今日の東京は薄曇りくもりでしたが、昨日、一昨日に比べて風がなく、

日中は寒さは感じませんでした(個人の感想です)

 

お参り後は、義援金を忘れずにニコニコ

 

 

そのあとは、法話を聞きましょう。

 

 

今日の御講師は、昨日に引き続き、山口県下関市専福寺の福田了潤師です。

 

 

 

 

青字が福田師の言葉の要約です。

 

 

<耐えていく>

 

昔は人生50年と言われていましたが、その後、60、80、

いよいよ人生100年の時代となりました。

今、100歳の人は全国で何人いると思いますか?

9万人以上なのです。

但し、そのうちの80%は寝たきりの方です。

こうなると、死ぬまでどう生きるのかが難しい時代となりました。

 

作家の佐藤愛子さんは大正12年生まれですから、

ちょうど100歳なんですが、

ご自身の本にこう書いています。

 

これからの老人は、

老いの孤独に耐え、

肉体の衰えや苦痛に耐え、

死にたくてもなかなか死なせてくれない現代医学に耐え、

人に迷惑をかけていることの情けなさに耐え、

申しわけなさにも耐え、

そのすべてを

恨まず

悲しまず

受け入れる心構えを

作っておかなければならないのである。

老後の楽しみなど求めてる暇は私にはない。

 

いつまでも元気でいて、

子や孫に囲まれて笑いの絶えない老後なんて、

あればそれはいいでしょうが、

また、

家族が周囲にたくさんいれば、

協力しあって面倒を見られますが、

実際は「核家族化」「認知症」でそれが難しくなっています。

 

ある雑誌に、こんな投稿がありました。

東京都にお住いの49歳の男性です。

   「毎日が地獄です」

これが書きだしです。

 

   私は大学を卒業して、やがて結婚しますが、その後離婚しました。

   実家に戻って、認知症の母親の面倒を12年みています。

   姉がいますが、余裕がないので、

   仕方なく私がお母さんをみていますが、

   腎不全の治療で毎月15万円、おむつ代は月に5万円の出費です。

   病院を退院後、母親はというと、コンロの火はつけっぱなしだし、

   服の着替え、トイレも自分が介護します。

   私が夜勤警備の仕事に行こうとすると、「自分も連れて行け」と騒ぎ、

   仕事に行けば行った間に徘徊し、

   何度も警察のお世話になります。

   そして、そのたびに転ぶので、

   徘徊後は洗濯機では落ちない汚れを手洗いしますが、

   そのたびに、私は泣きながら洗濯をします。

 

   いつまで生きるつもりだ。

   死んでください。

   母に死んでもらうか、

   私が死ぬか、

   これが唯一の楽になる方法です。

 

おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん

 

皆さんの御家族は、いい家族ですか?

山口の方は田舎で、都会と違って仕事がないですから、

若い人はみんな都会に出ていきます。

すると、親のお世話ができないから、

長期の療養型病院で亡くなるか、

施設で亡くなるか、と言う感じです。

 

ある本に、

施設に入所してる利用者の中で、

認知症のない人は「泣いて過ごす」と書いてありました。

気になったので、いつもボランティアで行く、

特別養護老人ホームの職員の方に聞いてみました。

そうしたら、

「みんながそうではないですが、もしそう思う方が居たら、

そんな思いをさせていることに、我々は反省をしないといけませんね」

そう言っていました。

 

おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん  おじいちゃん

 

秋に柿の木に、柿の実が一杯なります。

そうすると、

鳥や猿や、下手したら人間まで取りに来ます。

その風景は、柿を中心にみんなが寄ってくる風景です。

 

ところが、

柿の実もすべて取られたり、地面に落ちたりして、

木に実がなくなりますよね。

すると、

誰も寄り付かなくなっていきます。

見向きもしなくなります。

 

私たちも、

子や孫に与えるものがあるうちは、みんなが寄ってきます。

でも、与えるものがなくなると、誰も寄ってこなくなる。

そんなことはないでしょうか。

 

そう考えると、

今、私たちが「心の拠り所にしているもの」は、

いつまでも頼りにはならないのではないでしょうか。

その人生の中で、本物の「誠」がある。

それが、仏ささまの救いだと親鸞聖人は仰せです。

「念仏のみが誠なり」と。

 

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歳を取ると、身体のいろんなところが悪くなります。

動かなくなります。

「わたしゃ、手も足も動かんようになったが、口だけは達者じゃ」

そう言う方は居ますよね。

 

手が動かずとも、

足が動かずとも、

残った口でできることがあります。

それが、「仏さまのお名前」を呼ぶことです。

 

南無阿弥陀佛。

それはどこから出てきましたか?

