今日の東京は晴晴れよりも曇りくもりの方が多いでしょうか。

でも、暑くも寒くもなく、ちょうどよい気候ですニコニコ

 

 

今月の参拝カード ・・・・花びらの形をしていて、華葩(けは)と言います。

             実際は10センチ×8センチくらいです。

 

 

 

はい✋

わかっておりますグッ

どうしようもない私を照らしてくれる仏さまのお話を聞きに参りました爆  笑

 

 

今日の御講師は、北海道樺戸郡 円満寺の金龍之哉(きんりゅういくや)師です。

 

 

 

 

青字が金龍師の言葉の要約です。

 

 

<言葉のチカラ>

 

私のおばあちゃんは先月97歳で往生したのですが、

連れ合いが亡くなった後、とにかく、

「自分がお寺を守っていく」

「自分がご門徒を守っていく」

その想いで生きてきました。

 

おばあちゃんは84歳の時に脳梗塞で倒れたことがあるのですが、

リハビリを頑張って、思ったより早くお寺に帰ってきました。

ここ4~5年は認知症になり、グループホームで暮らすようになりましたが、

それでも一時帰省でお寺に帰ってくるときは、家族で食卓を囲みました。

おばあちゃんはご飯を食べるときには、必ず

「ご飯をいただきます」

「ご飯を頂戴します」

と言ってから食べていました。

認知症であろうが何であろうが、身に付いて沁み込んだものは

自然と出てくるものなのですね。

 

もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ

 

私の住んでいる場所は過疎地です。

人口も6千人くらいでしょうか。

ですから私の同級生は皆、札幌や東京に出ていきます。

 

そんな友人たちが、たまに地元に帰ってきます。

久しぶりに帰ってくると、私のところに連絡が来ます。

「いや、久しぶり。帰ってきたから、食事でも食べに行こうか?」

と言ういい方にはなりません。

ではどういういい方か?

「や! 久しぶり! メシでも行こうか、メシ!」

 

ご飯を頂戴します。

ご飯を食べます。

メシを食う。

 

これ、みんな同じ行為なんですが、

皆さんのご家庭ではどのように言葉をお使いですか?

また、自分が食事をするなら、どの言葉の環境がいいですか?

更に、自分のお子さんを育てるなら、どの言葉の環境がいいですか?

言葉の使い方で、人間性も磨かれて、心が育っていくのではないですか?

言葉って、大事だと思いますよ。

 

もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ   もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  

 

2014年の秋 俳優の高倉健さんが亡くなりました。

テレビでは追悼番組を放映していたのですが、

高倉さんは「ぽっぽや」「南極物語」などのイメージがありますが、

若い頃はヤクザ映画のスターだったんですね。

それでテレビのインタビューでは、

「デビューしていつごろから、今のような配役に代わったんですか?

きっかけがあったんですか?」と尋ねられていました。

 

一流の役者さんとなると、普段の日常生活から役作りをしているのだそうですね。

ある日、高倉さんが飲食店で注文をしたのですが、店員が間違ったのだそうです。

すると、高倉さんは怒り、役柄のようなヤクザ口調で怒鳴ったのだそうです。

その後、高倉さんは反省し、徐々に役も代えてもらったのだそうです。

 

皆さん、やっぱり、

いい言葉を使った方がいいみたいですね。

悪い言葉は相手を傷つけ、

自分もダメになってしまいますよね。

 

 

<当たり前>

 

東日本大震災の時、私はボランティアに行ったんです。

私が入ったのはちょうど4月1日で、

物資の手伝いや遺体安置所のお参りがありました。

遺体安置所では、華葩(けは)という花びらのカードを

棺ひとつひとつにおいていきました。

 

私の帰りがけに、100体近くある棺のうち、

ある御遺体の前にたたずむ方がいました。

お菓子とおもちゃを持ち、後ろから見ると肩が震えているようでした。

 

私は安置所を出たあと、改めて自分の命を考えてみたんです。

「無常」ということは良く知っているつもりでしたが、

当時、自分が生きていることは「当たり前」になっていました。

ですが、生きていることが「当たり前」などは、ないのですよね。

と言うことは、私の大切な人のいのちも「当たり前」ではなかったのです。

 

私は外面がいいんです。

外では、

「いただきます」

「ごちそうさまでした」

「(まずくても)おいしかったです」を言い、

「失礼します」

「すみませんでした」

「ありがとうございます」を言います。

ですが、家では、「いただきます」も言わずに食べ始める私がいました。

ご飯が冷たければ、「おいしくないから温めてよ」という私がいます。

 

大切な人のことも、いて当たり前。

大切な人がしてくれたことも、してくれて当たり前。

ですが、当たり前など、どこにもない。

 

そう聞かせて頂いた体験でした。

 

<常にわが身を照らすなり>

 

私、いま42歳なんです。

独身ですが、一度結婚をしたことがありました。

実は4年前に離婚をしたのです。

 

結婚をすると決まったときは、門徒さんがとても喜んでくれました。

結婚式などは二度も披露宴を行いました。

そんな門徒の皆さんの期待を裏切ったのですから、

本当に肩身の狭い、やるせない気持ちになりました。

 

それから、お参りで門徒さんのご自宅を訪問するたびに「お詫び行脚」です。

このことにある程度理解をして、優しい言葉を掛けてくれる方もいましたが、

中には「よく考えて生きなけりゃね」と苦言を呈する方もいました。

 

