今日の東京はおだやかな気候です。

風も弱く、冷たくなくて、日なたは暖か晴れです。

 

お参り後は募金💰を欠かさずに。

 

 

そして、お坊さんの法話を聞きましょうニコニコ

 

 

今日の御講師は、滋賀県彦根市純正寺の美馬ひろみ師です。

 

 

 

 

青字が美馬師の言葉の要約です。

 (以下の文章はbonbu-kokiの文責で御伝えします)

 

 

<本日のご讃題:テーマ>

 

 

如来大悲(にょらいだいひ)の

恩徳(おんどく)は
身(み)を粉(こ)にしても

報(ほう)ずべし
師主知識(ししゅちしき)の

恩徳(おんどく)も
骨をくだきても

謝すべし

 

 

<知って感じて報います>

 

浄土真宗では法話の後で、

最後はみんなで恩徳讃(おんどくさん)を歌うことが多いのですが、

聞く時はどんな気持ちで聞いていますか。

「ああ、これで法話会は終わったな」という、

何かエンディングソングのように思っていませんか。

 

法話会に多く出ている方にとっては当たり前になっていて、

恩徳讃をなぜ歌うかとか、忘れてしまっていることはないでしょうか。

実は、この歌の歌詞はとっても大事なことで、

だから、何回も何回も出てくるんですよね。

大事なことは何回も出てくる。

それは忘れないように・・・、なのです。

 

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私達は「当たり前」のことを深く考えることはありません。

例えば1+1=2

何で2なの?と先生に言ったら、

鉛筆1本と鉛筆1本を持ってきて、「これで2本で当たり前や」と言われます。

でも、何で2なんですか?

 

例えば、コップの中に水が入っていて、

もう一つコップの中に水が入っていて、

コップの水とコップの水を合わせたら、水は2じゃありませんよね。

水は1つになっちゃうんです。

1+1=1

この答えは日本では✖ですね。

 

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日本も教育水準は高いですが、それより上と言われるのがフィンランドです。

フィンランドメソッドというのがあって、そこでは「ミクシィ」を大事にします。

「ミクシィ」とは「なぜ?」と言うことで、徹底的になぜ?を突き詰めていきます。

例えば、間違い探しなら、

日本には「この文章に二つ間違いがあり、それを探しなさい」ですが、

フィンランドでは「この文章に間違いがあるか探しなさい」です。

幾つ?もないし、間違いがあるかどうかもわかりません。

それは、考えますよね。

また、自由に発想しますよね。

「〇〇はこう言った」とあれば、「私ならそんな言い方はしないわ」とか、

ドンドン連想していくのです。

思考力も高まり、創造する力も出てきますよね。

 

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1+1は2

そんなことは当たり前。

「当たり前」と言うことは世の中にたくさんありますが、

私達、コロナで「当たり前はない」と知ったのでしたよね。

「当たり前」を考え直さないといけないんですよね。

 

恩徳讃の歌は、法話の後に歌って当たり前?

いや、さっき言った通り、ただのエンディングソングじゃあないですよ。

大事なことだから、何回も出て来てるんですよ。

 

 

 

恩という言葉がありますよね。

私達、実は恩を忘れていることはないですか?

恩を忘れるだけじゃないですよ。

恩に背を向けることだってありますよね。

背を向けるだけじゃないですよ。

恩に逆らうことだってあるのではないでしょうか。

 

いや、

そうじゃない。

 

恩とは知るものです。

恩とは感じるものです。

恩とは報いるものです。

 

いつも、忘れてしまう私のために、恩徳讃の歌があったのです。

恩を報いる集まりの事を「報恩講」と言うんですよね。

 

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私の息子は今は中学3年生ですが、小さい時は言葉の発達がゆっくりでした。

そのため、言葉の教室に行って、文字を覚えたり、書いたりしていました。

ある日、息子が私のところに来て言いました。

  「ママにおてがみをかいてあげる」

そしてこう言いました。

  「なんてかいてほしい?」

私はこう言いました。

  「ママだいすき、って書いて」

 

息子はすぐに折り紙の裏を使って書いてくれました。

  「ママ、だいすき」

あれ?すの文字が実は裏返っていました。

でも、私は間違いを指摘せずに、

「ありがとう、ママとっても嬉しいよ」と言いました。

 

それから、息子の手紙書きは何回も続きます。

そのたびに、

   息子 「なんてかいてほしい?」

   私  「ママだいすき、って書いて」

この繰り返しです。

私は息子が手紙を書いてくれるたびに嬉しくて嬉しくて、

御菓子の箱にそれを入れて大事に保管していきました。

 

息子の方はというと、

だんだんと「何を書いてほしい?」とは聞かなくなりました。

私の答えがわかっているからです。

 

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さて、小学校にあがる頃のお話です。

クラスで御手紙を書く課題がありました。

私の息子も一生懸命に書いてくれました。

先生が言いました。

「これ、しげるくんが書いたんですよ」

渡されたのは封書型になったお手紙で、

セロテープでガチガチに止められていました。

 

