今日は朝は曇りがちでしたがくもり、お昼前からは晴れてきました晴れ

(写真は9時ごろの都心のお天気です)

 

インフォメーションセンターには、

どなたかが作ったのか、小さな梵鐘がありました。

試しについてみたら、ゴ~ンではなく、チン・・・・、でした爆  笑

 

 

今日もお参りの後は、法話を聞きましょう。

 

 

多目的ホールの阿弥陀様です。

浄土真宗は、

木像より絵像、絵像より名号。

木の仏様よりは絵の仏様、絵の仏様よりも字の仏様がいいね!と言います。

 

結局は、

色もなく形もない仏様を「目に見えるように表している」と言うことだけですので、

どっちでも、何でもいいんですが、大らかな宗派ですよねニコニコ

 

 

今日の御講師は昨日に引き続き、

福岡県糸島市海徳寺の松月英淳(まつづきえいじゅん)師です。

 

 

 

 

青字が松月師の言葉の要約です。

 

<いても立っても>

 

私が大分の実家を離れて、龍谷大学に進学した時、

山田行雄先生からこんな質問をされました。

「阿弥陀様とは、どんなハタラキを持った仏様かわかりますか?」

私はもちろん、わかりませんでしたが、先生はこう仰いました。

 

「阿弥陀様とは、摂取不捨(せっしゅふしゃ)の親様です」

 

 

摂取不捨とは、「最後まで見捨てない」ということ、

親様とは、「親の慈悲のような仏様」ということなんです。

 

仏様は阿弥陀様以外でも、たくさんいらっしゃるのですが、

どの仏様も「智慧」と「慈悲」を持った方、と言う点で共通点があります。

 

智慧とは、ものごとをありのままに見る力のことです。

相田みつをさんの詩で、こんなものがありました。

    「損か得か 人間のものさし」

  「嘘か誠か 仏さまのものさし」

 

私達は「損得」で生きているでしょう。

  いい天気、悪い天気なんてないのに、いい天気、悪い天気と決めてしまう。

  いい人、悪い人なんていないのに、いい人、悪い人と決めてしまう。

全部、自分中心の、主観的な、自分都合の見方ですからね。

ところが、仏様は主観で見ないで、そのままを見つめます。

だから、狂いがなく、真実そのまま、と言うわけです。

 

また、慈悲ですが、

  人の痛みが、我が痛み。

  人の苦しみが、わが苦しみ。

  人の喜びが、我が喜び。

共感し、同化できる、そういう心を持っていると言うことなんです。

 

晴れ  くもり  雨  晴れ  くもり  雨  晴れ  くもり  雨  晴れ  くもり  雨  晴れ 

 

以前、娘を予防接種で病院に連れて行ったことがあるんです。

私が運転して、後部座席には娘と妻です。

さあ、看護師さんが言います。

  「ちょっと、ちくっとしますよ~」

娘は緊張して、顔を背けて、顔はクシャクシャです。

ところが、その時、

母親である、私の妻も、手に力を込めて、同じ顔をしてるんです。

 

言っておきますが、私は痛くないんです。

母親も痛くないんですよ。

 

でも、これが、

「我が子の痛みは、親の痛み」なんですね。

 

💉  💉  💉  💉  💉  💉  💉  💉  💉  💉  💉

 

私、大分から、福岡のお寺に、縁あって養子に入っています。

ですから、普段は福岡のお寺の住職ですが、

たまに実家の大分に帰ることがあります。

住職となると、だんだん忙しくなってきますから、

最初の頃は、3泊、4泊だっものが、次第に1泊、2泊になっていきます。

すると、親は私にこう言うんです。

  「いつまで、おれるんかね~」

  「次はいつ帰ってくるんかね~」

 

これはですね、

深読みすれば、

  「はよ、帰ってこい~」

  「いつでも、待ってるぞ~」

そういうことなんです。

 

   元気でいるか

  街には慣れたか

  友達出来たか

  寂しかないか

  お金はあるか

  今度いつ帰る

 

