今日の東京は、晴れ晴れ時々曇りくもりの天気です。

気温は上がりませんでしたが、風も少なく、「極寒」とまではいかない体感です。

 

お参り後は忘れずに。

 

 

今月のお寺の参拝カードです。

 

 

裏面です。

阿弥陀様が何でいるのか?と言えば、

私一人の為にいるのです。

ストレートに言えば、そのような意味ですニコニコ

 

 

お寺の掲示板です。

相変わらず、味のある書体です。

 

 

さあ、法話を聞きましょうニコニコ

 

 

今日の御講師は、東京都世田谷区正法寺の白川憲仁師です。

私のお手次寺の副住職ですから、何としても聞かないと、です爆  笑

 

 

 

 

青字が白川師の言葉の要約です。

 

 

<とけちゃうんでしょ>

 

私の息子は9歳になるんですが、

横から生えてきた歯が曲がって生えているので、

それを抜歯することになったんです。

それで、先日、私の付き添いで歯医者さんに行ったんです。

 

今の歯医者さんは凄いですね。

モニターが二つあって、一つは風景の動画、

もう一つは自分の治療をしているところが見えるんです。

但し、自分の歯の治療の様子が丸見えで、

安心する人もいれば、見たくない方もいるでしょうね。

 

さあ、麻酔をして抜歯ですが、

本来、事前に決めた歯を抜くだけかと思っていたら、

どうも先生も予想外で、

その隣の歯も根っこが弱っていて抜く必要があることがわかりました。

ところが、隣の歯には麻酔が掛かってないですから、息子は痛がりました。

 

傍で見ていた私はというと、

私は痛いはずはないんですが、

一緒に痛がってしまいました。

こんなことは親御さんなら御経験があると思うのですが、

これって「痛みの共感」ですよね。

 

にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり 

 

以前、私のお寺の住職が膝を悪くしたことがあったのですが、

そうしたら、それを知ったご門徒さんから

  「わかるわかる。私も以前こんなことがあってね・・・・」

そんなことを言われました。

また、別の方は

  「私もそんなことがあってね」と言えば、

その奥様は、

  「健康維持のために健康器具を買ったんだけど、

  使い方がわからずにかえって足を痛めちゃって」とのこと。

次々に「私もわかる」の連鎖が起きました。

 

そう言えば、

私は以前、腰痛をやったことがあるんですが、

その時も周囲の方の「私もわかる」連鎖がありました。

 

私たちって、

「可哀そうね」と言われるよりも

「わかるよ」と言われた方が

数倍嬉しいですよね。

これが「共感」の力だと思います。

 

人にわかってもらうことは

本当に嬉しいですよね。

 

👣  👣  👣  👣  👣  👣  👣  👣  👣  👣  👣

 

よく、慈悲と言うのですが、慈悲には大中小があるんです。

 

まずは小悲。

これは、衆生縁とも言って、私たちの起こす慈悲です。

親が子を見て、可愛い、可愛そうと思う心です。

ところが、自分の子は可愛いけど、

他人の子も同じようには見られません。

 

次に中悲。

これは、法縁とも言って、仏教を極めた聖人レベルの人が起こす慈悲です。

だから、自分の損得に関係なく、見られるレベルですが、

私の苦しみと、他人の苦しみは別にみていきます。

 

最後は大悲。

これは、無縁とも言って、誰の区別もなく起こす仏様の慈悲です。

この大悲だけは、唯一、自分と相手が同体なのです。

「あなたの悲しみは私の悲しみ」

「あなた」とは、全ての方を対象にします。

 

 

にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり  にっこり

 

東京では2月5日に大雪が降りましたが、お寺ではさっそく雪かきをしました。

雪かきをしていたころ、

うちの7歳になる娘はというと、小さな雪だるまを作りました。

東京ではめったに雪は降りませんから、その気持ちよくわかります。

 

