今日の東京は雨雨です。

 

「あいにくの雨です」と言えば、

「それはあんたの都合でしょ!」

と突っ込みが入るのが仏教です爆  笑

 

そうです。

「私にとっては、あいにくの雨です」

と、本当は言い換えないとなりません。

誰もが、今日の雨を望んでいるわけではないのですから。

そこに「気づき」を頂ける仏教って、やっぱり有難いですねニコニコ

 

本堂では、毎年恒例の仏教伝道協会主催の写真展がありました。

 

 

 

外看板です。

 

 

室内看板です。

 

 

最初はお勤めです。

重誓偈(じゅうせいげ)と言って、仏説無量寿経の一部を、

導師の僧侶と一緒にお勤めです。

新型コロナ前は法話会で何度も一緒にお勤めをしましたので、

聖典を見なくとも、ほとんど空で覚えてしまいました爆  笑

 

 

今日の御講師は、東京都東村山市 万行寺の本多靜芳(ほんだしずよし)師です。

 

 

 

 

青字が本多師の言葉の要約です。

 

 

<知行一致>

 

私はここで生まれて、このお寺の目の前の築地小学校を出て、

直ぐ近くの銀座中学校を出たんですよ。

私は、生まれてすぐに僧侶になったわけではないのですが、

皆さんもそうですよね。

生まれてすぐに、今の皆さんになったわけではないですよね。

 

親鸞聖人も、昔の有名なお坊さんも、

生まれてすぐに仏教に成熟したわけではなく、

さまざまな学びの中から「仏教的人格」を育てたんですよね。

 

生まれつき、私たちには本来は煩悩が備わっているのですが、

煩悩とは仏教の言葉であって、言い換えれば自己中心的な存在ということです。

有名な話があります。

ある先生の講演会で、親鸞聖人の悪人正機の話で

「善人が救われるのだから、悪人が救われるのは当然だ」という話をしていたら、

「それでは正直者が馬鹿をみるじゃないですか」という質問が会場からありました。

その時、講師が

「この会場の中に正直者がいるのなら、前に出てきなさい」と言ったそうです。

私たちは、皆、自分は正直者だと思ってるんですよ。

 

やっぱり、知識を学び、行いと共に成熟していかないとなりませんよね。

 

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知行一致(ちぎょういっち)という言葉があります。

知とは、知識や理論のことです。

行とは、身をもって行う行動のことです。

つまり、「知っていること」と「行い」に、

食い違いのないことを言います。

これが実は仏教の大事なことなんです。

 

ちなみに、学ぶことなんですが、

昔は

「真似る」 マネルと言っていたものが、

「真似ぶ」 マネブとなり、

「学ぶ」  マナブとなったそうです。

「学ぶ」の語源は「真似る」なんですね。

「真似る」とは、赤ちゃんの育ち方を見れば一目瞭然で、行動の基本ですよね。

 

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この中で寺子屋で学んだ方は居ますか。

さすがにいないですよね。

昔はお寺で「読み書き計算」を教えていたそうですが、

それは「知」の部分です。

知識の部分です。

 

それに付随して、

お寺に来たら草履を脱いでキチンと揃えて、

本堂の本尊に礼をして、

仲間や住職に挨拶をして、とか、

道徳的なことも一緒に教えてましたよね。

これが「行」の部分です。

 

徒弟制度というものもあって、

師匠のもとで修業をしても、

言葉で教わったことを今度は身をもって示していく。

そうやって、知識と行動を結び付けて、育っていったものでした。

まさに「知」と「行」の育ち方です。

 

今は、知識重視ですから、点数が良ければ素行が悪くても卒業できますし、

知識と行いが一致してない場合が多いですね。

 

有名な話ですが、

北海道の学校で「氷が溶けたら何になる」という質問があって、

「春になる」と書いたら×(バツ)だったそうです。

「氷が溶けたら水になる」が〇(マル)だと。

 

知識重視の成果で、人の生活する背景が見えなくて、

人の心の育ち具合は、本当に大丈夫でしょうか。

 

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随分前ですが、オイゲン・ヘリゲルというドイツの哲学者がいて、

禅を学びたいと日本に来たんですね。

それで、学ぶには「弓道」がいいだろうということで、

阿波先生という弓道の先生についたのだそうです。

 

弓の弾き方、的の当て方、いろいろ教わりましたが、

どうもうまくいきません。

そこで阿波先生は、夜の弓道場にヘリゲルさんを呼び出します。

お線香1本ほどの明るさの中・・・、いや、実際はほぼ真っ暗です。

その中で先生は次々に的を射抜いていきます。

その時、ヘリゲルさんは、今まで弓道を頭では理解していたけど、

本当はわかってなかったと思ったそうです。

理屈では弓の弾き方、的の当て方を教わったけど、

身体で覚えてなければ、

真っ暗な中では何もできない自分がいたことに気づきました。

阿波先生は頭ではなく、身体で弓の弾き方、的の当て方を知っていたのです。

だから、真っ暗でも、弓矢を的に命中することができたんです。

 

