8月のお寺の掲示板です。

これが今日の法話のテーマにもなりますニコニコ

 

今日も親鸞聖人は暑いでしょうね爆  笑

 

 

お参りの後は、聴聞ですお願い

 

 

今日の御講師は、石川県小松市本光寺の八幡真衣(やはたまい)師です。

 

 

 

 

 

今日の様子は、下記で聞けますが、

お時間のない方は私の要約版をどうぞ爆  笑

 (聞くだけでなく、目で見る文章も味わい深いですよ)

 

 

〇午前のお話 (前席30分、後席30分、計60分)

  

 

 

〇午後のお話 (40分)

 

 

 

青字が八幡師の言葉の要約です。

 

 

 

<真衣ちゃんの

       なんまんだぶ>

 

 

私はお寺の子として生まれたのですが、私には姉がいますので、

小さい頃は姉がお寺を継ぐのかなと思ってたんです。

ところが姉は大恋愛の末にお嫁に行き、次女の私にご縁が巡ってきました。

最初は仏教にまるで興味のなかった私ですが、

自分が親になった時、初めて親のしていたことがわかりました。

また、私の両親はお寺のことが第一で、

夏休みは家族旅行もなかったんですが、

家族と同じようにご門徒を大事にするお寺とは、

一体何なのだろうと興味を持ちました。

それから、5年前にお坊さんになり、3年前に布教使になりましたが、

人生とは、わからないものですね。

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

さて、私のおばあちゃんのお話です。

私が小さい頃、学校から帰ると、おばあちゃんが待っていてくれます。

普通なら、帰ってくれば、「手を洗いなさい」とかの声かけですが、

おばあちゃんは違います。

「こっちへおいで~!」

私がおばあちゃんの部屋に行くと、

両手いっぱいひろげてギューっと抱きしめてくれるのです。

そして、

「どうやあ、おばあちゃんの肌はもちもちやろ」

そう言っては、頬をすり寄せてくれるのです。

 

さすがに中学生になると、

私も「もういいよ」と遠慮しがちになりましたが、

今思うと、もっともっとしてもらえばよかったと思っています。

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

おばあちゃんと私には、毎朝必ず一緒にすることがありました。

お仏壇に御仏飯(おぶっぱん)を備えるのです。

「御仏飯はこうやって作るのよ。

形はこうやって整えて・・・・」

最初は見ていた私も、少しずつ覚えていくようになりました。

 

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

私が中学3年生の頃のことです。

私が学校から帰ると、おばあちゃんがいません。

母に聞くと、具合が悪くて検査入院をしたとのこと。

 

翌朝のことです。

いつも一緒に起きるおばあちゃんはいません。

私一人で御仏飯を備えましたが、なんともいびつな形になりました。

 

それからおばあちゃんの検査結果がわかりました。

「大腸がんのステージ4」というご縁でした。

もう高齢なので、手術と言う選択肢はありません。

私達は相談した末に、

おばあちゃんには最後まで病名を伏せることにしました。

 

私が小さい時から手を引いてもらっていたのに、

今度は私がおばあちゃんの手を引く番です。

 

あるとき、私は仏壇の阿弥陀様の前でいいました。

   「おばあちゃんの病気を治して下さい」

    「おばあちゃんをまた元気にして下さい」

    「おばあちゃんを助けて下さい」

 

中学3年生の私は、一生懸命に願いましたが、

阿弥陀様には私の願いも届かずにどんどん悪くなっていきました。

 

私は思いました。

   「何でよ! 毎日こんなに、ご飯をあげてるじゃない」

   「何でよ! 毎日こんなに、お願いしてるじゃない」

   「何でよ! 毎日こんなに、祈ってるじゃない」

 

阿弥陀様は願いを叶えるためにいるのではないと、父には聞いていたけど、

   わかっているけど、願わずにはおれない

   わかっているけど、祈らずにはおれない

それが私でした。

 

ですが、阿弥陀様は

   願うな、とも言いません。

   祈るな、とも言いません。

今、思えば、

ただただ、その時、私に寄り添ってくれていました。

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

おばあちゃんは亡くなりました。

お浄土に還ったのです。

 

思い出せば、

自分の部屋で

   「あ~、もうすぐやな・・・」

   「あ~、いろんなこと、あったな・・・」

独り言を言っていました。

おばあちゃんは、自分がもうすぐお浄土に往くことに気が付いていました。

 

