8月のお寺の掲示板です。
これが今日の法話のテーマにもなります
今日も親鸞聖人は暑いでしょうね
お参りの後は、聴聞です
今日の御講師は、石川県小松市本光寺の八幡真衣(やはたまい)師です。
今日の様子は、下記で聞けますが、
お時間のない方は私の要約版をどうぞ
(聞くだけでなく、目で見る文章も味わい深いですよ)
〇午前のお話 (前席30分、後席30分、計60分)
〇午後のお話 (40分)
※青字が八幡師の言葉の要約です。
<真衣ちゃんの
なんまんだぶ>
私はお寺の子として生まれたのですが、私には姉がいますので、
小さい頃は姉がお寺を継ぐのかなと思ってたんです。
ところが姉は大恋愛の末にお嫁に行き、次女の私にご縁が巡ってきました。
最初は仏教にまるで興味のなかった私ですが、
自分が親になった時、初めて親のしていたことがわかりました。
また、私の両親はお寺のことが第一で、
夏休みは家族旅行もなかったんですが、
家族と同じようにご門徒を大事にするお寺とは、
一体何なのだろうと興味を持ちました。
それから、5年前にお坊さんになり、3年前に布教使になりましたが、
人生とは、わからないものですね。
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さて、私のおばあちゃんのお話です。
私が小さい頃、学校から帰ると、おばあちゃんが待っていてくれます。
普通なら、帰ってくれば、「手を洗いなさい」とかの声かけですが、
おばあちゃんは違います。
「こっちへおいで~!」
私がおばあちゃんの部屋に行くと、
両手いっぱいひろげてギューっと抱きしめてくれるのです。
そして、
「どうやあ、おばあちゃんの肌はもちもちやろ」
そう言っては、頬をすり寄せてくれるのです。
さすがに中学生になると、
私も「もういいよ」と遠慮しがちになりましたが、
今思うと、もっともっとしてもらえばよかったと思っています。
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おばあちゃんと私には、毎朝必ず一緒にすることがありました。
お仏壇に御仏飯(おぶっぱん)を備えるのです。
「御仏飯はこうやって作るのよ。
形はこうやって整えて・・・・」
最初は見ていた私も、少しずつ覚えていくようになりました。
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私が中学3年生の頃のことです。
私が学校から帰ると、おばあちゃんがいません。
母に聞くと、具合が悪くて検査入院をしたとのこと。
翌朝のことです。
いつも一緒に起きるおばあちゃんはいません。
私一人で御仏飯を備えましたが、なんともいびつな形になりました。
それからおばあちゃんの検査結果がわかりました。
「大腸がんのステージ4」というご縁でした。
もう高齢なので、手術と言う選択肢はありません。
私達は相談した末に、
おばあちゃんには最後まで病名を伏せることにしました。
私が小さい時から手を引いてもらっていたのに、
今度は私がおばあちゃんの手を引く番です。
あるとき、私は仏壇の阿弥陀様の前でいいました。
「おばあちゃんの病気を治して下さい」
「おばあちゃんをまた元気にして下さい」
「おばあちゃんを助けて下さい」
中学3年生の私は、一生懸命に願いましたが、
阿弥陀様には私の願いも届かずにどんどん悪くなっていきました。
私は思いました。
「何でよ! 毎日こんなに、ご飯をあげてるじゃない」
「何でよ! 毎日こんなに、お願いしてるじゃない」
「何でよ! 毎日こんなに、祈ってるじゃない」
阿弥陀様は願いを叶えるためにいるのではないと、父には聞いていたけど、
わかっているけど、願わずにはおれない
わかっているけど、祈らずにはおれない
それが私でした。
ですが、阿弥陀様は
願うな、とも言いません。
祈るな、とも言いません。
今、思えば、
ただただ、その時、私に寄り添ってくれていました。
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おばあちゃんは亡くなりました。
お浄土に還ったのです。
思い出せば、
自分の部屋で
「あ~、もうすぐやな・・・」
「あ~、いろんなこと、あったな・・・」
