今日の東京都心は、久しぶりにしっかり雪
が降りました。
スマホでざっくり撮っても、雪
が舞ってるのが分かりますよね![]()
狛犬ならぬ、有翼獅子像も・・・。
テラスには人がいませんでしたが、雪ダルマ
がお客さんでおりました![]()
(私は作ってないですよ、笑)
では、お参りの後は、法話を聞きましょう![]()
今日の御講師は、福岡県飯塚市西光寺の藤井智子師です。
※青字が藤井師の言葉の要約です。
<このいのち
なかったことにしないから>
私の祖母は、お菓子や贈り物で出た「リボン」や「包み紙」を捨てない人でした。
普通なら、捨ててしまうものであっても、祖母は取っておきます。
そして、手を加えて、人形にしたり、飾り物を作っていくのです。
私たちなら、簡単に手放すようなものでも、
祖母の手にかかれば、
捨ててしまうようなものだって、
何でも生かしてくれるのでした。
その祖母の旦那さん、つまり私の祖父ですが、
祖父は私が生まれる1年前に往生しました。
だから、私は祖父の顔は知らないんです。
ですから祖母は、私に祖父の事をよく話してくれました。
ギターはひけないくせに、ギターをもってうろうろしていたこと・・・。
お寺に嫁に来てみたら、お寺には10円しかなかったこと・・・。
そして、こんなことも話してくれました。
祖父は戦時中、軍の命令により、ある船に乗ることになっていました。
でも、乗る直前になって、ある知らせが来たそうです。
「事務の担当者が、業務を外れてしまうことになった。
ついては、お前はお寺の出身だから字が上手だ。
今度の船には乗らずに、申し訳ないが事務方として残ってくれ」
上官の言葉でしたので、乗船せずにいたところ、
上官の乗った船は、
敵からの攻撃を受けて沈んでしまったそうです。
結局のところ、
上官は祖父にとって、
字の上手なことをみちんと見ていてくれて、
危ない場面も回避することができた。
まさに「いのちの恩人」となったのでした。
その祖母も28年前に往生したのですが、
こんなことを言っていました。
本当に苦しいことは、人には話せない。
本当に辛いことは、言葉にもならない。
祖父も祖母も、
あの時代を生きた方は、
みんな苦労人です。
今なら、思えるのですが、
これは、
たくさんの悲しみや苦しみを持つ人のみの言葉
の様な気がするのです。
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悲しみや苦しみですが、人生で出会ったらどうでしょう。
なんだか、人生にとっては「無駄なこと」のように思えます。
でも、
悲しみや苦しみが無駄にならない
悲しみや苦しみが生かされていく道がるとすれば、
果たしてどうでしょうか。
親鸞聖人は
「仏さまのお心の事」を
きはもなし
と言いました。
「きは(際)」というのは、「端っこ」ということです。
私たちはよく「きは(際)」を作ります。
これは役にたつ、たたないという、「きは(際)」を作って分けていきます。
これはいい、これは悪いという「きは(際)」を作って分けていきます。
その結果、
これはダメ。
これは無駄。
これはなし。
そうやって生きていくのです。
でも、
仏さまから見たら、
ダメであっても、
無駄であっても、
ないものであっても、
その人生のプロセスは
全部が全部「生かされていく」道なのです。
だから、
仏様というのは
あの人は救う。
あの人は救わない。
そんな分け隔てをすることはありません。
それが
仏さまのお心である、
きはもなし
なんです。
昔の実話です。
昔は幕府がありましたけれど、
その幕府に年貢、年貢は主にお米となるのですが、
年貢を納めていたのが農民でした。
そして、そのまとめ役が「庄屋」で、
庄屋と幕府の間の中間を取り持つ中間管理職が「代官」でした。
あるところに、平左衛門という代官がいました。
武蔵の国に生まれ、井戸家の養子となり、
幕臣として30年あまり勘定役を勤め上げました。
その平左衛門は、大の「甘いもの好き」です。
出世欲のない平左衛門は定年を迎えたら、
「きっぱりと代官をやめて、
全国の甘いものを求めて旅をしていこう」