最初は毎日泣いていた私です。

御仏飯をするのも私一人でしたが、

時々、おばあちゃんが思い出されてきました。

   「ああ、こうやって御仏飯を作ってたな」

   「念仏しながら、楽しそうに作ってたな」

   「ああ、おばあちゃんの声が聞こえてくる」

   「ああ、おばあちゃんの”なんまんだぶ”の声が聞こえてくる」

 

そして、

私が”なんまんだぶ”と唱えると、

耳の奥から一緒に聞こえてきたのが、

おばあちゃんの”なんまんだぶ”の声でした。

 

ああ、そうだったんだ。

私の”なんまんだぶ”は、

おばあちゃんの声でもありました。

 

「私が真衣ちゃんの”なんまんだぶ”になる」

そう、おばあちゃんが言ってくれていると

今でも思っているのです。

そして、

私の”なんまんだぶ”は

おばあちゃんそのものだと思っているのです。

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

よく、悲しみは「時が解決する」といいますよね。

でも、時が解決するのであれば、

周囲の人の優しさも、

阿弥陀様の救いもいりません。

 

阿弥陀様は

   願いの道具ではありません。

   祈りの道具でもありません。

阿弥陀様は、

   一緒に歩みながら

   大丈夫

   大丈夫と言ってくれるのです。

 

悲しみは悲しみのままでいい。

一緒に今、歩む方がいると聞いています。

 

私は今、安心して人生を歩んでいます。

 

 

<さよならのない

       家族になる>

 

 

ちょうど、5年位前、私がお坊さんになる少し前のことです。

中学生時代から仲の良かった男性の友人がいましたが、

一緒に食事をしたあと、「じゃあ、またね」とその場を別れました。

 

その1日後、彼の御連れ合いさんから電話がありました。

電話に出ると、彼女は無言です。

その後、数秒して「ひろとが死んだ」

そう一言、言いました。

私はすぐに車を走らせて自宅に行きました。

 

自宅には、友人が横たわっていました。

名前を呼んでも、肩をゆすっても、彼が起き上がることはありませんでした。

 

彼女は、

   「ごめんなさい、戻ってきて」

そう言っていました。

聞くと、亡くなった当日、夫婦喧嘩をしたのだそうです。

そして、彼が玄関先に出た時、心臓発作があったようです。

 

夫婦喧嘩なんかしなければよかった・・・。

亡くなったのは「あの喧嘩のせい」

周囲は「あなたのせいじゃない」と言いますが、

彼女は自分を責めていました。

責めることでしか、

この死の「何で彼が死んだのか」の問いの答えが見つからなかったからです。

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

石川県は浄土真宗のお東(真宗大谷派)が多い地域です。

お東さんのお寺でお葬式は行われましたが、

お坊さんがこう言ったと言うのです。

   「お浄土と言う世界があるんですよ」

   「さよなら、したっきりじゃない世界があるんですよ」

 

彼女が、私に聞きます。

     彼女   「お浄土って何?」

     私    「また会える世界だよ」

       彼女     「また会える世界があるなら、

            今、会える世界にしてくれたらいいのに・・・

     私    「そうやな・・・・」

     彼女   「今、さよならのない世界にしてくれたらいいのに・・・」

 

もし、

「また、会えるから、今、我慢しなさいよ」

なんて、そんなことがあったなら、

これは、むごいことかもしれませんよね。

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

それから、彼女は、

また、お東のお坊さんのお話を聞いたそうです。

 

   「お浄土と言うハタラキがあって、よかったな~」

   「旦那さんのお陰で、手を合わす生活になって、よかったなぁ~

          あんたが泣いとる姿、あんたが子供のために頑張ってる姿、

    全部、旦那さんは知ってるんだよ」

 

これを聞いて、彼女は、また私に言います。

   「何がええねん・・・・」

 

でも、葬儀屋さんに貸してもらっている仮の仏壇に

毎日手を合わせているうちに、

彼女の心が少しずつ動いていくことになるのです。

知らない間に、自ら手を合わせていく彼女です。

 

