今の組織に思うこと | 内から見る創価学会

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活動停止した創価学会の会員です。
今の組織に対する私の思いを書き記します。
詳しくはプロフィールをご覧下さい。

 

私は週に1回は闘病中のMさんのところに行っている

 

地区の壮年部員ではあるが、私にとって組織で言うところの家庭訪問とはちょっと意味合いが違う

 

Mさんは特に活動家でもない、いち壮年部員単身者

 

もう10年くらいになるか

 

この地区にお引っ越しされて来て、最初は素っ気ない方であまり話もしてくれなかったが、ちょこちょこ焼酎とかつまみ持って訪ねたりするうちに、ずいぶん親しくなった

 

 

5年くらい前だったか、そんなMさんが癌になった

 

ステージ3だと

 

その中でも結構悪い方だった

癌の場所が悪く手術ができない

抗がん剤と放射線治療のため入院することになった

 

まだコロナ禍の前でお見舞いも行けたので、私も週2回くらい通っていた

 

当時は差し入れと共に、聖教新聞をまとめて持って行ったりしていた

 

 

 

ある日、聞きつけた圏長が県幹部を連れてお見舞いに行った

病棟にある面会スペースのテーブルで、その幹部は延々と指導を続けたようだ

 

「このご本尊を1ミリでも疑ってはならない」

「六十兆の全細胞一つ一つの薬王菩薩をたたき起こして、自分の全細胞を一新させるように祈るのだ」

 

回りにいる他の患者さんなど気にすることなく、自信満々に大きな声で懇々と語っていったらしい

 

帰った後、Mさんは顔見知りの患者さんから

「あの人は創価学会の人かい?すごいねー創価学会」

と皮肉っぽく言われて恥ずかしい思いをしたと言っていた

 

 

 

その後は一進一退

 

入院を繰り返し腫瘍も小さくなった時期もあったが、悪いことに転移をしてしまった

 

もう治療の術もないらしい

 

一回自宅に戻っては来たが、結局緩和ケア病棟がある病院に行くことになった

 

それでもMさんは明るかった

 

元々、お題目はあげる方だったが、公明支援はまったくしない

 

そこについてはいつも「公明党はダメになった」とぼやいていた

 

差し入れを持って行く私を、Mさんはいつもにっこりと迎えてくれる

 

 

今は、信心の話はしない

 

「祈ってます」なんて言葉もかけない

 

Mさんは「何も思い残すことはないよ、でもできれば苦しまずコロッと死にたいね」

と、ふふっと笑いながら言う

 

私も「ばっかじゃない、そんな人がしぶとく生きるんですよ」

と、憎まれ口をたたいても嬉しそうに目を細めている

 

 

同じ信仰ということで知り合ったわけだが、私は信心関係なくMさんのことが好きだ

 

Mさんは家族がいない

 

身寄りもないそうだ

 

そんな中、病棟の看護師さんには「自分がいちばん信頼できる人」と言って私の名前を言ってたようで、初めてお見舞いに行ったときは、コロナ禍で家族以外面会禁止に係わらず、受付で名前を言うとフリーパスになっていた

 

 

別にそれを自慢したいわけでない

 

 

信心でつながっていなくても人を励ますことはできる

 

御書を引かなくても難しい言葉を使わなくても人には伝わる

 

 

ところで、あの圏長や県幹部は、5年前に最初の病院に来たきり来ることも連絡もない

 

ましてや私の地元の支部長、本部長もすっかりMさんの話すらしてこない

 

それはなぜか

 

Mさんが特に活動家でも役職者でもないからかもしれない

 

または次から次にと打ち出される支援活動などで役職者も「それどころ」じゃないのかもしれない

 

でも、少なくとも新聞も取っていたし、財務も真面目にされていた人

 

残念だなと思う

 

あなたたちの師匠は「励まし」の大切さを教えられているのではないのか

 

信仰においてそこを忘れては本末転倒である

 

でも、それが今の組織の現状であって、ある意味「本当の姿」なのかもしれない

 

 

 

今の組織に思うこと