今日の東京都心は、気温か30度
になり、
風もあまりないために、すごく蒸し暑い陽気でした。
明日から私は仕事が6連勤なのですが、
今日もお参りをしてきました。
お寺の境内の蓮の葉ですが、
毎年咲く、赤や白の「蓮の花」が楽しみです![]()
今日で5月も終わりですね。
お参りのあとは、法話を聞きましょう![]()
今日のご講師は、山口県下関市常元寺の伯浄教師です。
※青字は伯師の言葉の要約です。
<いつの間にやら>
浄土真宗本願寺派のホームページを見ていますと、
「浄土真宗は、出会いの仏教です」
と書いてあります。
また、
「阿弥陀様との出会いを大切にします」
とも書いてあるんですね。
では、
「出会い」は、なぜ必要なんでしょう。
それは、
「出会う方」で、人生が変わるからです。
私は福岡の高校を出たのですが、
その高校は元々「鎮西女子」という女子高で、
共学になるということで、男子を集めに掛かっているところでした。
その時、たまたま、父親の知り合いが鎮西女子の校長先生で、
「君、高校進学なら、うちに来なさい」
そんなご縁でありました。
そして、高校2年の7月、
帰ろうとした私を呼び留めてくれた女性徒がいました。
その子は今、山口県の下関市で浄元寺の坊守(住職の奥さん)をしています。
そうです。
今の私の連れ合いです。
まさに、
誰と出会うかで、
出会いは
「人の人生」を
変えていくのです。
皆さんもそれは
御経験を通して
実感されていることでしょう。
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ある方に言わせれば、
出会いには3つの形があると言います。
ひとつは
知らない者同士が会うこと。
「初対面」と言うことです。
二つ目は
知っている者同士が再び会うと言うこと。
「再会する」と言うことです。
三つ目は
知っている者が、知らない者に働きかけるということです。
「値遇(ちぐう)」と言います。
平成28年の事です。
私は子どもを授かりました。
当時、連れ合いは大阪の病院にいましたので、
仕事先の広島から新幹線で病院まで行きました。
私が病院に着くと、看護師さんがこう言います。
「抱かれますか?」
「え!いいんですか?」
心の準備の無いままに我が子を抱いてみましたが、
それは思ったより重く、
それは思ったより温かい我が子でした。
顔はお猿さんみたいですが、
それはどうでもいい事です。
私は思わず、
声を掛け続けました。
「父ちゃんぞ!」
「父ちゃんぞ!」
それから、数年後、子どもが子供園に通うようになったころ、
改めて私は聞いてみました。
「お前、生まれた時に、
お父ちゃんは ”お父ちゃんぞ” ”お父ちゃんぞ”
と声を掛けたのを覚えとるか?」
その問いに、子どもはこう言います。
「知らん!」
まあ、そりゃそうですよね。
では、と、もう一度子どもに聞いてみました。
「じゃあ、お前がお父ちゃんの事を
お父ちゃんと思うようになったのはいつだ?」
その問いに、子どもはこう答えました。
「いつの間にやら」
「いつの間にやら、お父ちゃんと呼ぶようになっとった」
そうですね。
私が「父ちゃんぞ~」「父ちゃんぞ~」と、
いつでも、
どこでも、
どんなときでも
呼んでいたことで、
これが「親子の出会い」になったことでありました。
そして、
私と仏様との出会いも「値遇」なのです。
私の方はわからなかったけれど、
仏さまは全部私の事はお見通し。
仏さまは私の事を全部知った上で
私に呼び掛け続けてくれているんです。
それにちゃんと私が気づけていけたら、
どんなに仏さまは幸せなことか。
実はですね、
私たちもね、
いつの間にか
仏様と出会っていたんですよ。
じゃ、
仏様と出会うと、
人生が変わるのでしょうか。
変わります。
本当なら
この私は、
このお娑婆の縁が尽きたら、
六道輪廻(ろくどうりんね)」を巡りに巡り、
「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人」「天」に行くことが決まっているのに、
仏様との出会いで
「お浄土」というところに往き、仏様と成らせて頂くのです。
そのお浄土とは、どんな世界でしょう?
