今日の東京は晴れて晴れ穏やかな日和です。

今日は第二土曜日ですね。

東京都調布市慈眼山西照寺の定例法話会に参加してきましたニコニコ

 

 

西照寺の本堂です。

大きなお寺も空間のダイナミックスさでの「良さ」がありますが、

小さなお寺はご本尊や僧侶の方々や人の距離が近くて、

それはそれで私にとってはちょうどいいんですよニコニコ

 

 

今日の御講師は、

東京都世田谷区正法寺の白川淳敬(しらかわじゅんきょう)師です。

 

 

 

 

 

青字が白川師の言葉の要約です。

 

 

<穏やかに>

 

2月になりますと、仏教では各宗派共通の大きな行事があります。

それが涅槃会(ねはんえ)です。

涅槃とは「亡くなって、心穏やかな境地」であることで、

日本ではお釈迦様が亡くなった2月15日に行事として行われます。

 

お釈迦様は80歳で亡くなっていますが、原因はお腹を壊したことです。

鍛冶屋のチュンダと言う人が、

お釈迦様への朝食の接待に食事を差し出したんですね。

文献では「黒くて柔らかい食べ物」となっていますが、

よく出てくるのが「キノコ料理」だったのではないかと言われています。

また、一説には「豚肉料理」という説もありますが、

とにかく「黒くて柔らかい食べ物」と言うことです。

 

さて、その施された朝食を食べて、

当時80歳のお釈迦様はどうも途中で

料理が痛んでいることに気が付いたようです。

ですが、「この食べ物が他の者に回ってはいけない」と、

そのまま食べ続けたそうです。

 

結果としては、その後お腹を壊してしまいます。

年齢的にも病状からも、いよいよ「いのち終わる」のを覚ったお釈迦様は、

弟子のアーナンダに言います。

 

    このまま私が亡くなれば、

    私が亡くなったのはチュンダのせいになってしまう。

    私はこの生涯で2度の素晴らしい供養を受けた。

    一つは、スジャータの供養で、

    もう一つがチュンダの供養である。

 

スジャータの供養とは、

お釈迦様が苦行中、

空腹、脱水等でもうろうとしていた時に、

村の娘スジャータから乳粥を差し出され、

その乳粥のお陰で元気になり、

その直後の12月8日にお覚りを開かれた。

というエピソードです。

つまり、お覚りを導く供養だったわけです。

 

そして、お釈迦様はこう続けたそうです。

 

    この度のチュンダの供養は

    煩悩がなくなる覚りを導く供養であった。

    人生で二つの供養があったのだ。

    これは伝えてくれ。

 

亡くなった時、よく、涅槃に入るというのですが、

苦しみ、悲しみは、心が感じること。

その煩悩の火が消えて、

こころが穏やかになる。

そのために導かれることがあった。

 

ですから、お釈迦様にとっては、

残念な巡り合わせやご縁ではなく、

大切な巡りあわせやご縁だったのですね。

 

そして、お釈迦様は頭北面西(ずほくめんさい)と言って、

頭を北に向け、顔を西に向けて、涅槃に入っていきました(亡くなりました)。

「亡くなった方は北枕にする」という、北枕の所以ですね。

その様子を絵にしたのが、涅槃図というものです。

 

 

(西照寺所有、涅槃図)

 

 

 

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お釈迦様は実は書物を残していません。

2500年前のインド、という時代背景もありますが、

今あるお経とは、

お釈迦様の言った言葉を、

弟子たちが思い出して記録化したんですね。

 

正確なテープ起こしをしたわけではないので、

お経は

「如是我聞(にょぜがもん)」

「私はこのように聞きました」

という言葉で始まっていきます。

 

お釈迦様が生まれる前からも仏教はありましたが、

その覚り(真実)の存在を誰も知りませんでした。

お釈迦様が「覚り」を開かれて、

始めて仏教が人々に紹介されたのです。

 

さて、その中で

お釈迦様は

「阿弥陀如来という仏様がいる」

と初めて人々に教えてくれました。

 

阿弥陀様がいる。

そのことから、浄土教が開かれて行きます。

それまでは、

日本では「奈良仏教」「天台仏教」「真言仏教」が主流でしたが、

浄土の教え、阿弥陀様の存在を世に広めた先人のお陰で、

それまでの、貴族や宮中や一部の人たちの仏教だったのが、

浄土の教えが世に広まることで、庶民に認知されていくのです。

 

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その後、仏教の宗派の分布はどうなったか。

大まかに書きますと、こんな比率です。

 

