縛られた人たち | 内から見る創価学会

内から見る創価学会

活動停止した創価学会の会員です。
今の組織に対する私の思いを書き記します。
詳しくはプロフィールをご覧下さい。

数日間、お休みしました

 

一気に溜まった思いを吐き出しすぎて気が抜けてました

 

でもずいぶん心が軽くなった気がします

ありがとうございます

 

 

そんな中、相変わらず組織では毎日毎日、4月に向けての戦いは続いております

 

なんとかポーカーフェイスで、うまく組織の動きに合わせている自分って何て悪いやつでしょう⤵︎ ︎

 

 

でも今は仕方ないのです

 

 

今の組織になんぼ異議異論があっても「決戦の日」が来るまでは、じっと我慢しながらこのスタンスです


でも、もちろん会員さんには申し訳ない思いでいっぱいです


もう間もなく私の思いは上に伝えるつもりです


そうしないと心がもちません



嫌な奴だとお思いの方もおられるでしょうがご勘弁ください

 

 

 

………………………………………………………

 

 さて、創価学会、そして公明党を客観的に見るようになって数ヶ月たった今、私はいかにこれまでその本質について知らなかったのかがわかってきました

 

 

組織においてはネガティブな情報は、全て捏造であるという形で否定されてきましたし、その情報を発信する者は反逆者であり仏敵と叩き込まれます

 

 

SNSや週刊誌報道についても、「あんなものは嘘ばかり」と一蹴されます

 

 

むしろ「見て鵜呑みにする方が〇ホ」

というスタンスです

 

 

これって、スマホなどでも自由に情報が取れる日本ではありますが、冷静に見ると、やってることは北◯◯や中◯の情報制限と大して変わりないですよね

 

 

確かにSNSなどには誤った情報も普通に飛び交います

 

アンチの人で、どこから拾ってきたのかといわれるものもあって、さすがにそれをまともに信じるの?というもあります

 

 

そういう意味では、過去の新聞や書籍、音声などの実在するものは大事です

 

嘘がないから

 

かと言って、どちらにも都合よく切り取られたものもあり、そこは要注意です

 

これは創価のことに限ったことではないですが、しっかりと「真と偽」を見極める目はすごく大事です

 

そういう事を自分なりにこの数カ月見てきた中で、やはり今の組織はやっぱりおかしいという結論に達したわけです

 

 

 

宗教2世の話しに少しかぶるかもしれませんが、私は幼い頃から母に「罰論」を徹底的に刷り込まれました

 

 

それは、私が結婚をする時、相手のご両親に私の両親と共にご挨拶行った時のことです

後に義父となる彼女のお父さんが、地元の観光名所となる有名な神社に連れて行って下さった時、帰りに「鳥居をくぐって気分が悪くなった」と言った母からですから相当なものです

 

 

勤行をさぼると罰があたる、信心をやめると罰があたる、学会員の悪口を言えば罰があたる、ご本尊を粗末に扱えば脳が割れる等々、例を挙げれば枚挙に暇がありません

 

 

そんな家庭で育った私ですから、学会、組織に対して表立って不満を言うなんて考えもしませんでした

(人間的に嫌な人は当然いますが)

 

今の学会員さんもほとんどの方がそうでしょう

 

疑えば罰があたる

 

言いたくても言えない

 

または言えばこれまで積んできた福運まで消えてしまう

(この福運がまたよくわかりませんが…)

 

 

そういうものに縛られているのがたぶん学会員なのです

 

絶対的に信じてやっている人は、もちろんそれでいいでしょう(幸せならば)

 

でも信仰の団体と言え組織ってそれでいいのですかね

 

今の組織のように、信仰なのか選挙部隊なのかわからないことに疑問を持つ人は、誰かにその疑問をぶつけることもできず、また出来たとしても、それは「全てが信心」で捉えろと言われてしまえば逃げ場などありません

 

 

実際はそう捉えろと言ってる人も、よくわかっていないパターンの方が多いでしょう

 

 

「師匠にお応えする!」

 

 

今の実態は本当にその師匠が望まれていることなんでしょうかね?

 

でも、そう自分に言い聞かせながらやっておられる

 

ある意味すごいことです

 

でも私には不憫に思えるのです

 

 

 

縛られた人たち