さて、雪はと言うと、1日だけしか降りませんでしたので、

早速、翌日から少しずつ溶け始めていきました。

その日、私は息子を連れて歯医者さんに行ってきたのですが、

帰ってくると、長男の元気がやけにありません。

私は訳を聞きました。

すると、息子は泣きながらこう言ったのです。

  「ひとえちゃんが つくった ゆきだるまが とけちゃった」

 

私はうちの子ながら、思わず胸が熱くなりました。

こどものころは、こんな気持ちもあるんですね。

私は言いました。

  「明日、もっと大きな雪だるまを作ろう」

 

翌日、日陰でまだ溶けてない雪をかき集めて、大きな雪だるまを作りました。

両手には木の枝で、頭にはプラスチックのバケツをかぶせました。

私は息子に見せましたが、また涙を見せました。

「とけちゃうんでしょ」

 

私は、

いや、ここがお坊さんの悪い癖ですが、

  「形あるものはいつか崩れる」

  「諸行無常と言って、いつまでもおなじじゃない」

そんなことを言いながら、

  「みんなで写真を撮ろう」

そう言って、

雪だるまを挟んで左右に息子と娘を並ばせて、撮ったんです。

 

やがて、その雪だるまはなくなりました。

あとには、木の枝とバケツが残っていました。

その時に思ったんですが、

遺影ってあるじゃないですか。

あれも、失う前の写真だったんだなと。

 

失われるのは悲しいですが、

一緒に悲しむ人がいてくれる。

何だか、ありがたいな、と。

いろいろなことを思った雪の日でした。

 

 

<過去帳>

 

御位牌ってありますよね。

よくご門徒さんのお家にお参りに行って、

お仏壇を見ると、御位牌が結構置いてあるのですが、

中にはご本尊様が見えないほど、ぎっりのこともあります。

 

さて、私のお寺のご門徒さんのお話です。

あるご門徒さんのお宅には、過去帳が置いてありました。

聞くと、江戸時代から受け継がれてきたそうで、

真っ黒で、紙もボロボロです。

そこで、「書き換えて下さい」と頼まれたんです。

もちろん、専門の業者さんに頼んだほうがきれいに書いてくれますけど、

お金もかかりますから、私は「わかりました」と承諾しました。

 

まずは、お一人お一人、名前を確認して、パソコンで一覧表にしていきます。

中には読めない字もたくさん出てきますので、調べていきますが、

昔の流れるような文字は色がくすんでいたり、

汚れもあったりと、さすがに読めずにわからないので、

「何と書いてあるのかわからないけど、文字の形そのままに模写する」ことで、

名前を確認していきました。

 

そうやって名前を調べていく中で、関係も出てきます。

〇〇の息子

〇〇の娘

〇〇の妻

 

そうしていくと、お一人の方が目に留まりました。

詳細は言えませんが、しょうぞうさんと言う方です。

時代は明治です。

しょうぞうさんは、

  まずは、6歳になる子を亡くしています。

  つぎに、4歳になる子を亡くしています。

  つぎに、父親を亡くしています。

  つぎに、1歳になる子を亡くしています。

  つぎに、母親を亡くしています。

  つぎに、奥さんを亡くしています。

  そして、ご自分は80歳で往生されています。

 

人生は苦なり

お釈迦様の言葉です。

 

生きている間はいろいろなことがあります。

死はできれば避けたいことの第一番ですが、

過去帳は人がどうなるかを示してくれています。

 

でも、

しょうぞうさんは

やっと仏様になられたんですね。

苦の世界から仏様の世界に行かれたのです。

私はなぜか安堵しました。

 

私たちは、

死を一人一人で見ていきますが、

江戸時代までさかのぼると

大変な人数の方が

自分より前に

「人生」という苦難の坂を

歩かれていたことがわかります。

 

人はやがて忘れ、

人はやがて忘れられますが、

阿弥陀様と言う仏様だけは忘れません。

 

人は、縁ある人に慈悲を注ぎますが、

阿弥陀と言う仏様は、縁に寄らずに、全ての人に慈悲を注ぎます。

 