独り言を言っていました。
おばあちゃんは、自分がもうすぐお浄土に往くことに気が付いていました。
最初は毎日泣いていた私です。
御仏飯をするのも私一人でしたが、
時々、おばあちゃんが思い出されてきました。
「ああ、こうやって御仏飯を作ってたな」
「念仏しながら、楽しそうに作ってたな」
「ああ、おばあちゃんの声が聞こえてくる」
「ああ、おばあちゃんの”なんまんだぶ”の声が聞こえてくる」
そして、
私が”なんまんだぶ”と唱えると、
耳の奥から一緒に聞こえてきたのが、
おばあちゃんの”なんまんだぶ”の声でした。
ああ、そうだったんだ。
私の”なんまんだぶ”は、
おばあちゃんの声でもありました。
「私が真衣ちゃんの”なんまんだぶ”になる」
そう、おばあちゃんが言ってくれていると
今でも思っているのです。
そして、
私の”なんまんだぶ”は
おばあちゃんそのものだと思っているのです。
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よく、悲しみは「時が解決する」といいますよね。
でも、時が解決するのであれば、
周囲の人の優しさも、
阿弥陀様の救いもいりません。
阿弥陀様は
願いの道具ではありません。
祈りの道具でもありません。
阿弥陀様は、
一緒に歩みながら
大丈夫
大丈夫と言ってくれるのです。
悲しみは悲しみのままでいい。
一緒に今、歩む方がいると聞いています。
私は今、安心して人生を歩んでいます。
<さよならのない
家族になる>
ちょうど、5年位前、私がお坊さんになる少し前のことです。
中学生時代から仲の良かった男性の友人がいましたが、
一緒に食事をしたあと、「じゃあ、またね」とその場を別れました。
その1日後、彼の御連れ合いさんから電話がありました。
電話に出ると、彼女は無言です。
その後、数秒して「ひろとが死んだ」
そう一言、言いました。
私はすぐに車を走らせて自宅に行きました。
自宅には、友人が横たわっていました。
名前を呼んでも、肩をゆすっても、彼が起き上がることはありませんでした。
彼女は、
「ごめんなさい、戻ってきて」
そう言っていました。
聞くと、亡くなった当日、夫婦喧嘩をしたのだそうです。
そして、彼が玄関先に出た時、心臓発作があったようです。
夫婦喧嘩なんかしなければよかった・・・。
亡くなったのは「あの喧嘩のせい」
周囲は「あなたのせいじゃない」と言いますが、
彼女は自分を責めていました。
責めることでしか、
この死の「何で彼が死んだのか」の問いの答えが見つからなかったからです。
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石川県は浄土真宗のお東(真宗大谷派)が多い地域です。
お東さんのお寺でお葬式は行われましたが、
お坊さんがこう言ったと言うのです。
「お浄土と言う世界があるんですよ」
「さよなら、したっきりじゃない世界があるんですよ」
彼女が、私に聞きます。
彼女 「お浄土って何?」
私 「また会える世界だよ」
彼女 「また会える世界があるなら、
今、会える世界にしてくれたらいいのに・・・」
私 「そうやな・・・・」
彼女 「今、さよならのない世界にしてくれたらいいのに・・・」
もし、
「また、会えるから、今、我慢しなさいよ」
なんて、そんなことがあったなら、
これは、むごいことかもしれませんよね。
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それから、彼女は、
また、お東のお坊さんのお話を聞いたそうです。
「お浄土と言うハタラキがあって、よかったな~」
「旦那さんのお陰で、手を合わす生活になって、よかったなぁ~
あんたが泣いとる姿、あんたが子供のために頑張ってる姿、
全部、旦那さんは知ってるんだよ」
これを聞いて、彼女は、また私に言います。
「何がええねん・・・・」
でも、葬儀屋さんに貸してもらっている仮の仏壇に
毎日手を合わせているうちに、
彼女の心が少しずつ動いていくことになるのです。
知らない間に、自ら手を合わせていく彼女です。
「ああ、何か、さよならしたっきりじゃない世界とは、
こういうことかも・・・・・」