私はもう、なんて書いてあるかがわかっています。

早速、封をちょっと苦労して開けてみました。

すると、書いてあったのは、

「ママ、いつもありがとう」でした。

私は驚きました。

だって、私は「ママだいすき」しか教えてないのです。

 

私は連れ合いにそのことを報告しました。

「いつの間にか、色々なことを

見て、聞いて、感じて、成長していたんだね」

私はボロボロと涙がこぼれました。

 

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私達が「なんまんだぶ」と言います。

呼ばれたことを阿弥陀様は、

本当に本当に、涙を流して喜んで下さっています。

よく、私の名前をよんでくれたね、と。

 

いつも、

「ありがとうございます」と言って暮らせない私たちです。

知らぬ間に、

恩を忘れて、恩に背いて、恩に逆らう私達です。

考えることが苦手で、

相手の恩も想像できない私たちです。

 

報恩

 

恩を知って、

恩を感じて、

恩に報いていきたいですよね。

 

<おばあちゃんの報恩講>

 

私の実家はお寺ではありません。

普通の暮らしでしたが、20歳代で父を亡くしたとき、

「うちは、なんまんだぶつ、らしい・・・・」

その程度の知識しかない私でしたが、

そこから、仏教を勉強して、お坊さんになりました。

 

さて、仏教を勉強して布教使の学校に行っていた時のことです。

私の家は大阪市福島区ですが、地元の商店街を歩いていた時、

「無料姓名判断」ののぼりを見つけました。

最初は気にしながらも、入ることはありませんでしたが、

ある日、たまたまそこのおばちゃんと目があってしまい、

姓名判断をしてもらうことになりました。

おばちゃんは言います。

「あんたの結婚前の本名は大凶だよ。このままじゃ畳の上じゃ死ねないよ。

それから、最近亡くなった身内で成仏できないものがおるよ」

ああ、確かに父は亡くなったけど、4年もことだし・・・・。

私は結婚していましたので、その名前を言っても、「末吉」と言います。

 

おばちゃんは私に畳みかけてきました。

おばちゃん 「本名は一画足りない。何とかしたろか?」

わたし   「どうするの?」

おばちゃん 「実印を作って、般若心経を読んで、

       般若心経を一回読むごとにその実印を押すんだよ。

       そうしたら、運勢が変わっていく」

わたし   「わたしの宗派は般若心経を称えないんよ」

おばちゃん 「いや、般若心経は、

       最澄さんや日蓮さんがつくりはった偉いお経や。大丈夫や」

 

私はもう、この時、仏教と出会って仏教を勉強しています。

もう、聞けば聞くほど、おばちゃんの嘘がバレバレなのがわかります。

私はもう少し、話しに乗ってみました。

おばちゃんは机から紙を出して、私に説明してきました。

おばちゃん 「実印を作ったら30万円、銀行印は15万円、認印は8万円」

わたし   「わたし、お金がないわ~。また、ご縁出来たらね~」

 

父の亡くなる前、

どうしようもなく不安な日々を送っていた時、

この話があったら、私は飛びついていたかもしれません。

30万円を払ってたかもしれません。

仏教を聞いていたから、私は余裕を持って、この時は回避できたのです。

 

親鸞聖人は「煩悩にまなこ(眼)さへされて・・・」と言葉を残していますが、

私達は煩悩で正しいことが見えなくなってしまっています。

 

生老病死の不安を抱えてしか、生きていけない私達なのです。

煩悩を抱えてしか、生きていけない私達なのです。

どうしようもないゆえに、

仏さまの方から近寄ってきてくれて

大丈夫と教えてくれています。

それに気づき、安心を頂く御恩を感謝したいと思うのです。

 

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私は18年前に僧侶に成らせて頂いたのですが、

ちょうど10年前のお話になります。

当時は、まだまだ私の地域でも、女性のお坊さんは少なかったんです。

そのため、女性のお坊さんには「大丈夫かな?」と言う意味での、

ちょっとした偏見があったように思います。

 

報恩講という、御恩に感謝する法事がありますが、その時のお話です。

当時、私のような経験も浅く若い女性僧侶には、先輩僧侶から、

「行っていい家」

「行ってはいけない家」を教えられていました。

つまり、そのお家の方が女性僧侶ゆえに、

「いい顔をするか、しないか」ということです。

 

ある時、その「行ってはいけない家」から

報恩講の法事の申し込みがありました。

初めは誰が行くと決めてあったはずなのですが、

僧侶のスケジュールが合わずに、

私が行くかどうか?ということになりました。

 

私は恐る恐る電話をしました。

  「あの・・・、誰も予定が合わずにお伺いできないのですが、

  私で良かったらお伺いしますが、どうしましょうか。

  ご無理なら別の日にしましょうか」

 

電話に出たのは、その家のおばあちゃんです。

すると意外にも、「はい、お待ちしています」との返事です。

いや、そう言ったって、先輩からは

「行ってはいけない家」リストに載っているお宅なのです。

あ~、こわ・・・・。

 

