意識はなく、昏睡状態です。

 

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そして、入院して3日目か4日目の事です。

 

私たち夫婦が面会に行くと、

病室から意識不明のはずの住職の声がします。

病室に入ると、眼を閉じながらこんな声が聞こえてきました。

 

な~ ん  まん  だぁ~  ぶ

 

私たちはびっくりしました。

お坊さんもいろんな方が居て、

なんまんだぶ(南無阿弥陀仏)が常に声に出ている方と、

そうでない方が居ます。

住職は、普段、家ではあまり言わなかったので、びっくりしました。

だって、意識不明状態で言う言葉がこれでしたから。

 

その時、私たち夫婦は思ったんです。

こんな状況で出る言葉が南無阿弥陀仏なのか。

   この私の姿を忘れるなよ。

   人間の最後のピンチにご一緒なのが仏様なのだ。

   人生は、お金も地位も名誉も当てにならないけれど、

   最後に当てになるのはなんなのかを見極めるんだよ。

 

住職の特別講義だと思いました。

 

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その後、住職は奇跡の回復をしましたが、

残念ながら、脳の言語の部分を損傷したので、

日常会話はうまくできなくなりました。

 

そして、病院を退院後は、リハビリの病院に転院することになりました。

実は、住職には実の息子さんと娘さんが居ます。

退院後のリハビリは、娘さんの住む広島県で行うことになりました。

 

広島へは飛行機で行きますが、その日は午後の便でしたので、

午前中は昼食を兼ねて一度、半年ぶりに自分のお寺に戻ることにしました。

一時的とはいえ、自分のお寺に帰ってきたのだから、

みんなで一緒にお勤めをしよう。

「讃仏偈(さんぶつげ)」という短いお経を一緒にしました。

 

私が真ん中で先導します。

後ろには、私の妻や住職がいます。

実の息子さんや娘さんがいます。

 

さあ、始めます。

  光顔巍巍(こうげんぎぎ)・・・・・。

 

最初の言葉で、私は次の言葉が出てきませんでした。

住職と一緒にするお勤めはこれで最後になるかもしれない。

大喧嘩も何度もしたけど、

倒れた時に病室の意識不明な中での

迫力ある「南無阿弥陀仏」は忘れません。

 

私が涙で次の言葉が出ないでいた頃、

私の後ろで、

  威神無極(いじんむごく)、

  如是焔明(にょぜえんみょう)・・・・・・

ぼそぼそと言う声が聞こえます。

 

住職だ!

 

私はびっくりしましたが、

後で聞いたところによると、

脳が損傷し、臨機応変に対応する日常会話が出なくても、

脳と言うのは、記憶の部位でカバーできる。

だから、お経や歌は比較的、声に出しやすいのだそうです。

 

まだ、

こんな状況でも、

私たち夫婦に「大切なこと」を伝えているのでした。

 

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それから、広島で住職は10年を過ごしました。

私は住職が倒れた4月4日に、

実の息子さん、娘さんに「倒れて●年だね」と毎年メールを送っています。

 

平成31年4月5日のことです。

実の息子さんから連絡がありました。

「父が往生しました」

 

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振り返れば、父は認知症の方や寝たきりの方や

脳梗塞なので倒れてリハビリをする方たちを見ていて、

「ああなりたくはないな」と言っていたこともあったのですが、

結局は病気のご縁を頂いて、自分がそうなりました。

 

でも、

自分で身をもって、

大事なことを私たちに示してくれていたように思います。

 

親鸞聖人は、歎異抄で、こう言っています。

    煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、

    万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、

    ただ念仏のみぞまことにておわします

意訳をすれば、
   「火のついた家のような不安な世界に住む、

   煩悩にまみれた私たちの世界は、

   すべてがそらごと、たわごとであり、まことは一つもない。

   その中で、たった一つ阿弥陀様の念仏のみが本当の真実なんです」

 

よく、お寺の掲示板ってありますよね。

大抵は定期的に言葉を変えるのですが、

私のお寺はずっと住職が貼っていた言葉があります。

 

何十年も学生相手に宗教の理論を教え続けてきた住職が

お寺に帰ってきて、どのような心境だったかはわかりませんが、

皆さんに伝えたかったことだと思います。

 

宗教とは

理屈をこねまわすことではない

信仰とは

日常生活に一本の筋を通すことである

 

 

(住職と青山師のお子さん)

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い 

 

 

私たちが「これがあれば幸せになる」と信じていた、

お金、地位、名誉、財産は実は当てにはならないものなのかもしれません。

信頼をしている友人、知人、家族さえ、

絶対に裏切らないという保証など何もありません。

それは世の中を見ていれば、ある程度は納得できることなのかもしれません。

 

  皆、そらごと。

そらごととは、嘘や偽りの世界ということ。

  皆、たわごと。

たわごととは、ふざけた世界、ばかばかしい世界。いい加減な世界ということ。

 

自分だけを当てに生きていこうと思っていても、

老、病、死の前では

きっと誰もが

無力なのだと思います。

 

その中で、

最後、

仏様だけはご一緒であった。

その証拠が、

意識不明の中で示された住職のお念仏だったのですよね照れ

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い