   「ああ、何か、さよならしたっきりじゃない世界とは、

   こういうことかも・・・・・」

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

やがて、四十九日の時に、お家にお参りに行った時のことです。

そこには、新しく買った、お仏壇がありました。

 

お仏壇は壁掛け式でしたが、

大人の腰のあたりの高さになってて、

  「ちょっと低いんじゃないのかな?」

聞くと、

  「小さな子供の目線に合わせた」と言うのです。

 

彼女はこのように私に言ってくれました。

 

   「あれから、

   朝起きて、「おはよう」と言う。

   出かけるときは、「行ってきます」と言う。

   帰ってきたら、「ただいま」と言う。

   何かあれば、「今日はこんなことがあったんよ」と言う。

 

   手を合わす場所がある。

   手を合わせる人がいる。

       何でも話せる人がいる。

   いつでも話せる人がいる。

 

   ああ、「さよならをしたっきりじゃない」というのは

   こういう世界のことだったんだ。

 

   自分を責めてばかりではあったけど、

   悲しい時、

   「悲しいまんまではおわらんよ」

   そう、聞いたのよ。

   私もいつか、この子たちを置いていかなければならないんよ。

   もちろん、どっちが先か、誰が先かもわからんよ。

 

   この先、「悲しいままでは終わらんよ」と、

   だれにこの子たちは教えてもらえばいいのか。

   いつか教えてもらうんじゃなく、

   今、それを教えていく。

   今、それを聞いていく。

 

   そう考えたら、仏壇の高さは子供たちの眼に入る場所になったんよ。

   そうしたら、子供たちはお父さんを感じながら成長できるじゃない。

   そうしたら、子供たちはお父さんといつでも一緒じゃない。

 

    私達、知り合って、せっかく家族になったのに、

   これで家族じゃなくなるなんてことはなかったの。

 

   今、出会って、

   お浄土でも、また、出会う。

   私達はこのご縁を通して、

   さよならのない家族になるんよ」

 

 

<帰ってきてくれて

        ありがとう>

 

私、2年前に三重県で、5月14、15日と、法話をさせて頂くご縁を頂きました。

お坊さんになって3年、布教使になって1年です。

 

さて、私の住む石川から三重までは車で3時時間半です。

予定通り着いて、14時から法話会が始まりました。

私、最初の7分くらいは自己紹介でしたので、そこまでは記憶にあるのですが、

その後、あまり記憶がないのです。

当時の録音を聞いたり、私の話しを聞いていた人の話しだと、

段々、私は話の語尾が聞きとれなくなるくらい、アヤシイ話し方です。

そして、私はついに気を失って倒れてしまいました。

   「先生が倒れたぞ!」

   「あたまを打ってるぞ!」

   「救急車を呼んで!」

 

一方、私は救急車が市立四日市病院に着いた頃に、

周囲の声が耳から聞こえるようになりました。

ですが、手も足も全く動きません。

   「八幡さん、大丈夫ですか?」

   「どこか痛いところ、ありますか?」

話しかけてくれている声は聞こえますが、とにかく体は動かないのです。

 

私は怖かったです。

意識はあるのに体は動かない。

こうなると、残してきた子供のことが気になります。

ああ、あの子たちを残していくのかな・・・・。

 

人はいつ何時、どうなるかわからない。

いつも、法話で聞いていて、

自分は大丈夫と思っていたのに、

いざこうなったらダメでした。

本当に怖いものでした。

 

そのうち、体が動き出しましたが、

血液検査、エコー、MRIを取って、最終的には「体の異常は無し」でした。

 

そして、脳神経外科の先生の診断は「自律神経でしょう」とのことでした。

何でも、

自律神経は交感神経と副交感神経があって、

交感神経で考え、副交感神経でリラックスするのに、

私の場合は緊張や日常の忙しさで、寝ているときも交感神経が働いていて、

ゆっくり休めていなかったのだそうです。

パソコンなら、今回、いきなり「強制シャットダウン」みないな感じだったのです。

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

さて、このことは、私の実家に連絡が行きました。

当時は父親に一報が入りましたが、当時はコロナで病院にも行けません。

経過報告を家族は待つことになりました。

このことは父から母へ、

母から、当時出産のために里帰りしていた姉の耳にも入りました。

「真衣ちゃんが、死にそうなんやて!」

今、思えばなんとも大袈裟な話ですが、

「倒れて意識がない」と思われているのですから仕方ないですよね。

 