さて、当日です。

緊張に緊張をして、大汗をかきながら、お勤めをしました。

ようやく終わり、振り返るとおばあちゃんが大泣きをしています。

あ~・・・。

やっぱり、私じゃダメなんだぁ~・・・。

いや、何か失敗をしただろうか・・・・。

ますます、嫌な予感です。

 

ですが・・・。

おばあちゃんが言いました。

  「今日はよく来てくれたね。

  まわりのうわさは耳には入っていたけど、

  私はなんも思ってない。

  かえって、ここには来づらかったでしょう。

  ひろみちゃん、しんどかったでしょう。

  ひろみちゃんが頑張ってるのは知っていました。

  これからもよろしくお願いします。

  よその家で「行ったらいかん」なんてところがあったら、

  私が「この子は大丈夫」と言ってあげるからね。

  これからも来て下さいね。

  今日は本当にありがとう」

私はおばあちゃんと一緒に涙がこぼれました。

私こそ、おばあちゃん、ありがとう。

 

それから、毎年、このお家は私が報恩講のお勤めをすることになりました。

毎年、家で育てた花をお仏壇に飾り、

ある時には、あでやかな女性らしいお飾りをし、

ある時には、なぜかトーマスのおもちゃがあったんです。

別居しているおばあちゃんのお孫さんは20歳なのに・・・。

いえ、これは、お仏壇に一度あげて、

そのお下がりを私の幼い息子にあげるという

私に気遣う、おばあちゃんの作戦だったのです。

 

おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん

 

ある年の事です。

さあ、今年もあのお家に行かなくちゃ。

そう思っていた3日前の事です。

おばあちゃんと同居をしていた娘さんから、私に連絡がありました。

  「母(おばあちゃん)が亡くなりました」

 

私はすぐにお家に行きました。

お家では親戚の方が既に集まっていました。

  「葬儀は住職に頼んであるよ」

そう言われましたが、その時、部屋の奥から娘さんが走って私に近づきました。

  「待ってたよ!」

そう言うと、私の手を引っ張って、お仏壇のところに行きました。

お仏壇には綺麗なお花が飾ってあります。

そして、赤い蝋燭(ろうそく)があります。

綺麗なお花や赤い蝋燭とは、「3日後の報恩講」のお飾りなのです。

 

いや、亡くなったのなら白いお花。

赤じゃなくて白い蝋燭じゃなくていいの?

私の戸惑いをよそに、娘さんは言いました。

  「あのお花は毎年、4月から育てて、

  10月に咲くようにおばあちゃんが育てたの。

  おばあちゃんは、ひろみちゃんが来るのを毎年楽しみにしていたの。

  だから、このお仏壇のお花は、

  あなたと一緒に報恩講をするためにおばあちゃんが育てた花なの。

  そのお花を朝にお飾りして元気だったのに、

  その日の夕方におばあちゃんは倒れて亡くなったの」

 

そこには普段は離れて暮らす、おばあちゃんの娘さんの大学生の息子さん、

つまり、おばあちゃんのお孫さんも駆けつけていました。

おばあちゃんはいつも大学生のお孫さんに

「年に一度、女のお坊さんが来るんだよ」と嬉しそうに語っていたそうです。

 

私と娘さん、そしてお孫さんとで、

おばあちゃんのために正信偈をお勤めしました。

仏壇の花は、おばあちゃんが育てたお花、

蝋燭は赤です。

私は涙が止まりませんでした。

 

おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん

 

世間のものさしでは、

華やかなお花に赤い蝋燭で、

亡くなった方を前してのお勤めはダメですよ。

世間のものさしでは、

女の僧侶は信用ならんいうことでしょうか。

 

でも、おばあちゃんは娘さんやお孫さんに

何か大事なものを残していったような気がするんですよね。

知らず知らずの間に「お育て」を頂いてたんではないでしょうか。

 

私たちが日ごろから、色々な方から頂く御恩。

そして、如来様から頂く、大きな御恩。

 

大切にしたいですね。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い 

 

 

よく、

御恩は返すものではなく、報いるものと聞いています。

御恩は返したらおしまいですが、

報いるとは行為そのもの。

そこを大事にしていく。

 

人の御恩は返すことはできても、

如来の御恩は大きすぎて返すことはできません。

だからこそ、

報いる。

報いる。

そして報いる

の繰り返しなんですね。

 

さて、今日の美馬師は、

Anカレンダーという自主制作カレンダーに携わっています。

 

 

言葉も優しくストレートに入ってきますし、何よりイラストがいいんですニコニコ

 

 

 

 

 

 

私は自分のお手次寺でたまたま頂いた

2019年版と2020年版しか持ってないのですが、

言葉の粋さと、イラストが良すぎて、今日まで捨てられずに持っておりました。

 

ネットで調べても入手方法がわからないのでそれ以降は諦めていたのですが、

今日はカレンダーを手掛けた美馬師がいらっしゃいましたので、

お尋ねしましたところ、快く連絡先を教えて頂きました。

初対面でも親切この上ないのも、浄土真宗のお坊さんの特徴です。

今週の聴聞が終った来週にでも、

2024年度版を問い合わせてみようと思いますニコニコ

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い