私の身から飛び出してきたのが南無阿弥陀仏。

仏様が自分の「身体の中にいた」ということなんですよ。

 

そして、

私たちの身体の中で、最後までハタラク場所があります。

それが耳です。

 

群馬に阿部信幾先生がいますが、

阿部先生がチベットに行ったとき、

高山病に罹り、意識を失ったことがありました。

もちろん、周囲の人は大慌てですが、その中に医師がいたそうです。

医師が血圧を測ると「エラー」が出ます。

当時の血圧計のエラー表示は、血圧の上が30以下の時です。

いや、いつ亡くなってもおかしくない状況でしたが、

その後、阿部先生は奇跡的に回復されます。

その時、意識がない中で、

唯一、周囲の声は最後まで聞こえていたと言うのです。

 

ですから、身体の中で、最後の最後まで残るのは耳なんです。

身体が動かなくなっても「最後に残ったのは耳」ということは、

「南無阿弥陀佛」という仏さまが

「最後まで一緒にいるよ」と聞かせて頂くためなんです。

 

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お陰様で、私も御説教で九州のお寺まで呼ばれることがあります。

高速を使って、長崎の方まで行くときは

片道5時間半くらいかかるのです。

一度行けば4日ほどの法座になりますが、

宿泊先はビジネスホテルが多く、なかなか夜は寝つけません。

その中で4日間勤めて、

最終日に5時間半かけて下関まで帰ってくる時は、

さすがに疲れのピークになります。

 

それでも、何で帰るのか。

それは帰る場所があるからです。

待ってくれている人がいるからです。

 

いつか、

誰もが人生と言う旅を終えていかないといけません。

その先にお浄土と言う帰る場所がある。

そこでは待ってくれている人がいる。

それまでは頑張ろうと思う。

人生はそういうものなのかもしれません。

 

<御恩報謝>

 

よく、仏さまのことを「親さま」と言います。

親さまと言うのは、

無条件に子供の事を引き受けてくれるから、

「仏様のはたらきと一緒だ」という意味なんです。

 

例えば、お母さんのお腹の中に子供がいるとしたら、

お母さんの食べるものは子供が食べるものです。

お母さんが食べなければ、お母さんも子供も生きてはいけません。

つまり、お母さんとお腹の中の子供は、一つのいのちなんです。

そして、自分のこと以上に、子供の事を思ってくれるのがお母さんなんです。

 

私は4人の子供に恵まれましたが、

たまにですが母親の代わりに一番下の幼稚園の子のお迎えにいくわけです。

すると、必ずこう言います。

「何で今日はお父さんなの? お母さんは?」

いくら何でも、何で?は、ないだろうと・・・・。

 

「お母さんは家だよ」

そう言うと、子どもは安心するんです。

お母さんがいれば、子供は安心なんですね。

 

やがて、うちの4人の子も、今の親の年代になれば、

親の気持ちがわかるでしょう。

親心も知る様になるでしょう。

 

親の心が分かると、御恩報謝の心が芽生えます。

そして、これからは御恩報謝で生きていこうと

思うのではないでしょうか。

 

赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん

 

お釈迦様は「縁起」を覚って、仏さまになりました。

縁起をもう少し詳しく言うと、「因縁生起(いんねんしょうき)」と言います。

いろいろなことは、

そのモノ、その人だけで「単独でいる」のではないと言うことなんです。

 

例えば、花も花だけで、存在していたのではありません。

種があり、土があり、水があり、お日さまがあり、

「種」という因が、「土、水、日」のような縁と巡り合い、花となるんですね。

 

よく、人類の祖先は、アフリカの黒人と言われます。

最初、そのご先祖さまは赤道直下にいましたが、

突然変異で白人が生まれ、

暑いところでは住めないので、北に移住し、

更に黄色人種への別れていったと言うのです。

 

私たちの祖先、

誰が欠けたって、今の自分はありません。

人も単独で存在していないのであれば、

周りと良好な関係を保つこと、

周囲を幸せにする生き方が、結局は自分を幸せにする。

そういうのを、お釈迦さまが言ってるんです。

 

よく、自分のものを相手に差し出すのを「布施」と言いますよね。

もし、自分の手にしたものを独占したらどうなりますか?

周りは敵だらけになりますよ。

もし、自分の手にしたものを相手に与えたらどうなりますか?

周りは味方だらけになりますよ。

じゃあ、どっちが幸せでしょう。

 

おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん

 

以前、お盆参りで、あるご門徒さんのお宅に行きました。

そのお家は90歳を超えたおばあちゃんがいるのですが、

普段は施設で暮らしていますが、その日はお盆と言うことで

たまたまお家に帰っていたんです。

 

私はおばあちゃんと久しぶりに会いました。

「お坊ちゃん(私の事です)、私は今が一番幸せよ。

施設の人は良くしてくれるし、周りの人もいい人ばかり」

 

いや、実は、

このおばあちゃんが、

いつも周囲にニコニコと優しく接しているから、

いつも、「ありがとうね」「ありがとうね」と

感謝の気持ちを言うのを忘れないから、

周りの人もおばあちゃんには好意を寄せて優しくなれる。

結果として、おばあちゃんは幸せなのでした。

 

これが、

「愚痴」「不平」「不満」「悪口」の日々だったらどうでしょう。

人のせいにして生きていたらどうでしょう。

きっと、周囲から理解されずにおばあちゃんは、

幸せになれなかったのではないでしょうか。

 

では、お釈迦様の言う通りですね。  

そういう意味でも、御恩報謝の日暮しは大切にしていきたいと思うのです。

 

おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん    

 

皆さん、一日に何食食べますか?

