今週、曹洞宗から送られてくる月刊誌「禅の友」が到着しました。
3月は別れの季節ですね。
私の職場でも、何人かのスタッフが退職されます。
引っ越しと親御さんの介護で退職する男性スタッフのKさんも、
そのうちの一人です。
今日は私に良く話しかけてきたKさんが、私のところに挨拶にきました。
Kさんは、美術系大学を卒業後、他の障害者支援の事業所を経て、
縁あって私の職場に非常勤スタッフで入職してきました。
その後、粘り強く努力し、正職員に昇格しましたが、
私が採用面接をしたこともあって、やはり気になるスタッフでした。
そんなKさんの特技は「イベントでの似顔絵描き」で、
それはもう、ご想像通りにピカイチの評判でした。
さて、そのKさんは、常に悩み癖がありました。
Kさん 「ちょっと、いいですか」
私 「何かな」
Kさん 「〇〇〇なんですよね・・・。
えっと、ただ、それだけです」
私 「そうなんだね」
私に気になることを解決をしてほしいというより、
ひと通り話しをして、話し終わると、
いつも彼は「失礼しました」と帰っていくのです。
入職以来8年間、少なくとも1年に2回くらいは、こんなやり取りをしていました。
ん~・・・。
やっぱり、Kさんのプチ不安とか、プチ悩みなんですよね。
だから、今日は、最後の最後だから、私からKさんに餞別の言葉を贈りました。
ちょうど、今週、出会った言葉です。
※青字が禅の友の言葉
<無縄自縛>
無縄自縛(むじょうじばく)
《縄なくしてみずから縛る》
ありもしない縄が自分を縛る
既成概念に執われて身動き取れなくなっている、
そのことにすら気付けない状態を喩えています。
それを打破するためには、
柔らかな心で視点を変えることが必要。
「打破する」ことばかり考えるのも
自分を縛る縄になってしまうのが
難しいところですね。
かつて、有名な禅僧と、お弟子さんのやり取りにこんなものがあったそうですね。
以下、記憶のままに・・・。
弟子 「私は不安で仕方がありません。どうしたら不安がなくなりますか」
禅僧 「では、私が不安をなくしてあげるから、
不安をここに取り出して、手のひらにのせてごらん」
弟子 「・・・・・・」
「どうしても、不安が取り出せません」
禅僧 「ほら、今、私はあなたの不安を取り除いてあげたよ」
具体的な不安など、初めからなかった
と言うことを、弟子に気づかせた説法でしたが、
これを「無縄自縛」というのでしょうね。
私たちは、自分で自分を縛り付けないように、
なるべく
なるべく
柔らかな心を持ちたいですよね
固い頭に釘を打ち込め♪
(by LOUDNESS )