人は、自分の子供がナンバー1と見ていきますが、

阿弥陀と言う仏様は、縁に寄らずに、全ての人がオンリーワンと見ていきます。

 

こんな風に知恵も慈悲も偏ったこの私が、

どうしたら仏になるのか。

 

私が頑張って仏になるんじゃない。

「頑張るのは仏様であった」と聞いていくのが法話なんですよね。

 

 

<今も呼び続けています>

 

毎日新聞に「女の気持ち」という、一般の方の投稿欄があります。

2010年10月19日にお母さんをテーマにした記事が掲載されました。

61歳の尼僧の方の投稿でした。

 

   今年の8月は、とても暑かった。

   「こんな暑い時に逝ってしまうのも大変やから、

   もう少し涼しくなってからにするわ」

   93歳の母は言った。

 

   慢性心不全の疾患もどんどん悪くなり、

   お医者さんからは「在宅がいいか、入院がいいか」と聞かれ、

   在宅介護を選んだ。

 

   一か月の介護生活を経て、緊急入院。

   酸素マスクはしていたが、一時的にマスクを外して最後の会話ができた。

   帰宅した翌日の朝、母は亡くなった。

   94歳の誕生日の二日前のことだった。

 

   先に亡くなった連れ合いが迎えに来たのだろう。

   母はこうして私に

   「老・病・死」の三苦を身をもって私に教えてくれたのだった。

 

   私もいつか行く道

   お母さん

   用事は何もないけれど、

   呼んでみたいの

  お母さん

 

   61年間一緒にいられて幸せでした。

   ありがとう

 

 

この投稿を読んだ読者から、10月29日に追い投稿がありました。

 

   10月19日の投稿を読んで私は救われました。

   私が6歳の時に両親が離婚。

   私たち兄弟も、それぞれの親に引き取られていきました。

   そして、10歳の時にお母さんを亡くしました。

   お葬式の時のお母さんの死に顔が、最後のお別れでした。

 

   あれから25年。

   時々、発作のようにお母さんが恋しくて、涙することがあります。

   35歳になった大人がこんな気もちになっていいものだろうかと

   思っていたけれど、あの投稿を読んで気持ちが軽くなりました。

 

   還暦を超えてもお母さんは恋しい人なんだ。

   ずっと恋しいと思っていていいんだ。

   

   今は結婚して、二人の子供たちにも恵まれてとても幸せです。

   それも、あの時の淋しさがあったから、

   今の幸せの一瞬一瞬が愛おしく思えるのです。

   ありがとうございました。

 

すると、この投稿を読んだ読者から、更に11月19日に追い投稿がありました。

 

   10月29日の投稿を読んで涙が止まりませんでした。

   私は昨年在宅でお母さんを見送りました。

   しんどそうにしているお母さんをみては

   「大丈夫」「大丈夫」としか言えませんでした。

 

   思えば、お母さんはいろいろな苦労を背負った人生でした。

   それでも、たった一人のお母さん。

   私は今も、

  何かあるたびに、

  お母さんと呼び続けています。

 

おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん

 

私たちは辛い時、誰かの名前を呼んでいることはないでしょうか。

それは、おそらく、誰かのハタラキがそこにあるのですよね。

それは、「何とかして」「助けて」だけじゃない、

恋しい

会いたい

呼んで安心をするハタラキでもあると思います。

 

それは、私の苦しみ、悲しみをわかってくれる、

その方だから呼ぶのでしょうね。

 

何を期待するわけでもなく、

一緒にいてくれるだけでいい。

 

仏様がお母さんのハタラキに例えられるのは、

そういうことなのかもしれません。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い 

 

 

今日の法話に出てきた過去帳とは、このようなものです(画像をお借りしました)

 

 

中はこんな感じ(画像をお借りしています)

 

 

ちなみに、我が家の過去帳は今日の御講師の憲仁さんに書いて頂いています。

頼まれやすいのかな・・・爆  笑

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い