2023年も今日で最後ですね。

それではと、

今年最後のお寺参りをしましたニコニコ

お寺では、お正月のための御飾りがきれいですね✨

 

 

さて、先日、お寺のお参りの帰りに、

「ご自由にお持ちください」のパンフレットを頂きました。

2012年9月20日に伝道資料センターから発行された、

「報恩講」というパンフレットです。

 

(本願寺の柱を支える天邪鬼さん)

 

今年最後の法話として転記しますので、皆様とシェアしていきましょうニコニコ

さて、今日の御講師は、広島県三原市教専寺の福間義朝(ふくまぎちょう)師です。

 

 

青字が福間師の文章です。

 

 

<阿弥陀の心が

      知らされたなら>

 

よく阿弥陀様という仏様はどんな者でも救ってくださるのだから、

何をしても許されるのだと思われる方がいらっしゃいます。

確かに阿弥陀様はどのような者でも必ず救うと願ってはたらいておられます。

 

でも、阿弥陀様の願いに甘えることと、

その願いを拠り所にすることは異なります。

私達は阿弥陀様に甘えるのではありません。

生きてゆく、即ち死んでいく生死(しょうじ)の拠り所が阿弥陀様の願いなのです。

 

私の学生時代にK君と言う親友がいました。今から四十年前のことです。

彼は大学に入学する前、親の会社が倒産して、

学生時代に仕送りがありませんでした。

ですから、彼はアルバイトをしながら大学に通っていました。

 

毎日必ず授業に出ていましたが、終わるとすぐにアルバイトです。

そして夏休みは工場に泊まり込んではたらいていました。

その賃金を大学の授業料等に充(あ)てるためです。

ですから彼が遊んでいたり、

喫茶店でくつろいでいた姿を見たこともありませんでした。

 

そんな彼が大学三年生になった時、突然親からの仕送りが始まったのです。

私はこれで彼も普通の学生生活を送れるようになると思っていましたが、

何と彼は親の仕送りは貯金して卒業までアルバイト生活を続けました。

私は彼はケチなのか、

それとも貯めたお金で海外でも行くのかと思っていました。

そして卒業の折、同じゼミでしたので教授を囲んでのお別れの飲み会の時、

彼にそのことを聞いてみました。

実際彼とお酒を飲んだのはその時が初めてだったと思います。

「だいぶ貯めただろう。いったい何に使うの」

すると無口な彼がぽつりぽつりと語り始めました。

 

「忘れもしない。三年生になった四月に突然下宿に現金封筒が届いた。

開けてみるとクシャクシャの三万円と父からの手紙が入っていた。

手紙にはこう書いてあった。

『すまなかった。二年間辛かっただろう。

これからお父さんが毎月三万円ずつ送るから、

これで二度とない学生生活を充実して送って下さい』と。

その時、自分は耐えられなかった。自分はアルバイトをしてお金を稼ぐのが

どんなに大変か知っている。父がお金がない中で、

どんな血のにじむような苦労をしてこのお金を作ったのか・・・。

だから、このお金は使えなかった。絶対使えなかった。

だから、アルバイトを続けた。いや、だからこそ、喜んでアルバイトが続けられた」

 

彼にはお金とともに親の心も届いていたのです。

逆に親の仕送りは当たり前だと学生時代遊んでいた私は、

お金は届いていても親の心は届いていなかったのです。

 

阿弥陀様はどのような者でも決して見捨てないとはたらいて下さっています。

その心が頂けたら、では何をしてもいいのだとなるでしょうか。

その心が知らされたら、だからこそ、

そのことによって自分を高めていくのではないけれども、

常にわが身を省みていく日常の生活になっていくのではないでしょうか。

 

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さあ、ここからは今年の締めくくりブログです。

これで3年連続のブログなので、

お読みになったことがある方は、

「またか」とお思いでしょうが爆  笑

もし、お時間ある方は、

「しょうがないな~」と思って、お読みいただけるとありがたいです爆  笑

 

 

 

(高橋書店の日めくりカレンダー)

 

 自力と他力を合わせて、

 全力です。

 

   入社後の研修期間中のこと。

   同僚の一人がトレーナーの先輩社員に目標を説明する際、

   「この全力というのは、自力と他力を合わせて全力です」

   と言っているのが聞こえてきた。

   先輩は笑っていたが、ずっと肩に力が入っていた私は

   目からウロコが落ちる思いだった。

 

                   北海道 荒川淳子 パート・アルバイト

 

  

その時々において、

自分としての

「精一杯」を尽くして生きて、

それでも自力で出来ないことは、

あとは他力にお任せすればいい。

それで全部の力、

すなわち、

それが”全力を尽くす”と言うことです。

 

 

 

 

<自力と他力で全力>

 

数年前の日めくりカレンダーの言葉が気に入り、

今も自分の部屋のホワイトボードに貼ってあります。

 

今年一年、

楽しんだこともありましたね。

嬉しかったこともありましたね。

笑ったこともありましたね。

感動したこともありましたね。

癒されてホッとしたこともありましたね。

 

悲しかったこともありましたね。

泣いたこともありましたね。

苦しかったこともありましたね。

切なかったこともありましたね。

さみしかったこともありましたね。

 

いろいろな感情と出会ったと思うのですが、

とにかく一年間、本当に頑張りましたね。

まずは自分をほめていきましょう。

これを「自力」の一年と言いましょうか。

 

さて、この「自力」

この感情を引き出したのは「周囲の関係性(ご縁)」です。

私たちは周囲との関係なしでは生きていけません。

その関係性(ご縁)の中で一喜一憂する、この私たちですが、

今年も、

周囲に許された一年でした。

周囲に支えられた一年でした。

周囲と神仏に護られた一年でした。

無数の命に生かされた一年でした。

まさに「お陰様」の一年でありました。

 

浄土真宗では阿弥陀様のことを「他力」と言いますが、

ここでは、すべてを合わせて「他力」と呼ばせて頂き、

「他力」の一年と言い換えさせて頂きましょう。

 

今年もいろいろなことがあったのではないでしょうか。

うまくいったこともあったでしょう。

逆にうまくいかなかったこともあったでしょう。

でも、とにかく、精一杯、自分のチカラで頑張った。

 

また、

周囲の皆様のチカラを借りて頑張った。

そして、

神様、仏様、ご先祖様の 「目に見えないおチカラ ・・・ 他力」 もあって頑張れた。

 

そのことを思うと

今年も、

「自力」 と 「他力」 で 「全力」 で、頑張って生き抜いた一年だった。

誰もが、そう言えるのではないでしょうか。

 

何かの損得は、問題ではありません。

例年と比べて、今年がどうだったか?

他人と比べて、今年がどうだったか? も意味のないことです。

 

 

(サザエさんがタラちゃんにかけた言葉)

 

 

私一人の人生のために、様々な出会いの中から 「他力」 を頂いていた。

この人生の荒波を、

「自力」 と 「他力」 の 「全力」 で

1年間生き切った。

これこそが、尊いことでありましたキラキラ

 

2023年

皆様、本当にお疲れさまでしたウインク

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い

 

 

このブログも

時々億劫に

なることが

あるのですが、

その都度、

どことなく、

誰となく、

励まして頂くおかげで

その都度、元気になり、

今年もここまで書けましたニコニコ

まさに、このブログも

「自力と他力で全力ブログ」でありました

 

これからも「優しい仏教」をお伝えできればと思います。

また、来年度もよろしくお願い致しますニコニコ

 

 

なんまんだぶお願い