そんな夢を持つ人柄でした。
ところが、「さあ、定年」と思っていたところに、
島根県の「石見(いわみ)に行ってくれないか」という話がありました。
最初は渋っていた平左衛門ですが、
行けば「幕府の偉い人」でも滅多なことでは口に出来ない
「極上の甘味」を食べられるようにする、というのです。
まあ、それで釣られたのでしょうか。
平左衛門は、付き人の藤十郎とともに岩見にやって来ます。
ところが、当時の岩見は、飢饉があります。天災もあります。
それが代わる代わるやってきて、お米も農作物もうまく育ちません。
生きるために一番大事な食糧がないんです。
人々の心は病んでいました。
まず、身体が病んでいきます。
すると、心だって病んでいきます。
心が病むとどうなるか。
その時代、子どもを売るのです。
そして、子どもの間引きもありました。
間引きとは、生まれたばかりの子を殺してしまうようなことです。
子供一人分の食糧だって、惜しい時代ですから。
もう、こうなると、
石見全体が「生きる気力」を失っていたのです。
平左衛門は思いました。
「これは、とんでもないところに来てしまった」
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ある日、平左衛門が道を歩いていると、
小さな小さな知さな子供の骨を見つけました。
「これは間引きされた子供の骨だ」
平左衛門は、付き人の藤十郎とともに
地面に穴を掘り、その子を埋めてあげました。
その後、
屋敷に帰った平左衛門は腕組みをしたまま、
藤十郎が出したお茶にも口をつけず、じっとしたまま動きません。
そして、
しばらくの長考のあとでこう言いました。
「わしはこの年まで、こんなにひどい惨状を見たことがなかった。
わしらは、農民から多くの年貢を取るだけ取ってきたが、
農民の現状も知らずに奪ってきた。
自分達はよかったが、これは大きな過ちだった」
平左衛門は、ここで大きな決心をします。
「このままではだめだ」
とにかく、荒れ放題の石見の土地です。
平左衛門は藤十郎を薩摩(鹿児島県)に使いに出し、
「さつまいも」の種イモを盗んできます。
やせ地でもとれる食物として
さつまいも栽培を導入したのです。
さつまいもは少しずつ育ってきました。
そうして、なんとかしながら、飢えをしのいだのです。
ある時は、イナゴが大量に発生し、
稲や作物を荒らしてしまうという惨事に見舞われますが、
イナゴの佃煮で急場をしのいだそうです。
こうなると、
「石見では飢饉がないらしい」
聞きつけた隣村の人たちが来るようになったのです。
「石見だって、人に分けるほど裕福じゃない」
藤十郎は平左衛門に「関所を作りましょう」と提案します。
ところが、あんなに温厚だった平左衛門は、
その時初めて大きな声で怒りながら言いました。
「関所などは設けん!」
「いのちは、みな、平等だ!」
やがて、石見はまた、
未曾有の大飢饉(享保の飢饉)が発生していました。
すると、平左衛門は今度は民衆を救うため、
幕府の許可を待たずに年貢米を幕府に送らずに
人々に分け与えました。
更に、被害の大きな村々の年貢を免除し、
農民たちには助け合いの心を説いたのでした。
これらの優れた施策によって石見からは、
ひとりの餓死者も出さなかったのでした。
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さて、幕府に背いた平左衛門です。
「このまま」とはなりません。
幕府から来た「罪人用」のかごに乗って、
石見を出発する日がやってきました。
かごに乗って出発すると、農民たちが追いかけてきました。
「俺たちの殿様を返せ~!」
大勢の民衆に囲まれた平左衛門でしたが、
平左衛門は静かに言いました。
「私は大丈夫。必ず石見に前って来るからな」
石見に帰ってくる。
それは優しい嘘でした。
当時幕府への犯行の代償は「切腹」と決まっています。
平左衛門は藤十郎に言いました。
「介錯は頼んだよ」
翌日、平左衛門は亡くなりました。
享保18(1733)年のことでありました。
後の「遺言書」では、このように書いてありました。
