今月のお寺の掲示板です。

 

そして、参拝カードです。

 

 

 

 

今日の御講師は、東京都八王子市延立寺の松本智量(まつもと ちりょう)師です。

 

 

 

青字が松本師の言葉の要約です。

 

 

<生死一如

   (しょうじいちにょ)>

 

 

「生きる」 に 「死ぬ」 と書いて、世間では 「生死(せいし)」 と読みます。

生死と言うと、生きることと死ぬことは、別の事と捉えます。

ですが、仏教では、「生死」 と書いて、「しょうじ」 と呼びます。

生死(しょうじ)とは、

生きることと死ぬことはつながっていて、

一つのことだよと言うのです。

 

明治時代の名僧、清沢満之(きよざわまんし)は

生のみが我等にあらず、

死もまた我等なり。

我等は生死を並有するものなり。

と言いました。

 

生きる事だけが私たちではなく、

死ぬ事もまた私たちです。

私たちにとっては生きることと死ぬことは、同じことなんですね。

 

 

さて、今日は私のお話からしていきます。

私は今、62歳ですが、40歳代の頃、ある勉強会に参加していました。

リーダーの講師の先生を囲んで勉強し、

参加した僧侶には、毎回宿題が出されます。

ですが、その講師役の先生が時々体調不良になり、

「次回は来れるかどうかわからないけど、また連絡をする」 と言っては、

何とか来てくれて、別れ際にまた、同じセリフを言うのです。

そんなことが続き、あるとき、

たまたまその学習会の参加メンバーだった僧侶にあった時の事です。

私が 「先生、最近連絡がないけど元気かな」 と言ったら、

思いがけない言葉が返ってきました。

「え!知らなかったの? 先生は亡くなったんだよ」

 

話しを聞くとその先生が亡くなったのを知らなかったのは私だけで、

誰かが松本のところに連絡するだろうと思って、実は連絡漏れだったようです。

親しくしていた先生だっただけにショックでしたが、

今、思えば、「今度の宿題はこうしてああして・・・」

そう、考えて、先生との絡みを想像して楽しく過ごしていた私だったのですが、

別の角度からものを見ていけば、

私ひとりだけはその7ヶ月間は、

先生と一緒にいた時間だったと思っています。

 

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私の高校時代の担任だった先生の話です。

私はその先生と高校時代3年間一緒でした。

先生もまだ20歳代で、ご自分の小さなお子さんの話をしてくれたり、

歳が近いせいもあったのか身近な先生でした。

私も高校を卒業し、先生もだんだんと歳をとっていかれ、

先生は 「お前のところで世話になろうかな」 と言ってくれました。

私のところ・・・つまり、お墓の意味ですね。

先生は癌になり、がんセンターからホスピスに移られて、

最期はお亡くなりになり、本当に私のお寺のお墓に来ることになりました。

 

さて、先生が亡くなられて3年くらいして、

先生の教え子の宮沢さんという方が私のお寺を訪ねてきました。

宮沢さんと私とは年齢も違いますが、丁寧にお参りをされました。

私のお寺は八王子市の随分と田舎の方です。

バスもすぐに来るわけではありません。

帰りがけ、次のバスまで時間があるので、少しお話をする機会がありました。

 

聞くと、先生が入院しているホスピスまで、

宮沢さんはお見舞いに行ったのだそうです。

そして先生は別れ際に、「宮沢、また、会おう」 と言ったのだそうです。

「自分が死ぬことをすっかり受け入れていると思っていたけど、

自分はまだまだ生きたいと、また、色々な人に会いたいと、

この世に未練があったのでしょうね」 

と宮沢さんが言いました。

 

私はすぐに 「それは違いますよ!」 と断言しました。

宮沢さんは私の声に少しびっくりしていましたが、

先生のことは同窓会も含めて付き合いの長い、私の方がよく知っています。

「先生は ”死んで終わりの命ではない” ことを知っていたんですよ。

"また、会おう" というのは、

”死んでからもいつでも会える”、と言う意味なのです」

私はそう言って、続けました。

「今、宮沢さんをここにつれてきたのは誰だったですか?

先生がいてくださったからこそですよね」

その時、宮沢さんは、はっとした顔になり言いました。

「私の知らない先生に、ここで今、出会ったんですね」

 

先生のご縁のお導きで、私と宮沢さんがここでつながることができました。

 

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私の知人女性のお話です。

その女性は交通事故で中学生の娘、けいこさんを亡くしました。

まだ、コロナが流行る前でしたが、

お母さんは自分の娘の死を認めたくはありませんでした。

そのため、こじんまりとしたお葬式になりました。

 

お母さんが抱いたのは 「悲しみ」 ではなく、 「怒り」 でした。

交通事故の加害者への怒りではありません。

自分自身への怒りがありました。

娘を見送った時、

気を付けるようにと丁寧に念を押すように伝えなかったこと。

玄関先で見送るだけではなく、出かけ先に一緒に行けばよかったという後悔。

また、親戚の慰めにも、「あんた達に何がわかる!」 という怒りがありました。

更に娘さんの友だち達も来てくれましたが、線香をあげる後ろ姿をみて、

「どうせ、このあと、あんた達は遊びにいくんでしょ!」 という怒りがありました。

その後、お母さんは人とのおつきあいも滞りがちになり、

ふさぎ込むような毎日を送っていました。

 

1周忌、

3回忌、

そして7回忌の時のことです。

(7回忌とは、亡くなって6年目の祥月命日のことです)

 

7回忌の時、お母さんはあまり呼ばなかった親戚を呼ぶことにしました。

娘さんの友人はもう大学生になっていましたが、思い切って声を掛けました。

思いのほか、にぎやかな法事になりました。

 

親戚から聞く言葉は、お葬式と同じでしたが、

なぜかストンと素直に受け止めることができました。

お母さんはその言葉が

「有難かった」

こころからそう思ったそうです。

 

娘さんの友人からは

「けいこは、こんなことがあった」

「けいこは、あんなこともあった」

葬儀の時のあの雰囲気の中では言えなかったことも、

今だから言えるのでした。

それもあの時の娘さんの

「生き生きといのち輝いていた証し」の証言の数々です。

 

そこには、お母さんも知らない、娘の姿がありました。

この日を境に、お母さんは娘さんの思い出が増えたのです。

娘さんの姿がお母さんの目の前に

はっきりとうかびました。

はっきりとひろがりました。

 

卑屈になっていたお母さんを、変えてくれたのは娘さんでした。

卑屈になっていたお母さんを、育ててくれたのは娘さんでした。

娘さんの死は、別の世界の話しではなく、

今もなお、お母さんの人生と一緒であったと聞かされたのでした。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  

 

 

自分の人生の中に、亡き人が入り込んでご一緒の人生であった。

私もまた亡き人になって、誰かの人生に入り込んで一緒に生きていく。

そう聞いていくことが、今日のお寺の参拝カードの意味だと思います。

 

今日のお話は、

流し読みをすればあっという間ですが、

お時間ある方は

もう一度、ゆっくりとお読みいただけると

深みと味わいが違うのではと思いますニコニコ

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い