今日は第三日曜日です。

午前は、いつものお寺で法話会に参加して、

   (その様子は火曜日頃にアップしますね、仮題:かけられた願い爆  笑

午後は、定例の安楽寺の法話会に出向きましたニコニコ

 

今日の安楽寺法話会のご讃題(テーマ)は、法句経の言葉です。

 

 

入り口の掲示板から参道を通ります。

 

 

今日の御講師は、東京都港区安楽寺住職の藤澤克己師です。

 

青字が藤澤師の言葉の要約

 

 

<法句経>

 

今月は、法句経(ほっくきょう)の言葉を選んでみました。

法句経とは、原始仏教の経典で、ダンマパダともいいますが、

お釈迦様が言った言葉を集めたものです。

今日は

「他人の過失をみるなかれ

ただ自分のしたことと

しなかったことだけを見よ」

と言う言葉を一緒に味わっていきましょう。

 

人が失敗をしたりすると、よく批判にさらされます。

特に現代はSNSが一般化していますから、「炎上する」 なんて言われています。

あれは、指摘して言っている方は気持ちがいいでしょうが、

自分のことは棚に上げて・・・、なんてことはないのでしょうか。

 

親鸞聖人は自分に厳しい方で、自分は 「地獄に落ちる身」 とまで

自己批判をしましたが、逆に他人の悪口や批判は口にしなかったようです。

それは 「阿弥陀様」 や 「念仏」 と出会って、自分の人生はこれで安心と、

満足した人生を歩めたからではなかったかと思うのです。

満足したり、充実した人生を歩む者からは、

不平不満、人の悪口は出てこないのではないでしょうか。

 

そういう見方をすると、今のSNSの在り方。

姿が見えないこともあってか、何かあれば一斉に攻撃をする恐ろしさ。

これは、もしかしたら、

ストレス、不満、不安、嫉妬、ねたみ、恨み、いら立ちなど、

心が十分に満たされていない人が、

少しでも何かあれば人の揚げ足を取って、

自分は正義の枠に収まって、

自己保身の中で自分は上目線で安心をする。

そんな構図が見えてくるような気がしてならないんです。

 

安倍元首相を狙撃した犯人がいますね。

殺人は確かに悪いのですが、

彼の育成歴や家庭環境が、マスコミを通じて報じられています。

私なら、同じ環境に生きていたら、

殺人はともかく、まっすぐに生きていたかわかりません。

「人は誰もが、ご縁に触れれば、何をしでかすか わからない存在」

親鸞聖人は人の心のあり方を分析しています。

 

であれば、

いつ、どんなミスをするか、わからない存在がこの私達であれば、

SNSをしようと、しまいと、

この私たちは、

いつだって立場が入れ替わり、

いつの間にか世間の人の誹謗中傷にさらされて、

「大炎上」 をする存在なのではないでしょうか。

 

そのことを考えれば、

もっと人に寛容であってもいいんじゃないでしょうか。

 

人の揚げ足を取り、

人のミスをしつこくののしり、

人の欠点のあら探しをして、

自分を「正義の味方」に仕立て上げるのではなく、

まずは自分がしたこと、できたことを見つめ、

自分がしなかったこと、できなかったことを見つめ、

自分のあり様をしっかりと確認していく。

 

そのことの方が、よっぽど人生で大事なことではないでしょうか。

それをお釈迦様は私たちに教えてくれています。

 

 

お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い  お願い

 

 

<鈴虫>

 

今日は、安楽寺に行ったら、玄関で鈴虫が鳴いていました。

 

 

近づいてみてみると・・・。

 

 

私が 「何匹ぐらい、いるんですかね?」 と聞いてみたら、

住職いわく、 「全部で数百匹でしょうね」 とのことびっくり

 

 

また、鈴虫は 「垂直」 で平気でいられる存在なので、

この上の写真の左側、板に張り付いているみたいでしょびっくり

ちなみにエサは、ナス、キュウリ、キャベツのほかに市販のエサだそうです。

 

毎年、地域の子供たちとお寺とのご縁をつなぐために鈴虫をお寺で飼っていて、

地域の子どもたちに 「スズムシの集い」 を主催していました。

それが、このコロナ禍で、今年もそのイベントは中止しているそうです。

 

ですから、表の看板は、「スズムシ お分けします」

 

 

さて、鈴虫の寿命は、卵時代を合わせれば1年ということになりますが、

成虫としての期間は2ヶ月程と言われています。

ですから、私たちが見る鈴虫というのは、確かに2ヶ月しか見てないんですね。

 

卵で越冬した鈴虫たちが孵化するのが5~6月、

そこから成虫になるのが7~8月。

鈴虫たちの声が盛んに聞こえる9~10月には、

交尾をし、子孫を残して死んでいくのだそうです。

(私たちのイメージは8月中旬から9月に鳴く、秋の虫のイメージですよね)

 

ですから、安楽寺の数百匹の鈴虫たちも、成虫のいのちは2ヶ月で終わり。

このまま、安楽寺の虫ケースの中で、その一生を終えていきます。

その代わり、卵を産んで死んでいきますので、

その卵が越冬して、また来年新たな 「いのち」 として誕生するのだそうです。

 

住職 「だからね、子供たちに言うんです。

    鈴虫は自分の子どもの顔を知らないんだよと。

    そして、

    お父さんとお母さんの顔を知らないんだよと」

私  「へぇ~、なんだか法話に出来そうな話ですね。

 

私と一緒に聴聞した女性が聞きます。

女性 「子孫を残すと言う、

    人生の目的がはっきりしていてうらやましい。

    悩みもないでしょうね」

私  「悩みがあるのは人間だけって、言いますものね」

住職 「そう、

    でも悩みがあるから人間なのかもしれないね」

 

鈴虫は、人生の目的がきちんと決まっていて、充実しながらも2ヶ月の命。

人間は、人生の目的もわからずに、悩み苦しみながらの90年の命。

 

ほとんどの人は、

苦しかろうが何だろうが

「鈴虫よりは人間」  「お浄土よりはこの世」 に執着すると思うのですが、

今、本当に人生が苦しい人は

「スズムシの生き方」 がうらやましい方がいるかもしれません。

 

どっちが良いかはともかく、

人生の目的がわからなければ、

  わかりたければ、探すも良し。

  わからなくていいなら、それも良し。

悩み苦しみがあるのなら、

  自分で解決するのも、それで良し。

  めんどくさいから放っぽっていくのも、それも良し。

  私のように解決できない者は仏教を聞き続けるのも、それも良し。

 

帰りの電車の中では、

法話会の最中に元気よく鳴き続ける鈴虫の鳴き声が、

頭から離れない今日の法話会でありました爆  笑

 

帰りに、安楽寺の瓦(かわら)せんべい🍘とお茶を頂きました~ニコニコ

 

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い