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やがて、四十九日の時に、お家にお参りに行った時のことです。
そこには、新しく買った、お仏壇がありました。
お仏壇は壁掛け式でしたが、
大人の腰のあたりの高さになってて、
「ちょっと低いんじゃないのかな?」
聞くと、
「小さな子供の目線に合わせた」と言うのです。
彼女はこのように私に言ってくれました。
「あれから、
朝起きて、「おはよう」と言う。
出かけるときは、「行ってきます」と言う。
帰ってきたら、「ただいま」と言う。
何かあれば、「今日はこんなことがあったんよ」と言う。
手を合わす場所がある。
手を合わせる人がいる。
何でも話せる人がいる。
いつでも話せる人がいる。
ああ、「さよならをしたっきりじゃない」というのは
こういう世界のことだったんだ。
自分を責めてばかりではあったけど、
悲しい時、
「悲しいまんまではおわらんよ」
そう、聞いたのよ。
私もいつか、この子たちを置いていかなければならないんよ。
もちろん、どっちが先か、誰が先かもわからんよ。
この先、「悲しいままでは終わらんよ」と、
だれにこの子たちは教えてもらえばいいのか。
いつか教えてもらうんじゃなく、
今、それを教えていく。
今、それを聞いていく。
そう考えたら、仏壇の高さは子供たちの眼に入る場所になったんよ。
そうしたら、子供たちはお父さんを感じながら成長できるじゃない。
そうしたら、子供たちはお父さんといつでも一緒じゃない。
私達、知り合って、せっかく家族になったのに、
これで家族じゃなくなるなんてことはなかったの。
今、出会って、
お浄土でも、また、出会う。
私達はこのご縁を通して、
さよならのない家族になるんよ」
<帰ってきてくれて
ありがとう>
私、2年前に三重県で、5月14、15日と、法話をさせて頂くご縁を頂きました。
お坊さんになって3年、布教使になって1年です。
さて、私の住む石川から三重までは車で3時時間半です。
予定通り着いて、14時から法話会が始まりました。
私、最初の7分くらいは自己紹介でしたので、そこまでは記憶にあるのですが、
その後、あまり記憶がないのです。
当時の録音を聞いたり、私の話しを聞いていた人の話しだと、
段々、私は話の語尾が聞きとれなくなるくらい、アヤシイ話し方です。
そして、私はついに気を失って倒れてしまいました。
「先生が倒れたぞ!」
「あたまを打ってるぞ!」
「救急車を呼んで!」
一方、私は救急車が市立四日市病院に着いた頃に、
周囲の声が耳から聞こえるようになりました。
ですが、手も足も全く動きません。
「八幡さん、大丈夫ですか?」
「どこか痛いところ、ありますか?」
話しかけてくれている声は聞こえますが、とにかく体は動かないのです。
私は怖かったです。
意識はあるのに体は動かない。
こうなると、残してきた子供のことが気になります。
ああ、あの子たちを残していくのかな・・・・。
人はいつ何時、どうなるかわからない。
いつも、法話で聞いていて、
自分は大丈夫と思っていたのに、
いざこうなったらダメでした。
本当に怖いものでした。
そのうち、体が動き出しましたが、
血液検査、エコー、MRIを取って、最終的には「体の異常は無し」でした。
そして、脳神経外科の先生の診断は「自律神経でしょう」とのことでした。
何でも、
自律神経は交感神経と副交感神経があって、
交感神経で考え、副交感神経でリラックスするのに、
私の場合は緊張や日常の忙しさで、寝ているときも交感神経が働いていて、
ゆっくり休めていなかったのだそうです。
パソコンなら、今回、いきなり「強制シャットダウン」みないな感じだったのです。
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さて、このことは、私の実家に連絡が行きました。
当時は父親に一報が入りましたが、当時はコロナで病院にも行けません。
経過報告を家族は待つことになりました。
このことは父から母へ、
母から、当時出産のために里帰りしていた姉の耳にも入りました。
「真衣ちゃんが、死にそうなんやて!」
今、思えばなんとも大袈裟な話ですが、
「倒れて意識がない」と思われているのですから仕方ないですよね。
やがて、私はすぐに回復し、病院を退院後はひつまぶしを食べていました。