そんな中で婦人会長の寺田さんのところに行った時のことです。

寺田さんにも、謝罪をしたときのことです。

寺田さんがこう言ったのです。

「若さん(金城師のこと)、今回、いろいろあったけど、

私にとってはあなたの結婚も、あなたの離婚も、

どっちも大切なことだったんだよ」

 

私はその時、申し訳ないと思うと同時に嬉しかったですね。

私の人生と関わり続けてくれる人がいたのです。

どんな私であっても、一緒に歩んでくれていた。

 

それまで、私はお坊さんとして「ちゃんとできていた」と、

うぬぼれていたのですが、私は寺田さんの眼差しに気が付いていませんでした。

 

この私に、

仏さまのように光を照らしてくれていた人がいた。

寺田さんの温かい眼差しに救われたことでした。

 

もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ

 

人が亡くなると「不幸があった」と言います。

命がなくなることは不幸な事。

亡くなった人は不幸。

亡くなった人がいる家庭は不幸。

ですから、あなたが亡くなったら、それは「不幸な事」なのですよね。

 

それは、

先立つ人が、どこに行くのかを知らないから「不幸」なのではないでしょうか。

お釈迦様のお説きになった仏典では、

お浄土に行く。

「死」ではなく、「往生」と言って、終わりではなく誕生と聞いていくのです。

「死」は終わりでしょうが、「往生」は誕生です。

そして、

お浄土で懐かしい人に会うと聞かせて頂いていきます。

ともに一つの処であうことを「倶会一処」(くえいっしょ)と言います。

 

さて、最後に元婦人会長の西川さんのお話をさせて頂きます。

私は西川さんには大変にお世話になりました。

私は京都の龍谷大学出身なのですが、

卒業式の時に北海道から京都に来てくれたり、

私が京都の本山で法話をするときも、北海道から駆けつけてくれました。

 

私のお寺では「ふきのとうの味噌」作りをしています。

今年は1650個でしたが、コロナ前は2500個とか2800個とか作りました。

実は味噌作りのあとは、病院に通う方がいます。

それほど重労働な工程があるんですよね。

とくに「味噌練り」は40分くらい、鍋に味噌を入れて練っていくのですが、

結構、これが重労働で70歳、80歳の方にはできません。

そこで、私がやることになりました。

重労働ですが、数を多く作るのですから、私もだんだん嫌になってきました。

ご門徒さんに声を掛けられては頑張り・・・・、声を掛けられては頑張り・・・、

ですが、さすがに最後の方は私もふてくされてやっていました。

その時、西川さんに声を掛けられて、お寺の裏に呼び出されました。

「あんたのお寺のためにやってるのに、あんたがふてくされてどうするの!」

西川さんからの「喝」で、私も目が覚めて反省をしました。

 

それとは別件なのですが、

ある日、西川さんと車の車中でこんなことを言われました。

「あんたのお父さんも、あんたのお母さんも好きだけど、

あんたのことが大好きだよ。声もいいし、お経を読む声も大好きだよ。

私が死んだら、あんたがお経をあげて頂戴ね」

私を褒めてくれるご門徒は他にもいるのですが、

「あんたはお父さんよりいいなぁ」とか、言ってくれます。

ですが、誰かと比較されて褒められるより、

単純にストレートに言われたほうが嬉しいものですよね。

よく、「男は目で恋をする」「女は耳で恋をする」と言いますが、

まさにこうしたことかなぁ…と思いました。

 

さて、その西川さん。

3年前の7月、胃の中に小さなガンが見つかりました。

最初は大したことはないと思われていましたが、

検査をするうちに、ガンがリンパから全身に回って、

余命1ヶ月と言われてしまいました。

私が会ったのは8月6日。

その翌日から私は京都に1週間の出張でしたので、

帰ってきたら、今までのお礼を思いっきり伝えようと思いました。

ですが、私が京都に行っている間に西川さんは往生されたのです。

 

その時の、往生される寸前の様子を母に聞きました。

西川さんはこう言っていたそうです。

「これでおわりじゃない。

私は仏さまに生まれさせてもらう身です。

お浄土に行ったら懐かしい人に会えるのが嬉しい。

本当に、本当によかったよ」

笑いながら、泣いていたそうです。

 

この西川さんもまた、

私の身を温かく照らしてくれる仏様の光のような方でした。

 

京都から帰って、約束通りにお通夜は私がお勤めをしました。

お勤めのあとの法話もしましたが、ちょっとこれは言葉に詰まりました。

 

私達は、知らない他人の死は無関心ですが、

この人と別れたくないと思うとやっぱりしんみりとしてしまいます。

 

だからこそ、

先立つ人の行き先、

わが身の行き先、

死んで終わりの命ではないと言う話を

これからも聞き続けるのですよね。

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  

 

今日の金城師のご讃題(テーマ)です。

 

大悲無倦常照我

(だいひむけんじょうしょうが)
                  (親鸞聖人「正信偈」より) 

 

意味は

 

どうしようもない私だけれど、

仏さまは常に見捨てずに、

常に慈悲の光明で

わが身を照らして

包んでくださっています。

 

 もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ  もみじ

 

どうしようもない私ですから

どう

しようも

ない

ものは、

どうする

こともなく、

唯々、

その日できる精一杯をやりとげて、

あとは仏さまにお任せしましょう。

 

これが今日の話なのかなと思いますニコニコ

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い