 

お寺の数の話しですが、左の表を見て頂きますと、

一番多いのが浄土真宗の寺院、

そのあとを曹洞宗、真言宗、浄土宗と続きます。

また、臨済宗、日蓮宗もそのあとに続きます。

但し、特徴的には、

浄土真宗だけが「他力本願」

後の宗派は「自力」で仏に近づく教えとなります。

 

浄土宗は、親鸞聖人が法然上人のお弟子であったことから、

浄土宗と浄土真宗は同じように見られますが、

「浄土宗」は念仏の回数を問題にします。

自分の力を当てにするので、「自力」なんですね。

 

更に右の表を見て頂きますと、

浄土系を分けていきますと、

浄土真宗の本願寺派と真宗大谷派が半分

あとは浄土宗の鎮西派、西山派が主流を占めます。

 

いずれにしろ、浄土教は日本には多く根付ているのがわかりますね。

 

寺  寺  寺  寺  寺  寺  寺  寺  寺  寺  寺  寺  寺

 

私事ですが、この間財布を無くしまして、

いや、焦りました。

冷静に考えて、飲食をしたお店かと思い、電話をしたら、

「今日は閉店をしたので、明日、お店に出勤をしたら見て見ます」とのこと。

 

明日と言いますが、私はその晩は不安でした。

  本当に出てくるのか、

  出てこなければ、交番に行くのか、

  出てこなければ、新宿駅に連絡をしてみるか、

  新宿駅は京王、小田急、JR,東京メトロと乗り入れていて、

  落とした場所によっては届け出の預かり所も違うし、どこに行くんだ。

  いや、そもそも、中身は大丈夫なのか・・・。

 

翌日、お店の方から連絡がありました。

   「大丈夫ですよ」

   「お財布ありましたよ」

写真付きでメールが送られてきました。

いや、安心をしました。

早速、お礼と受け取りにそのお店に行きました。

 

このような事は、世の中にたくさんありますが、

これを仏様の「他力本願」の救いと重ねていきますとね、

   

私達は日常生活で、心配で心配で仕方ないことがあります。

その心配な時に「大丈夫ですよ」と声が届く。

私たちは普段する「南無阿弥陀仏」とは

「大丈夫ですよ」の声なんです。

だから、何かあるとき、「仏様の名前を呼ぶと安心する」というのは

そういうことなんですね。

 

安心したら、どうしますか。

お礼に行きますよね。

仏様もそうですね。

仏様の名前を呼んで、安心したら、お礼にお寺に行きますよね。

お参りとはそういうことなんです。

 

「自力のお寺さん」のお参りは「お願い」のお参り、

「他力のお寺さんのお参りは「有難う」のお参りなんです。

 

そうしたら、「有難う」のお参りからは

安心が生まれて、心穏やかになるでしょう。

 

人間、人生の後半は歳を取ればとるほど、

「感謝の気持ちで、お礼を言う人生」であれば、

いつも心穏やかに過ごせるのではないでしょうか。

 

どうぞ、皆様

お寺にお参り下さいね。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い

 

 

今日、私が西照寺へ行く道中の事、

偶然に私のお寺の住職と信号待ちの交差点で出会いました。

 

あ・・・・

ここにいると言うことは、

今日の西照寺の御講師はうちの住職ではないか?・・・・。

 

会ったら、無視はしませんので、

   「住職こんにちは。 西照寺へご出向ですか?」

聞かなくても答えがわかるのですが、とりあえず聞く・・・・。

   「はい。そうですよ」

 

見ると、いつもは車が多いはずが、今日は電車で来たようでした。

   「今日は車じゃないんですか?」  

   「はい、今日は違うんですよ」

 

あのですね、

今日の御講師の白川師は私のお手次ぎ寺(所属寺)の住職で、

私は自分のお寺の法話会にほとんど出たことがありません。

まあ、平日開催がほとんどなので、仕事で行けないと言うのが理由ですが、

自分のお寺の法話会に出ないで、よそのお寺の法話会に毎月出るのはですね、

少しだけ、気持ち的には気まずいですよね爆  笑

 

まあ、住職はそんなことは気にしないのですが、

結局、車で来なかった理由が後から判明しました。

法話会後、西照寺の酒井住職と飲みに行ったとのことでした爆  笑

場所は不明です笑

 

 

さて、法話会後は、私達はいつものお店で車座になって親睦会です。

いつまでも、歳を取らない見本を、

人生の先輩たちから今日もたっぷりと学ばせて頂きましたニコニコ

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い