やがて、私はすぐに回復し、病院を退院後はひつまぶしを食べていました。

翌日の法座も無事に終え、車に乗って、15日の夜8時ごろに石川に着きました。

家に帰って、玄関をあけると、小さな足音が聞こえます。

「ママ、おかえりー!」

当時、6歳と4歳の娘たちが迎えてくれました。

 

家にあがろうとすると、長女が何かを背中に隠し持っています。

何かなと思っていると、「はい、花束!」と言って私にくれました。

そして、

「帰ってきてくれてありがとう!」

こう言ってくれました。

見ると、その花束は、花は下に垂れ下がり、しわくちゃです。

リボンもほどけて、ひもがぶら下がっているようでした。

私は「ありがとう」と言って受け取りました。

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

少し、ゆっくりしてから、あのしわくちゃの花束の話を姉がしてくれました。

昨日、ママが倒れた。

長女は「ディズニーランドに行く」と、お金を貯めていた貯金箱をひっくり返すと、

手に持てるだけ硬貨を持つと、花屋さんに行ったそうです。

「おっちゃん! 花束ちょうだい!」

もちろん、子供の貯める小銭程度では、花束は買えません。

後からついてった姉がお金を足して、訳を話したそうです。

「そうか、こわかったね、びっくりしたね」

お花屋さんはそう言ってくれました。

 

そして、買ってきたあと、

お風呂に行くにも、

ご飯を食べる時も、

寝る時も自分のそばに置いて、

今日は遊びに行くときも花束を抱えて持ち歩いていたから、

ボロボロのしわくちゃになったのだそうです。

 

私は、姉からその話を聞いて、

この花束がいっそう愛おしく思えました。

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

私達、家に帰って当たり前。

家族も帰ってきて当たり前。

帰ることは当たり前のことなんです。

 

ですが、帰って、待っている人があって、

初めて、「おかえり」と言ってもらえるんです。

初めて、「ただいま」と言えるんです。

 

そこに待っていてくれる人がいるなんて、

何て素敵な事なんでしょう。

そこに待っていてくれる人がいるなんて、

何て有難い事なんでしょう。

 

私たちには、お浄土と言う場所があり、

懐かしい方達が待っていてくれます。

愛しい方達が待っていてくれる場所があるんです。

ああ、ありがたいな、

娘を通じて、そのことを教えてもらった気がします。

 

今、私、すごく元気です。

倒れたことなど、もう忘れています。

忘れるどころか、

明日も明後日も、

一年後も、

下手したら、

この先ずっと倒れないんじゃないかと思ったりします。

 

私達って、何かあっても、

過去の事をすぐに忘れてしまいますよね。

時と共に忘れてしまうんです。

だから、こうやって聴聞しながら聞いていくんですよね。

だから、こうやって聴聞しながら真実を訪ねていくんです。

 

これからも一日一日、

丁寧に大切にその日暮らしをしていきたいですね。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い    

 

 

今月の参拝者カードです。

 

 

裏面です

 

 

お浄土で、

かならず

かならず

待ってますよ。

 

かならず、かならずと言うのがいいですね。

 

  待ってるよと言われたら、嬉しい。

  待ってるよと言われたら、安心。

  待ってるよと言われたら、ああ、そこにあなたがいるんだねと。

  待ってるよと言われたら、ああ、そこにわたしがいくんだねと。

 

おばあちゃんと別れたと思っても、

御連れ合いさんと別れたと思っても、

  今、会える世界があって、

  また、会える世界がある。

だから、

  さよならのない家族になれる。

 

帰る世界があって、

おかえりの世界があって、

ただいまの世界がある。

有難いと思います。

 

今日は8月6日ですね。

戦時中、浄土真宗のご門徒は

「また会える世界がある」

それを信じて、命をささげたと聞いたことがあります。

お浄土がないなんて、

そんなことは絶対にあってはなりません。

 

🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻  🌻

 

こんなコラムがあります。

 

 

思議できない世界

それが仏様の世界ではあるけれど、

だからこそ、

今日もお寺の門は開いているのですね。

どうぞ、お寺にお聴聞に来て下さい。

動画ではない、本物のお坊さんの雰囲気と息遣いを味わってほしいと思います。

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い