さだまさしさんの「案山子(かかし)」という曲の歌詞ではありませんが、

そういう親の心境です。

 

余談ですが、案山子と言う曲は、兄であるさだまさしさんが

実家を出た弟に向けて書いた曲なんですね。

お母さんに代わって、お母さんの心情を歌ったのだそうです。

 

ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ  ニコニコ

 

2013年の4月9日~13日まで、

私は本山である京都の本願寺で法話をすることになりました。

そのころの私は体調も良く、頭の回転も調子よく、

布教使としては絶好調で自信満々で本山に行きました。

 

二日目の晩座のことです。

この日はどこかのお寺の婦人会が来ていたこともあって、

多くの女性で超満員となっていました。

 

さあ、法話が始まり、私はイメージ通りに話し始めました。

絶好調の時と言うのは、よく周囲が見えています。

私は多くの女性の中にいる男性を見つけました。

みんなが私の方を見ているのに、その男性だけはずっと下を向いたままです。

そうなると、ますます、気になりますよね。

どんな人なの? この方・・・・。

 

身体をずらしながら、よくよく見ると、

あ~、

うちの父親でした。

 

法話の後半は、うちの父の話しで締めるつもりですから、

本人が目の前で聞いているとなると、

突然、頭が真っ白になってしまい、しどろもどろです。

「お父さんの話しは取りやめて、あとは何の話で埋めようか・・・」

こんな調子ですから、晩の法座は大失敗に終わったのでした。

 

何とか終って、宿舎に帰ると、手招きをする男性が居ます。

あ~、

「ちょっと、今から居酒屋でも行こか」と、父が言いました。

それから、3時間は父の説教を聞かされていました。

 

グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン 

 

なぜ、父はあそこにいたんだろう。

大分の実家からは、色々乗り継いでも5時間以上はかかります。

まして、この法座があることは、父には教えてはいませんでした。

更に言えば、父も住職ですから、

忙しい中でどうやって日程を調整してきたのか。

 

直接、聞くことはなかったのですが、

きっと・・・・、

  うちの子は、本山で阿弥陀様の前で、ちゃんと法話を話せるのか。

  うちの子は、本山の御門主の前で、ちゃんと正しいことを話せるのか。

  もし、失敗したら、布教使としての活動に影響するんじゃないのか。

 

いても立ってもいられなかったんじゃあ、ないでしょうか。

 

グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  グラサン  

 

こんな昔話があります。

 

わんぱく小僧がいて、お友達をいじめたり、悪さを繰り返しています。

それが、お母さんの耳に入るものですから、お母さんが叱ります。

それでも、わんぱくをやめることがないので、

今度はお父さんが叱ることになりました。

 

  「お前のような悪い子は、うちの子じゃない。

  この家から出て行け。

  泣かんように用心せい!」

 

すると、子供がこう答えたそうです。

 

  「叱ると我が子は帰ってこんぞ。

  それでもいいのか、

  用心せい!」

 

それならばと、

古井戸につるして、

  「井戸の中に落とすぞ、

  泣かんように用心せい!」

 

すると、井戸の下にいる子供がこう答えます。

 

  「落とせ、落とせ!

  井戸に落とせば、帰ってこんぞ。

  それでもいいのか、

  用心せい!」

 

本当のお父さん、お母さんなら、

そんなことをするはずがない。

親は「憐みの情」があるんです。

見事な、子供の抵抗です。

 

いや、でもね、

落とせと言われて、どんな子だって、落とせないのが本当の親心です。

これが親の慈悲なのです。

 

<最後の最後まで>

 

私はお寺に生まれましたが、祖父や父親を見ていて、

かっこいいとは思いませんでしたし、

「お坊さんにだけは絶対にならない」と決心していました。

それが、気が付けば、龍谷大学に行き、

今ここで皆さんに仏教をお話ししています。

 

その時はわからなかったけれど、

阿弥陀様の「逃がさんぞ」のお手回しの中のお導きの中で

今、こうしてここにいるんですね。

 

皆さんだって、そうですよね。

生まれてすぐに、仏さまが好きだったわけじゃあないですよね。

いつの間にか、阿弥陀様のお手回しの中で、導かれてここに座ってるんですよ。

 

✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋  ✋

 

皆さん、家庭で大事にされていますか?

