今日は、一週間前のチャンネル桜の討論を他のことをしながら適当に見ていました。
本当に安倍を主語とした安倍チャンネルになってしまいました。
後半は一応増税には反対していましたが、安倍は増税しないだろうと結論つけていました。
麻生がG20やCSISで国際公約しているのに増税しないわけがないでしょう。
本当に意味不明です。
そんなチャンネル桜の水島社長が何度も何度も繰り返す言葉がいくつかあります。
「私が日本だという気持ちで考える。安倍は、私は日本だと思っている」
「今の安倍政権は、つるつるの路面の上をブレーキの壊れた車で運転するようなもの」
この2つです。
私はどっちの言葉も嫌いで、いつも違和感を感じています。
「私が日本だという気持ちで考える。安倍は、私は日本だと思っている」
社長も安倍も「私が日本」と思っているそうです。
これは、今の安倍を見る限り、確かにそう思ってると思います。
もちろん悪い意味です。
社長は責任感の強さを表現したいのでしょうが、安倍は傲慢に「私は日本」と思ってると思います。
確かにそうです。
44地方自治体、安倍信者、そしてほとんどすべての国民が反対のTPPの交渉参加を強行しました。
国民を無視し、議論をせずにあらゆる売国政策、弾圧政策を推し進める様は、まさに「私は日本」を体現しています。
本来は「私は日本」ではなく「みんなが日本」です。
狭い農地で毎日コツコツと同じことを繰り返す年老いた農業従事者も、親から引き継いだ小さな船で漁に出る漁師も、牧場を営む人も、僅かな収入でお昼ご飯をワンコインしか使えない若者も、すべてが日本人です。
政治家は、すべての日本人の立場に立ち政策を進めるべきです。簡単に切り捨ててはいけません。
もちろん、ある決断をすることによってある人が不幸になる、ということはあるでしょう。
それは政治決断を行なう上では仕方のないことですが、原理原則として、政治家はすべての日本人のために政治を行なわなければいけません。
それを、議論をせずに傲慢に進め、もし失敗した場合はどう責任を取るのでしょう?
そもそも、「私は日本」と思うこと自体責任感のない証拠です。
以前書いたように、民主主義では、農業については農業団体などと、とことんまで議論をし、お互いの意見を汲んだ形でひとつの方向性を見つけなければなりません。
そうやって得られた結論ならば、例え失敗したとしても、責任は議論に参加した人全員にあるわけで、納得せざるを得ません。
このような形をとるのが民主主義の根幹なのです。
それならば、安倍が、独裁的に決断した結果、失敗したらどうでしょうか?
失敗はそのままその人の人生、いや命に関わります。
その責任をすべて安倍が取らなければいけないのですが、どうせ責任を取ったとしても政治家をやめる程度でしょう。
全く釣り合いは取れません。
たとえ、安倍が腹を切ったとしても、釣り合いなんて取れるはずもないのです。
安倍が「私が日本」という思いでいるのなら、それこそ無責任で傲慢としか言いようがありません。
「今の安倍政権は、つるつるの路面の上をブレーキの壊れた車で運転するようなもの」
社長がこの言葉を言うタイミングは決まっています。
それは安倍の政策批判に対する言い訳です。
この言葉さえ言えば、安倍のどんな売国政策に対しても、安倍信者は「仕方ないよねー」と納得するんでしょう。
便利な言葉を見つけたものです。
この二つの言葉を多用するのですから、チャンネル桜の番組が、安倍信者以外にとってはつまらないのは当然です。