その時のことをヘリゲルさんは「弓と禅」というタイトルで本を出版し、

ひとつのブームが起きましたが、

その後、アップル社のスティーブ・ジョブズさんにも影響を与えました。

皆さんも機会があったら、是非この本をお手に取ってみて下さい。

 

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最後は小櫻秀謙(こざくらしゅうけん)さんという、

名古屋の真宗大谷派の僧侶のお話です。

 

ある時、先生は同じ名古屋の守山というところに用事で行って、

その帰り道にバスに乗っていたときのことです。

先生はその時、年を取っていましたので、出来れば座りたいと思い、

座席に運よく座ることができました。

そこへ、シルバー人材の仕事帰りと思われる高齢者が数名、

バスに乗車をしてきたのだそうです。

ひとりの老婆が先生の隣に座ってきました。

「え?こんな狭ところに、無理しないでよ」と思うほど、

先生の腰骨と老婆の腰骨が濃厚に付くほどの状況です。

「あ~あ、そんな汚れた作業服のままで、嫌だなぁ」

先生は、言葉には出さないものの、たまらずに席を立ちました。

 

すると、老婆は自分が座りやすいように座りなおして、

先生にはお礼もなく知らんぷりです。

老婆を見れば見るほど、先生はムカッとしました。

 

しばらく乗車していると、、老婆のとなりの席が空いたのですが、

先生に声を掛けるのかと思っていたら、仲間の高齢者に

「あんた、すわりゃーせ」と先生ではなく仲間の高齢者を呼びました。

「あのな~・・・・」

先生は益々イライラしました。

 

少しして、

先生はある言葉を思い出していました。

 

  悪性さらにやめがたし 

  こころは蛇蝎のごとくなり
  修善も雑毒なるゆえに

  虚仮の行とぞなづけたる

 

これは親鸞聖人の心の告白の言葉です。

 「悪いことだとわかっていても、止めようとは思わないし止められないのです。

 心は蛇や蠍のように恐ろしい毒気を含んでいるのです。
 善い行いをしたつもりでも、下心が入っていて、それを恥ずかしいとも思わない。

 私のどこを探しても真心など見つからないのです」

 

先生は、親鸞聖人の言う、蛇喝の心とは自分の心の事であったと覚ります。

仏教には、「席を譲りましょう」という床座施という「行」があります。

普段、人にエラそうに説きながら、自分はちっともできていない。

頭では、理屈ではわかってても、「行」の伴わない自分に気づいたのです。

 

きっかけがあれば、

何をしでかすか、

何を思うかわからない自分でありました。

「行」を通じて、自分の姿を知らされたのです。

「人を、見下してしまう」愚かな自分に気づいたのです。

 

先生ほどのお人であっても、

「知行一致の大切さ」を思い知ったことでありました。

 

 

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今日は「知行一致」という言葉を教わりました。

知識と行いを一致させる

ちなみに私の出身校の校訓は「行学一如(ぎょうがくいちにょ)」でした。

行うことと、学ぶことは一つのごとし

 

どちらも

「知識・学び」と

「行い」を

切り分けない。

ふたつで一つのものだよ。

そう言う風に、頂くのがいいでしょう。

 

私達、在家仏教徒は、

仏教の本を読んで知識を学ぶのが「知」ならば、

また、お寺に参って聴聞するのが「知」ならば、

日常生活がまさに「行」ですよね。

 

これはお釈迦様が厳しく言われていることです。

「よい行いをしなさい」

「施しなさい」

仏教は知識の上に立つ、

        実践(行い)なのです。

 

ちなみに、

私もあなたも明日からできる行いとして「無財の七施」がありましたよね。

 

1.眼施(がんせ) 

   優しくあたたかいまなざしで、周囲の人の心を明るくするように努めましょう。


2.和顔施(わがんせ) 

    笑顔はコミュニケーションでは大切で、笑顔は人との距離を縮めます。

    にこやかで優しい笑顔で人に接しましょう。 

 

3.言辞施(ごじんせ)

  優しい言葉や思いやりのある言葉で相手に安心感を与えましょう。 

 

4.身施(しんせ)    

    身体を使って誰かのために奉仕をしましょう。(尽くしましょう)

    身を呈して周りの人を助けていきましょう。

 

5.心施(しんせ) 

    心から感謝の言葉を言いましょう。

    思いやりの心を持って、相手に接しましょう。

    心配りを大切にしましょう。 

 

6.床座施(しょうざせ) 

    進んで相手に座る場所や席を譲り合い、親切にしていきましょう。 

 

7.房舎施(ぼうしゃせ)       

    求める人や尋ねて来る人があれば、気持ちよく迎えて、

    一宿一飯の施しを与えて、雨風しのげる場所を提供しましょう。               

    これは言い換えれば、その人の居場所を作るということですね。

 

難しいことはできなくても、これならできそうだと思いませんか?

知ってることは、行いとして施していく。

今日は「知行一致」の法話でしたニコニコ

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い