普通に一日3食だとすると、365日×3食で、1095食。

じゃあ、70歳の人の人生の食事回数を計算してみましょうか。

単純計算で、1095食×70年で、76650食。

 

皆さん、

本当に多くのいのちに恵まれましたね。

魚さん、鳥さん、豚さん、牛さん・・・・・。

 

そうしたら、御恩報謝の気持ちが芽生えてきませんか?

 

🐟  🐤  🐷  🐄  🐟  🐤  🐷  🐄  🐟  🐤  🐷  🐄

 

鏡にうつる姿を見た

もう、悪口を言うのはやめよう

私の口から出た言葉を

一番近くで聞くのは

私の耳なのだから

 

これは、あるお寺の御住職の掲示板の言葉ですが、

きっと、鏡で見たご自分の顔が恐ろしかったのではないでしょうか。

 

よく、若い時の顔は親からもらった顔だけど、

50歳を過ぎたら自分の顔は自分の責任、と言います。

これはリンカーンの言葉だったようですが、

皆さんはどうでしょう。

 

悪口を言うと

一番近くで聞くのがこの私なら、

では、南無阿弥陀佛と、

仏さまのお名前を言って、

一番近くで聞いては如何でしょう。

 

間違いなく、

顔つきは変ります。

 

 

<茜の雲>

 

土橋秀高(つちはししゅうこう)先生のお話です。

土橋先生は龍谷大学の教授まで務めた方です。

 

息子さんは京都大学の大学院を経て、東海大の助教時になっていました。

息子さんの就職を機に、土橋先生は定年前に大学教授を退職し、

自分のお寺のある京都の山科、真光寺に戻って住職に専従します。

 

住職に戻ってから12年後、奥様が病気でお亡くなりになります。

奥様が亡くなってからは土橋先生は一人住まいになりますが、

奥様が亡くなって1年後のことです。

夕方のお経の後で、ろうそくをの灯を消し忘れたことが原因で

本堂と庫裏(住職の住まい)を全焼してしまいます。

 

直ぐに「真光寺本堂庫裏再建委員会」がご門徒さんを中心に発足します。

息子さんは単身赴任中でしたが、

お嫁さんが子供二人を連れて、真光寺にやってきて、

土橋先生のお世話や再建のお手伝いをしたそうです。

そして全焼から二年半後に本堂と庫裏が再建されました。

 

しかし、その中で、毎日のように電話連絡をしていた息子さんが電話に出ない。

心配した土橋先生が東京に来て、息子さんのアパートに行ってみると、

こたつに足を入れて、電線を首に巻き付けて自殺していた息子を発見します。

遺書には「自分が先に往くから葬式はしないで」と書いてあったそうです。

 

「するな」と言われましたが、お葬式は新築の本堂で行われました。

その際、土橋先生は、幼い孫を両脇に座らせ、

「この孫二人が成人するまで、老骨に鞭打って頑張ります」と挨拶し、

参列者の涙を誘いました。

 

ところが、一周忌の翌日、

お嫁さんは子供二人を連れて寺を去り、里に帰ってしまいます。

とうとう、土橋先生は、一人ぼっちになってしまいました。

 

赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん  赤ちゃん

 

その、土橋先生が詠んだ句があります。

 

   両親(おや)おくり

 妻、先にゆき

 子の急ぐ

 茜の雲は

 美しきかな

 

こんな状況でどうして、下の句がでるのでしょうか。

普通は、愚痴も出れば、嘆きも出るのではないでしょうか。

 

茜色に輝くお浄土があると聞いている。

恨み、嘆き、も浄土のお慈悲の光に照らされると、

涅槃の光に輝くのですね。

 

本当に人生は何が起こるかわかりません。

土橋先生も60歳までは順調な人生でしたが、

その後は苦難の連続でした。

 

それでも、

何があっても

お陰様。

見送った先の浄土があったんだ。

有難う。

仏様のお慈悲の光が当たってる。

 

土橋先生は、

苦難あれど、

常にわが身を照らす光を見ていたのではないでしょうか。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い

 

 

土橋先生のお話には、後日談があるようです。

晩年、ご門徒さんの勧めで再婚したそうですが、

後妻さんは異宗で、ご門徒が相談に来ると「祟っている」と言って、

ご門徒さんや土橋先生を混乱をさせたようです。

そのため、離婚裁判となり、離婚のため別居し、

数年かかってようやく離婚が成立しましたが、

その10日後に土橋先生は亡くなったそうです。

平成元年のことでした。

 

どんな人生であっても、

人はあの世に行ってから輝くのではなく、

仏様のお慈悲の光に照らされて、この世でも輝く。

 

私は常日頃から、聴聞でそう聞いています。

皆さま、ご安心ください。

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い