翌日の法座も無事に終え、車に乗って、15日の夜8時ごろに石川に着きました。
家に帰って、玄関をあけると、小さな足音が聞こえます。
「ママ、おかえりー!」
当時、6歳と4歳の娘たちが迎えてくれました。
家にあがろうとすると、長女が何かを背中に隠し持っています。
何かなと思っていると、「はい、花束!」と言って私にくれました。
そして、
「帰ってきてくれてありがとう!」
こう言ってくれました。
見ると、その花束は、花は下に垂れ下がり、しわくちゃです。
リボンもほどけて、ひもがぶら下がっているようでした。
私は「ありがとう」と言って受け取りました。
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少し、ゆっくりしてから、あのしわくちゃの花束の話を姉がしてくれました。
昨日、ママが倒れた。
長女は「ディズニーランドに行く」と、お金を貯めていた貯金箱をひっくり返すと、
手に持てるだけ硬貨を持つと、花屋さんに行ったそうです。
「おっちゃん! 花束ちょうだい!」
もちろん、子供の貯める小銭程度では、花束は買えません。
後からついてった姉がお金を足して、訳を話したそうです。
「そうか、こわかったね、びっくりしたね」
お花屋さんはそう言ってくれました。
そして、買ってきたあと、
お風呂に行くにも、
ご飯を食べる時も、
寝る時も自分のそばに置いて、
今日は遊びに行くときも花束を抱えて持ち歩いていたから、
ボロボロのしわくちゃになったのだそうです。
私は、姉からその話を聞いて、
この花束がいっそう愛おしく思えました。
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私達、家に帰って当たり前。
家族も帰ってきて当たり前。
帰ることは当たり前のことなんです。
ですが、帰って、待っている人があって、
初めて、「おかえり」と言ってもらえるんです。
初めて、「ただいま」と言えるんです。
そこに待っていてくれる人がいるなんて、
何て素敵な事なんでしょう。
そこに待っていてくれる人がいるなんて、
何て有難い事なんでしょう。
私たちには、お浄土と言う場所があり、
懐かしい方達が待っていてくれます。
愛しい方達が待っていてくれる場所があるんです。
ああ、ありがたいな、
娘を通じて、そのことを教えてもらった気がします。
今、私、すごく元気です。
倒れたことなど、もう忘れています。
忘れるどころか、
明日も明後日も、
一年後も、
下手したら、
この先ずっと倒れないんじゃないかと思ったりします。
私達って、何かあっても、
過去の事をすぐに忘れてしまいますよね。
時と共に忘れてしまうんです。
だから、こうやって聴聞しながら聞いていくんですよね。
だから、こうやって聴聞しながら真実を訪ねていくんです。
これからも一日一日、
丁寧に大切にその日暮らしをしていきたいですね。
今月の参拝者カードです。
裏面です
お浄土で、
かならず
かならず
待ってますよ。
かならず、かならずと言うのがいいですね。
待ってるよと言われたら、嬉しい。
待ってるよと言われたら、安心。
待ってるよと言われたら、ああ、そこにあなたがいるんだねと。
待ってるよと言われたら、ああ、そこにわたしがいくんだねと。
おばあちゃんと別れたと思っても、
御連れ合いさんと別れたと思っても、
今、会える世界があって、
また、会える世界がある。
だから、
さよならのない家族になれる。
帰る世界があって、
おかえりの世界があって、
ただいまの世界がある。
有難いと思います。
今日は8月6日ですね。
戦時中、浄土真宗のご門徒は
「また会える世界がある」
それを信じて、命をささげたと聞いたことがあります。
お浄土がないなんて、
そんなことは絶対にあってはなりません。
🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻 🌻
こんなコラムがあります。
思議できない世界
それが仏様の世界ではあるけれど、
だからこそ、
今日もお寺の門は開いているのですね。
どうぞ、お寺にお聴聞に来て下さい。
動画ではない、本物のお坊さんの雰囲気と息遣いを味わってほしいと思います。
今日もようこそのお参りでした