私も家庭では大事にされているんですが、

なぜ、家庭は私を大事にするのかと考えてみました。

なぜ、この人は私に優しいか。

この人に優しくしておくと、何かある・・・、とか。

 

私がご門徒さんのお宅に行って法事をすると、お布施を頂きます。

お布施を預かると、かならずそれを渡す人が居ます。

お布施を渡した日の晩は、ビールが手酌で出てきます。

そんな時は、家族は私に優しく、接してくれます。

 

これ、今はいいですが、これから歳を取って、

私が手ぶらで帰ったら、どうなると思います?

 

やっぱり、お寺の役にたっているうちがいいんでしょうね。

 

🍺  🍺  🍺  🍺  🍺  🍺  🍺  🍺  🍺  🍺  🍺  

 

社会的な役割って、みんな、あると思うのですが、

ある重役さんが会社を定年退職したそうです。

 

そうしたら、100枚以上来ていた年賀状が、4枚になっちゃった。

それも1枚は、眼鏡屋さんの新春バーゲンセールのお知らせの年賀状だった。

 

よく聞くお話でしょうが、

「自分という立派な人間」に来ていたと思っていた年賀状が、

実は「肩書に来ていた」と思い知らされたということなんですね。

肩書がないと、「いないかのように」世間は見向きもしなくなるのですね。

 

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私は住んでいるところが田舎ですから、

人が亡くなると村の放送が流れるんです。

 

  「●●さんのお母様が亡くなられました」

 

そうすると、皆さんが集まって、お通夜の段取りや役割はどうするとか、

井戸端会議が始まっていきます。

そんな時に、こんな言葉もたまに聞かれます。

 

  「あら、あのおばあちゃん、まだ生きとったんだね~」

 

私達も、入院や何かで、ちょっと社会から姿を消すと、

「いないこと」になっちゃうんですかね。

 

人の目に触れるうちはいいですが、

ちょっと見なくなると、

世間は簡単に

私やあなたのことを

忘れていくんです。

 

こう、考えていくと、人間同士の関係には限界があるように思います。

いくら、仲良くやっていても、

死ぬときは一緒に死んでくれないですよ。

最後の最後まで寄り添うものは誰だと思いますか?

 

この前、私が法事でおじゃましたお家には、マットレスに横たわる、

寝たきりのおばあちゃんがいました。

私が阿弥陀経を読経していると、ずっと「ナンマンダブ」と、となえていました。

 

読経が終って、おばあちゃんは、

  「つまらんようになりました」

  「つまらんようになりました」

それを繰り返して言いました。

 

いや、

つまらん、

そんなことはないのです。

 

耳から入って、口から出てくる「阿弥陀様」がご一緒です。

最後の最後は阿弥陀様にお任せをすればいいのです。

 

人間の決心はあてになりません。

ゆらゆらするのが私たちの決心です。

だから、大事なことは、阿弥陀様が決心して下さいました。

 

摂取不捨

必ず、あなたを摂(おさ)め取り、

決して見捨てることはありません。

 

最後の最後までご一緒の仏様が、

今ここにいる。

そう聞いていくんですね。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い 

 

 

私の母校には応援指導部がありますが、

その応援指導部には決まったセリフがあります。

「最後の最後まで、応援よろしくお願いします」

 

 

最後の最後まで。

ふわっとした最後じゃなくて、

最後の中の本当の最後。

最後の際(きわ)まで、と言うことです。

 

人生の最後の最後まで、応援してくれる仏様に

安心して身を委ねていきましょう。

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い