「せっかくの石見への奉職でしたが、このようなことになって申し訳ありません。
特別美味しい菓子を頂けるとの仰せでしたが、
私には石見のさつまいもの甘露煮こそが、最上のものでありました」
ちなみに、この時のことは、代々引き継がれ、
今でも地元では「いも代官」として、
平左衛門は多くの人に慕われています。
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60歳までは普通に「代官」としてやってきた平左衛門でしたが、
石見への赴任のご縁を頂き、その心を大きく動かしたものがあります。
「間引き」された、
小さないのちを見たからです。
平左衛門は長考の末に、決心をしましたよね。
このいのち
なかったことにしないから
飢饉、天災で多くのいのちが
「あたりまえ」のように亡くなっていく。
亡くなることは「当たり前」の時代です。
その時代に、
ひとりもいのちをおとさせない。
そう、決心をしたんです。
いや、覚悟をしたんです。
さらに言えば、
自分のいのちと引き換えにしたんです。
さつまいもを
おぜん立てしていって、
いのちをつないだんです。
あなたはいいよ。
あなたはダメ。
そんな、
いのちの関所は作らなかったのです。
お米はみんなの生きる糧。
幕府より、
今日生きるのが精いっぱいの
老若男女
すべてのいのちが見えていたのが
平左衛門でした。
読みかえれば、
仏様には
きはもなし
あなたは救うけど、
あなたは救わない。
そんなことを言わないのが
仏さまなんです。
人生は何一つ無駄なことなんてありません。
全ては生きる力へと生かしてくれるものです。
今日は雪ですね。
必ず雪は解けていきます。
今日は冷え込みましたね。
必ず冬は春になるんですね。
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ここからはbonbu-kokiが書いていきます。
「このいのち なかったことにしないから」
その「いのち」の言葉ですが、
藤井師の午前中の法話では、
このような言葉を教えてくれました。
観無量寿経の解説の時です。
あなたに罪があるのなら、
私も罪があるのです。
と仏様が仰いました。
それを聞いて、あるお話を思い出していました。
お孫さんが不登校になりました。
おばあちゃんは、孫の母である自分の娘の育て方が悪いんだと、
いつも文句を言っています。
でも、お寺で法話を聞いた後で、
おばあちゃんはこのように気づいたそうです。
「私はいつも、自分の娘が悪いから孫がダメになったと思っていた。
でも、その娘を育てたのは誰だったのか。
それを気づかされ、とても反省をさせられました」
あなたに罪があるのなら、
私も罪があるのです。
とおばあちゃんが仰いました。
仏さまは色々な「いのち」を見ていらっしゃます。
そして、
見て見ぬふりをすることは決してないのですね。
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その「私」の生き方について、
禅僧であり、元大学教授の澤木興道師はこのように言っています。
われわれの
たった今の生活態度がインチキならば、
今までメシを食べさした人も、
今まで教えてくれた人も、
今までものをくれた人も
みなインチキをさせるために
してくれたことになる。
もし、今日の生活態度が立派ならば、
その立派なことをさせるために私を生み、
私を育て、私を教え、
私にものをくれたことになるのである。
このたった今の生活態度が
全過去を生かしていくんじゃ。
インチキとは、
大小関係なく、
「間違った行動」ということです。
私に罪がある時は
産んだ人、育てた人、教えた人、モノをくれた人も
罪ということになるでしょうか。
誰かに育てて頂く、私たちです。
仏さまにお育て頂く、私たちです。
あなたや私を
見て見ぬふりはしない、
そういういのちの伴走者なのですね。
今日もようこそのお参りでした。















































