苦しみ、悲しみを超えた「穏やかな世界」なのです。
そして、再び、この娑婆に還ってきて、
有縁の方を救い、見守っていく仏となっていくのです。
そして、
それを聞かせてもらうことで、
「思うようにいかない」この娑婆での生活だけれど、
「苦は苦のままで、安心して生きていける世界」
にいることに目覚めていきます。
いつの間にやら
私たちは
仏様とも
出会っていたのだけれど、
本当に良かったと思うのです。
<親の涙>
私の父は、平成19年に65歳で亡くなりました。
振り返れば、
平成17年、胃がんのために胃を全部摘出する手術をしました。
予後がよく、本人も家族も安心をしていましたが、
やがて、今度は胃ではなく、他の臓器の癌が見つかり、
今度は手術後の予後も悪く、
緩和ケアからホスピス病院に転院をしていったのです。
父は次第に身体も弱っていき、
「話せなくなりそうだから、今のうちに兄弟三人で会っておこう」
ということになりました。
当時、二人の妹は関東にいましたから、
山口県にいる私と日にちを合わせて、面会に行く日を決めました。
さて、
ホスピスというところは家族が病院で一緒に泊まれるので、
面会の日は3人で病院に泊まる計画をしていましたが、
その日は病院のボイラーの故障でお風呂が使えないことになりました。
その日は6月19日です。
ムシムシしますから、二人の妹は「お風呂に入りたい」と言います。
じゃあということで、
病院から車で20分のところにある川棚温泉に行くことになりました。
「じゃあ、お父さん、病院のお風呂が故障してるから、
川棚温泉でお風呂に入って帰ってくるけど、8時には戻ってくるからね」
その時、父は話すのがしんどいので、
手をあげて「分かった」の合図をしてくれました。
さて、お風呂に入って、「さあ帰ろうか」と思ったのですが、
妹二人はせっかく来たのだから、
夕食は温泉名物の「瓦(かわら)そば」を食べたいと言います。
私はえ~っと思ったけれど、
多数決では2対1ですから、
瓦そばを頂いて帰ることになりました。
結局、病院に帰ったのは、午後9時半になっていました。
病院に戻り、
「お父さん、今、帰ったよ」
そういうと、父はものすごい勢いで何かを言っています。
言葉にならないので、
何を言っているのかが、わかりにくかったのですが、
やっとわかりました。
「おそく・・・、なるなら・・・、でんわ・・・、してこいや~・・・」
私はびっくりしましたが、こう言いました。
「そうか、連絡しなかったのは悪かったけど、
お父さん、携帯にも出れないじゃろうが・・・」
そうしたら、それを聞いて、また何か言っています。
〇△✖※◎▽×※〇・・・・・
そして、
次の日です。
父は往生しました。
👴 👴 👴 👴 👴 👴 👴
気が付けば、
私たち兄弟3人は
実の父親に
どなられて
しかられて
最後は終わった子供たちでした。
もう、こうなると、
私たちは「後悔の念」しかありません。
後悔したら、
皆さんはどうされていますか?
自分の胸の内だけにしまっておれますか?
もし、胸の中にしまっていたら、
もうそれは
一生持ったまま、
苦しいまま、
になってしまいます。
ですから、
後悔をしたら、
人に聞いてもらうのが一番の様です。
私はお通夜の晩に先輩僧侶に、
父との最後の会話の場面を伝えたんです。
ありのままに・・・。
そうしたら、その先輩僧侶はこう言ったのです。
「そりゃ、叱ったんじゃないじゃろ。
それは、約束の時間に帰ってこないあんたたちが
心配で心配で仕方がなかったんじゃろ。
いつ、車の事故があるかわからん。
いつ、誰かが急に倒れるかわからん。
いつ、誰がどうなるかなんて、わからんじゃないか。
誰かの人生の最後に、
いつも立ち会ってきた僧侶だから、
そして何より親だから、
心配で心配で仕方がなかったんじゃろう」
そうか。
そうか。
父は自分の身体が、
人生で一番きつい時でさえ、
もう年の頃なら50歳前後の、
いい歳をした私たちなのに、
最後の最後まで
子どもの事を思ってくれていたんですね。
そう思うと、
父は今も私たち兄弟3人の心の中に
今もはっきりと
生き続けてくれるのでありました。
(画像お借りしています)
👴 👴 👴 👴 👴 👴 👴
山口県に福田康正(ふくだこうしょう)という先輩僧侶がいます。
よくお寺では「お寺の掲示板」と言って、
お寺の掲示板に「仏教に関する言葉」や、
「有名人の言葉」を書いて貼りだすということをしていきます。
ところが福田先生は自分で言葉を考えて、
自分のお寺の掲示板に貼っていくのです。
そして、その言葉を「枕言葉」にして、
その言葉に添った法話をしていくのです。
その中でこういう言葉があるんです。
(画像お借りしています)
親の涙の
注がれていない
子供は
一人もいない
仏の涙の
注がれていない
人は
一人もいない
産んでくれた方、
育ててくれた方だけじゃない。
どんな時でも
涙を注いでくれた方の事を
「親さま」と言います。
生まれて
何も知らない
何もできない
この私は
今まで何度
親に救われてきた事でしょう。
私が親を困らせた時も
私が親を喜ばせた時も
親は私に涙を注いで育てて、
守ってくれていたんですね。
それを仏様に置き換えてみましょうか。
生まれて
何も知らない
何もできない
この私は
今まで何度
仏さまに救われてきた事でしょう。
私が仏さまを困らせた時も
私が仏さま親を喜ばせた時も
仏さまは私に涙を注いで育てて、
守ってくれていたんですね。
合掌を知らない
頭を下げることを知らない
そんな私を
涙で導く方たちに
感謝しても
感謝しきれないと思うのです。
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ここからは、bonbu-kokiが書いていきます。
自分はいったい
どれくらい親に
涙を注がせて
きたのだろうか・・。
このようなことを
お考えになったり
想像したことはないですか
今の自分があるのは
きっと
親の涙が注がれてきたから。
そう思えたら
もっと親には
優しくなれるのかも
しれませんね。
私たちは
自分のために注いでくれた
たくさんの親の涙を
実は
ほとんど知りません。
遅くなってもいいから
そういうことに気付き、
仏さまの涙にも気づき、
これからの人生を歩んでいけたら、
きっと生き方も違ってくるかもしれませんね。
(画像お借りしています)
(画像お借りしています)
今日もようこそのお参りでした
。
今日も
出遇えて
よかった![]()
































































